アメリカ版TENNIS
2004年7月号
ピート・サンプラス:成功者
(詳細版)
文:Peter Bodo
写真:Art Streiber
2002年USオープン優勝後まもなく、ピート・サンプラスは幸福のうちに
ゲームのレーダー・スクリーンから身を引いた。
彼はカムバックしようとなどしていない。
だがキャリア最後の苦しかった、そして最終的に勝利を収めた「時」、また彼が
支配してきたスポーツ以外の生活についても話そうとしている。
ロサンジェルス、ベネディクト峡谷にある家の重厚な木製ドアをピート・サンプラスが開けた時、私は愉快な驚きを覚えた。彼は私が聞いていたように、体重が20ポンド増えたりはしていなかった。1日14時間眠ったり、足の爪を切らずにシャワー・スリッパから突き出しているといった、日常的な身だしなみを無視している男のようにも見えなかった。
むしろ32歳のサンプラスは、グランドスラム天国で作り上げられたかのようなゲームでUSオープンに優勝し、1990年にテニス界を震撼させた、細っこくて楽天的だった19歳の頃のように見えた。悪戯っぽい笑顔も同じ。前かがみ気味の佇まいも同じ。身にまとうスポーツウェアも同じ:ぶかぶかの黒いショートパンツと大きめの白いTシャツ。だが生活は違う。
牧場主スタイルのサンプラスの家は、かつては重厚で男性的な家具と、最も価値あるトロフィーの複製の上品な宝庫だったが、いまは彼の生活の変化を反映している。サンプラスと彼の妻、女優のブリジット・ウィルソンには20カ月の息子クリスチャンがいる。そして近くにある新居の改築が完了するのを待ちながら、身の回り品を箱に入れて暮らしていた。
フラシ天の白いソファにドサッと座り、サンプラスは心底くつろぎ、そして完全に実感しているようだった。大いなる闘いは終わったと。彼はそうなりたいと願って青春の大半を費やしてきたものになった --- 永遠のチャンピオンに。彼はグランドスラムのシングルス・タイトル14という記録を保持している。さらに1993年から1998年まで、空前の6年連続ATPランキング1位となった。
獲得したばかりのグランドスラム・トロフィーを最後に高く掲げた、あの2002年9月のニューヨークの夜以降、サンプラスはあまり話をしてこなかった。だがこの日、彼らしい謙虚さ、慎重さと矜持をもって、すべてを隠しだてなく語った。
この男はこれほどの業績にもかかわらず、はっきりした立場をとる事、「頼まれもしないアドバイス」と繰り返し呼ぶものをする事、断言する事、「私は」という言葉を使う事にさえ、明らかな忌避感を抱く人間である。自分の意見や気持ちについて話す時でさえ、二人称で語る方を好む。サンプラスについて1つの真実があるなら、それは「僕は1人の運動選手にすぎない。他の誰かよりも重要人物であるかのように振る舞う事は、いかなる時でも望まなかった」という、彼自身の魅力的にも謙虚な主張の本質である。
テレビの上にあなたのウインブルドン・トロフィーを並べ、大会を見るつもりはありますか?
ピート(以下略):
分かるだろうけど、僕は睡眠を中断しないよ。熱心な観戦者だった事がないんだ。この1年の間に見た唯一のテニスは、オーストラリア決勝でのフェデラーとサフィンの対戦だった。フェデラーがどんなプレーをしているか見たんだが、かなり感銘を受けたよ。だが5セットマッチを見るのは時間がかかる。少し結果をチェックしたり、誰がどんな様子かを知るくらいだね。
面白いね。あるスポーツの世界に長年いたら、できるだけ遠ざかるのを楽しみにする。それが2002年のオープン以降、僕がしてきた事だよ。
ここではウインブルドンは早朝に始まる。僕は12歳の頃のように、テレビで見るために目覚まし時計を午前6時にセットしたりはしないよ。そういう気持ちはゆっくりと消え失せていった。もしテニスに戻りたいと思う日があるとしても、むしろ単なるファンになるだろう。いまのところは、いろんな意味でシャットダウンしてきた。
なぜ多くのチャンピオンは --- シュテフィ・グラフが真っ先に思い浮かびますが --- 選手であった事を否定するかのように、ゲームに背を向けるのでしょうか?
それが生活であった時は、いわば憤慨できる。苦難、ストレス、それがテニスを掌握している生活の本質であり、すべてを思い出させる。大いに楽しみはしたが、かなりの犠牲も伴っていた。僕の場合は大体そんな感じだね。僕は……自分のテニスは終わり、家族を持つといった他の事へと進んだというように感じている。振り返って、良い時や良い思い出について考える。同じくプレッシャーやストレスを思い出させられる。その意味では、遠ざかる事は快かったよ。
それはあなたにとって、大きな変化のように感じられますか?
異なったものに関心の焦点がある、それは大いなる変化だ。かつては常に自分のする事、僕のテニス、僕の旅行が最優先だった。そしていま、僕はいろいろ他の事をしている。息子の育児、より良い夫であろうとする事、いままでチャンスのなかった事をする事 --- 旅行とか、ゴルフ大会への出場など。時速100マイルで進んでいたのが、停止するようなものだ。
僕にとっては奇妙な感じだった。つまり、それを楽しんできた。朝に起きて、30年間はトレーニングや練習など、いつもすべき事があった。いま、優先事項は異なっている。なぜ選手たちが引退生活からスポットライトの下へと復帰するか、いまはより理解しているよ。彼らは退屈しているからだ。だが僕にはそういう気持ちはあまり湧いてきていない。
テニスボールを打つ事、メジャー大会でプレーする事は懐かしく感じる。それは僕たちのスポーツの快感だ。そしてグランドスラム大会が巡ってくると、興味を引かれる感覚がある --- 血が沸きたつような感じだ。でも同時に、多くのストレスがあった事が思い出されるんだよ! それを本当に楽しむかと尋ねられる。「楽しむ」という言葉が適切かどうか分からない。むしろ受け入れるんだ。タイガー・ウッズがマスターズでプレーする時のストレス --- 彼は本当にそれを楽しんでいるだろうか?
オープンでプレーしていた時 --- 僕はストレスを楽しんでいたか? 勝利を、そして努力が実った事の結果は楽しんだ。だがストレスは、どちらかと言えば受け入れるんだ。特に目標をとても高くしている場合はね。
引退してから、あなた自身についてどんな事を知りましたか?
僕は注目を浴びるためにプレーしたのではなかったという事を知った。勝つためにプレーした。プレーが楽しかったからしたんだ。ステージという部分は恋しいとは感じない。他には何があるかな。僕はシンプルな生活が好きだという事。ただ家にいる事、家族と一緒にいるのが好きだ。何人か友人がいて、少しばかりゴルフをして、ごく普通の事をするのが好きなんだ。そういう事をいつも楽しんできたが、もうプレーしていないから、いまはそのための時間がもっとある。
ずっと目的重視の人生だったから、ゴルフ以外にもう少し何かしたいと感じる日もある。でもそれが何か、まだ分からない。5年あるいは10年でやりたい事が生まれるかもしれないし、あるいはずっとないかもしれない。やりたい事がもっと何かあると了解しているが、どんな流儀でかはまだ分からない。
むずかしい変化だ。とても集中していた状態からその反対へ。30年間働いてきて、60歳になって引退や旅行を計画するというような、漸進的なものではなかったしね。いわば、オーケイ、人生は中断だ。君はテニスプロで、辞めた。1日を満たすために何をするつもりか?という感じだね。衝撃だ。だがそれからリズムができて、他の事に焦点を合わせていく。だから快いよ。
テニスのコミッショナーになりたいとか、何かそのような欲求はありますか?
僕は他の誰かよりも重要人物だというように振る舞う人間じゃなかった。とても良いテニスプレーヤーだっただけだ。どんな種類の政治活動にも関心がない。僕は運動選手だ。いまでも高級なレストランに行く事ができるし、素晴らしいゴルフコースでプレーできる。それはあるレベルにおいて、僕が望んでいる事だ。でもテニスが他の事へも門戸を開くとは、全く思っていなかった。
いままでは随行する人たちがいたので、ごく実務的な事を自分でしなければならないのは大変ですか?
現役でプレーしている時は、ストリンガー、トレーナー、コーチといった自分のチームが必要だ。自分の要求を満たしてもらうために、報酬を支払う。媚びへつらってもらうためではなく、自分がテニスに100パーセント集中できるよう、物事を引き受けてもらうためだ。明らかに、いま僕はそれを必要としていない。妻が世話をしてくれて、それが本当に必要なすべてだ。僕はとてもシンプルな生活を送り、いまのところ引退生活を楽しんでいるよ。
先ほどあなたは、より良い夫になりたいと言いました。あなたのキャリアは結婚生活に負担をかけましたか?
テニス選手は、スケジュール、いつ練習するか、いつ出発するか、いつ次の大会に出場するかといった、すべてを自分優先にするタイプの運動選手だ。献身的な人と一緒にいる必要がある。
幸いにも、妻は進んで自分のキャリアを保留にして、一緒に旅をし、すべて僕を優先してくれた。何物にも代えがたいよ。彼女は彼女の事をし、僕は僕の事をするというように、もし2人それぞれの生活をしていたら、厳しかっただろう --- それがトラブルに陥る時だ。
彼女は僕がやろうとしている事、僕たちがやろうとしている事を理解してくれた。僕はもう1回メジャーで優勝したかった。そして彼女は進んで彼女の人生を少し犠牲にし、辛い時期に僕を支えてくれたんだ。
いまそれは終わり、僕は朝6時に起きて息子の世話をできる。僕優先ではなくて、僕たちが大切なんだ。僕はもっと人に尽くす事ができる。プレーしていた頃よりも尽くすエネルギーがある。
すまないと感じたり、あるいは振り返って自分は自己中心的だったと考える事はありますか?
自分がそのただ中にいる時は、ただもう試合や勝つ事に打ち込み、集中している。だが振り返ってみると、そう、僕が優先だった。それが運動選手としての僕のあり方だった。僕は自分がA、B、Cの事をしなければならないと分かっていて、まさにそれをしてきた。妥協したくなかった。僕にとってテニスがまだ重要なもので、苦労していた辛い時期を、僕たちは乗り越えてきた。いま、僕たち2人は振り返り、それだけの価値があったと感じている。それが、こんな素晴らしい終局となった理由だよ。
その終局について、少し話してくれますか? ちょっと驚くべき事でした。あなたがした事の価値を、すぐさま認識できましたか?
これまででいちばん幸せだったと思う。全くもってね。他のメジャー大会も楽しんだし、素晴らしい瞬間もあった。だがこれはより意味深かった。僕がどういう状態だったかを考えるとね。あの年のウインブルドンが終わった後、僕はそれまでで最低の気分だった(サンプラスは2回戦で敗退した)。コーチングの継続性もなかったし、みんなは僕の結婚のせいにし、妻の責任にさえしていた。
それは僕たちの結婚への重荷となっていた。ウインブルドンから戻ってブリジットと話し合い、僕は「辞めるべき時なのかもしれない」と言った。周囲のあらゆる否定的なエネルギーに対処し、楽しんでいなかった。ブリジットはただ言ってくれた。「いい、私は何も言う気はないわ。ただ1つの事を約束して。辞める時は、あなたの考えで決めて。メディアとかテニス界の人が考える事に基づいて辞めるのではなく、自分のやりたいようにやってちょうだい」と。
僕はそれを聞く必要があった。再びポールと一緒にやる事にし、彼は僕が何者であるかを思い出させ、自信を持つよう手を貸してくれた。年齢が上がってくると、自信が少しぐらつき、不確かになってくる。書かれる批評を信じ始めるんだ。僕は自分の中にまだ何か残っているように感じていた。最も重要な事だが、自分自身にもう1回証明したかった。たくさんの事を成してきて、常にそうだったように、目標を自分の頭の中にセットしてきた。僕はもう1回優勝したい、それまでは辞めないと言ったんだ。
僕は多くの人々を驚かせた。自分の正当性を立証したような気がした。あらゆるインタビューや記者会見は、辞める事についてばかりのようだった。僕がテニス界にいた間じゅう、人々はなお僕を理解するには至らなかったようだ。ハムレット・カップでの事を(2002年USオープンの前)覚えているよ。僕は苦闘していたが、「オープンで優勝するつもりだ」と言った。レポーターたちが、ニヤニヤ笑っているだけなのが分かった。僕は2週間で全員を黙らせたように感じた。そしてアンドレとの決勝戦は、これまでで最高のプレーだったと感じたよ。最初の2セットを95年の僕たちの決勝と比べるなら、僕は10倍も良いプレーヤーだった。
あなたは拍手喝采を恋しく感じますか?
活気は懐かしいね。コートに出て行き、選手の対決を見ようとしている20,000人の観客に会うのを恋しく感じるよ。見事なショットを決めて大喝采を浴びる。それは素晴らしい。でもさらにもっと、ウインブルドンで2時からの決勝を控えた、1時30分のような時を懐かしく思う。そしてナーバスな、吐きたくなるような気分をね。
ウインブルドンにいて、決勝でプレーする事を恋しく思う。他のものよりも、それが恋しい。僕という人間に合っていたからね。僕は完全にアメリカ人で、オープンを愛している。だがウインブルドンはいつも、心の中で特別な位置を占めてきた。僕があそこで何をしたか考えると、感情的になる。ウインブドンを僕たちのスーパーボールだと感じている。世界じゅうが見守っているんだ。それが恋しいよ。
ウインブルドンは最も独特な大会だ。優勝した回数は少ないが、実際はオープンの方がたくさん決勝に進出した。いつもオープンを楽しんでいたが、(ニューヨークという)都市に少しストレスを覚えていた。ウインブルドンと同じような歴史性は感じなかった。ウインブルドンのコートに出て行く時、(ロッド)レーバー、あるいはパンチョ・ゴンザレス、あるいはフレッド・ペリーの時代からあまり変わっていないと知っていたからね。レジェンドたちが思い出されるんだ。
今年、ウインブルドンに招待された。ミドル・サタデーに戻ってきて、ロイヤルボックスに座ってほしいと望まれた。でも辞退したんだ。あそこに戻るには早すぎる。一歩引いていたいんだ。息子がもう少し大きくなり、5歳か7歳、あるいは10歳になったらあるいは。いまあそこに座っていたら、僕はまだ何人か負かせると考えて、テニスシューズを履いてコートに飛び降りたくなるかもしれない。「ヘイ 、僕はまだやれるよ! まだ腕があるんだ!」ってね。
あなたは競争中毒でしたか? 競争を恋しく感じますか?
僕はテニスコートでしか競争心は強くないよ。ゴルフの賭けすべてに勝つ必要はない。それは僕の天性ではない。それはいつもコートに置いてきた。さらにさまざまな意味で、数名の選手だけが、ただ勝ちたいというのではなく、競争心を抱かせてくれた。
つまり、(ジム)クーリエ、アンドレ、ボリス(ベッカー)、僕は彼らを知っていたし、ライバル関係があった。ツアーの他の選手と対戦するよりも、僕の競争心をかき立てた。マイケル・ジョーダンは、いかにすべてにおいて勝たなければ気がすまないか話すのを知ってるかい? 僕はほど遠いところにいるよ。
あなたはポーカー・プレーヤーですか?
(笑)うん、(元プロの)アレックス・オブライエンがこの辺りに住んでいるんだが、時おり集まって、ポーカーゲームを少しやるよ。僕たちの仲間は5〜6人で、週に1度3オン3のバスケットボールをするんだ。そんな風に、少しばかり体調を保つようにしている。でも基本的には、フィットネスに関する事はしてないし、しない事を楽しんでいる。いずれはジムに行かなければならないだろうが、あまりしたくない。25年間もした事を思い出したくないんだよ。
引退後、多くの人はたがが外れ、ぜいたくな生活を送ります。あなたは?
昨年、僕はおそらくキャリア全体よりも多くお酒を飲んだよ。なぜなら……なぜならそうできるから。度を超すほど無茶苦茶にではないけれどね。妻や子供と、家庭で控えめな生活を楽しんでいるよ。だが同時に、僕は長年の間、一生懸命働いてきたから、他の事もしている。何回かメキシコ、バハマへ行った。ビーチに寝そべったり、ぶらぶらしたり、ゴルフをしたりして楽しむためにね。
いまでも人に気づかれたり、煩わされたりしますか?
僕たちはあまり人通りのない区域に住んでいて、そこでは干渉されない。だがいまでも人に気づかれるよ。現役の間はそれほど人前に出ない。ホテル、大会会場、空港くらいだ。いまはもっと外に出かけているが、僕がした事を見たという賞賛を受けるよ。人々は気づく、彼らのレーダー・スクリーン上でやってきたのだからね。
週に4〜5回ゴルフをする。それは情熱とでもいうものになってきた。友人が増えた --- 必要だよね。それでもっと外出するようになる。マーク・マクガイアと知り合いになったし、名は挙げないけれど、レイク・タホ(のゴルフ大会)でたくさんのアスリートと知り合いになった。マクガイアはいわば同じ立場で、引退したばかりだ。彼はここにゴルフをしに来たよ。
僕の家族はここ、ロサンジェルスにいる。長年の友人もだ。ツアーではあまり友人がいなかった --- 2〜3人くらいだ。僕はいまロサンジェルスにいて、もっと多くの人と会うようにしている。それとパームスプリングスに家を買ったので、そこでも知り合いができたよ。
僕の心理状態は、プレーしていた頃とはとても変わった。当時は、人のために費やす時間はないに等しかった。自分のしている事にとても集中していたんだ。ロスかフロリダ(キャリアの初期、サンプラスはタンパ近郊に住んでいた)に3〜4日戻り、また3〜4週間いなくなるという生活だった。旅先で僕を訪ねてきて、ぶらぶらしたり夕食に出かけるような人を持てなかった。僕は同じレストランにコーチと一緒に行く事を望んだ。それが成功への、お決まりのやり方だった。それは犠牲を払う事でもあった。普通の生活ではなかった。目的にひたむきだった。偉大になるためには、そうあらねばならないのだと考えている。
あなたはクリスチャンの目の中に何を見ますか?
彼が僕を見る時、僕を必要としていると分かる。あやしてもらうため、お腹がすいているため、おむつを替えてもらうために僕を必要としている。僕が必要だというように、彼は見上げる。無邪気さを感じるよ。
子供にはどのように成長してほしいですか?
それについては、ブリジットと話し合ってきた。僕たちはビバリーヒルズにいるが、それは私立学校への進学を意味している。私立に入るには2万ドルくらいかかり、さらに1年の待ちが必要だ。
僕はそんな風に育ってこなかった。公立学校に通い、28歳になるまで携帯電話も持たなかった。
クリスチャンはとても快適に成長するだろうが、謙虚さといったものも身につけてほしいと思っている。それがロスのこの区域にいて気がかりな点だ。
つまり、ここにはお金持ちの人々がいるが、ちょっと懸念している。彼にはお金にあまり囚われず、僕が育ったように成長してほしい。どのみち彼にはお金があるんだからね。
ここの私立学校は、ビルの最上階にある。それもステキだが、僕の子供は休み時間に芝生を走り回れるようであってほしい。(ここの私立に通うのは)僕たちが育ってきたのとは異なるメンタリティだ。ブリジットは(オレゴン州)ゴールドビーチ出身だが、人口2,000人の町で高校は1つだった。僕たちは子育てを自分でする親でありたい。この辺りでは、子供たちは1日8時間、乳母や学校に預けられている。僕は自分の子供の成長を見ていたいし、それに関わりたい。
クリスチャンの将来、そして成長していく世界について、あなたの懸念は何ですか?
まあ、もっと安全な世界であってほしいよ。いまの情勢についは僕が語るべき事ではないが。9月11日への感情やいろいろあって、微妙な時期だ。問題が解決される事、それを行うふさわしいリーダーシップを望むよ。現在のところ、うまく行っているとは考えにくい。解決への途上にあるのだろうが、慎重を要する時期だ。
こういう話題は常に慎重を要する。僕はいつも、宗教と政治の2つについては話さないと考えてきた。政治あるいは宗教への立場を表明するのは僕のすべき事ではない。僕は考えるだけだ。両親はかなり保守的なやり方で僕を育ててくれたが、それが心得のようなものだ。
あなたは投票しますか?
投票しない。した事がない。登録もされてないと思うよ。僕はそれを優先事項にしてこなかった。
アンドレと話をしますか?
昨年、ウインブルドンの後に何回か話をした。僕らが(ジミー)コナーズ&マック(マッケンロー)とラスベガスで対戦するという企画があったんだ。彼は電話で、僕がトレーニングをしているか訊いてきた --- 彼はあの男たちに負けたくなかったんだよ!
それ以来話してない。だが彼がしてきた事は、かなり注目に値する。彼には味方がたくさんいて、経験も積んでいる。とても貴重な事だよ。15年が経ち、彼は何をすべきか分かっている。いまでもいい体調だし、ひたむきに集中できる場で暮らしている。シュテフィ(グラフ、アンドレの妻)にかなりの影響力があったのだと思う。おそらく、彼女がどのようにしてきたか、どれほど集中していたかを理解し、その事が彼を磨き上げたのだろう。彼はキャリア初期の頃のようには、他の事にあまり囚われなくなった。彼にはもうしばらく続けてほしいね。
そうは言っても、より厳しくなっている。子供が2人いるし、年齢が上になるほど、21歳の男と同じレベルを保つだけでも、よりハードに努めなければならない。彼はもう1回メジャーで優勝できると、僕はいまでも思っているよ。何らかの運命が残されていると。より困難になってはいるが。物事がもうちょっとうまく運ぶ必要があるが、それはあり得る。彼をとても尊敬している。長年のライバルだったし、彼は僕のベストを引き出してくれた。
フェデラーは若いですが、次のピート・サンプラスとして、大いに誉め上げる人たちもいます。比較は妥当でしょうか?
オーストラリアでのフェデラーには感銘を受けた。彼は思ったよりステイバックしていたが、完成されたゲームを持つ者を見るのは楽しいよ。あなたは見た? 面白かったよ。僕は、ワウ、彼はサーブ&ボレーをしないんだ、って感じだった。彼はすべてを備えているようだ。明らかに世界最高の選手だと思う。問題は、メジャーで優勝するためにどれだけ犠牲を払う気があるかという事だ。選手は異なった段階に到達していくんだ --- メジャー大会で優勝する、タイトルを防衛する、そして本当に偉大な存在になる、それが生活になるといった具合に。それがいわば僕に起こった事だ。
彼はすべての要素を備えており、素晴らしいゲームを持っているのは疑いない。彼を見るのは快いよ。見ていて楽しい、心地よいスムースなプレーヤーだ。
彼にはそうする気があるように見える、僕がそうだったような感じで。僕に関する誤解の1つは、僕は競争心旺盛でない、「厄介」でないというものだった。だが僕はそれを違ったやり方で示してきたんだ。彼の中にもそれがあると思う。ロジャーには平静なメンタリティも備わっている。彼は高ぶりすぎたり落ち込みすぎたりしない。疑いなく、それは世界最高の選手になりたいと望む時には助けとなるよ。
彼とテニスについて話した事がありますか?
いや、個人的には彼をあまり知らなかったし、彼について誰かと話した事もない。面白いね、マクガイアと話していて、「いまでも野球界の誰かと話をするかい?」と訊いたら、「誰も」だった。テニスについて、彼は同じ質問を僕にしたよ。1人だけ会ったのは(ティム)ヘンマンだ。インディアン・ウェルズ大会の時に、数日間パームスプリングスに来たんだ。面白い事に、他へと進んでいく傾向がある --- ああ、ジェームズ・ブレイクとは連絡を取っているよ。彼はウインブルドンの後、ステキなE-メールを送ってくれて、僕たちは連絡を取り合ってきた。
いまは昼 --- あるいは夜 --- を過ごすのはより容易ですか?
もちろんだよ。旅先で時差ボケのために睡眠剤を呑まなければならなかった頃と比較すると、僕は岩みたいにグッスリ眠っている。もっとリラックスしているし、何かを心配したり、誰かが僕をやっつけようとしているかと肩越しに振り返ったり、怪我に対処したりしないんだからね。
僕のキャリアは1つの試合、あのオープン決勝の敗退(1992年、対エドバーグ)ですっかり変わったんだ。1位になりたい、グランドスラム記録を破りたいという事へと、僕の気構えを変えた。
コーナーを曲がり、成し遂げたい事への構えを取った。何があろうと、それをやろうと思った ---胃潰瘍とつき合い、あらゆる事を切り抜けてプレーした。フレンチ優勝以外は、望んだ事はすべてやり遂げた。2002年オープンは、本当にやりたかった最後のものだった --- それを成した時、いまが去る時なのだとハッキリ知った。
現役だった日々について、何が最も恋しくないですか?
それは国際間の旅行だよ。ロサンジェルスかフロリダからヨーロッパへ行き、3〜4日のうちにプレーしなければならない事。最初の朝は、完全にボーッとなってしまうんだ。
集中・ストレスも恋しくないね。朝に目覚めてうずきや痛み、強ばりを感じ、それを抱えてプレーするのも恋しくない。もっと続けるかい? プレッシャー、自分にかけたプレッシャーも恋しくないね。
もしクリスチャンがテニスをするようになったら、誇らしいですか?
もし彼がやるのなら賛成するし、そうでないなら、それも賛成するよ。彼がテニスをするのはむずかしいだろう。能力がどうとかじゃなくて、僕と比べられるだろうから。みんなは彼に、僕がどういう者だったか思い起こさせるだろう。でももし彼がするのなら、喜んで手を貸すよ。ひょっとすると、それは彼が近づきたがらない分野かもしれない。あるいは興味を抱き、僕とボールを打ちたがるかもしれない。それを楽しみにしているよ。
いまのところ、彼はゴルフクラブを握って大いに歩き回っている。もしかしたら、それが彼のスポーツかもしれないね。でも彼しだいだ。彼に望むのは集中力を身につける事だ。僕はパロス・ヴェルデスで育ったが、テニスやスポーツはトラブルから遠ざかっている良い手段だった。ドラッグやバカ騒ぎ、悪い仲間とつき合う事からね。スポーツ、演劇、やりたい事が何であれ、道を踏み外して非行に走ってほしくない。この地域についても、10分くらいでサンセット大通りだが、つまりそこへ行くと……。
クリスチャンには運動能力の遺伝子が備わっていそうですか? もしそうだったら、嬉しいですか?
彼は右足で蹴るよ。だがまだ分からない。もちろん、スポーツ好きになってほしい。他には、彼の動きのバランスを見るようにしている。父は僕が1〜2歳の時に、将来はスポーツマンになるだろうと分かったと言っていた。僕はボールをまっすぐに蹴ったり放ったりできていたそうだ。だから僕もクリスチャンにそれを期待した。そう、父と同じようにね。
保護意識が湧くんだ。子供のためにベストを望むが、自分が子供を持つまで、その気持ちは分からない。いまはもっと両親に感謝している。どんな事を彼らが切り抜けてきたか --- 良くない選択をしていたら、僕はならず者にだってなっていたかもしれなかった。いまの僕になれたのは、両親に負うところが大きかったのは間違いないよ。
間もなくクリスチャンといろいろな遊びができるようになりますね。ワクワクしますか?
それがメインだ。一緒に出かけてボール投げ、ゴルフ、魚釣りなどするのを楽しみにしているよ。
語ってきたように、あなたの生活のリズムはいま異なっています。スターバックスへ出かけて新聞を読んだりしますか?
ブリジットと僕は交代で早起きしているんだ。楽しんでいるよ。クリスチャンは朝6時半か7時頃に目覚め、僕はごはんを食べさせる。電話が鳴ったりとか煩わしい事は何もない、共に過ごす時間だ。いわば楽しい儀式のようだね。
それからたっぷりゴルフをする。少し上達したよ。チャレンジだ。ハンデは6くらいになった。時間がある時には新しいクラブやボールを試してみる。面白いし、そういうものに少しお金を使っている。友だちと3〜4時間コースに出て、少しばかりお金を賭けるのも、なにがしか競争心も湧くし、楽しいよ。
もう1人のゴルフ狂、イワン・レンドルとはプレーしますか?
タホの大会で彼に会ったよ。僕は彼と一緒に1週間練習をした事があったけれど、親しい友人というほどではなかった。(2002年)オープンで優勝した後、彼はメッセージをくれたんだ。とても素晴らしいものだったよ。彼をとても尊敬してきた。彼はゴルフに対し、テニスに対してきたのと同じように取り組んでいる。朝の6時には始めてるんだよ。
ゴルフのゲームは、テニスでさえそうだけれど、する者の性格を反映している。僕のゴルフはちょっとワイルドだ。飛距離は出すけれど、ミスもする。僕のテニスもそうだった。クーリエだと、まじめで手堅い。あっと言わせるような事はやらないが、大きなミスもしない。彼はとても良いゴルファーだよ。トッド・マーチンも同様だ。
10年、15年先、他に本当にやる気が湧くような事が見つからなかったら、失望するでしょうか?
興味深い点だね。今後5〜10年の間に、本当に僕の心を動かすようなものがあるのか、それがチャリティなのか他の何かなのか、分からない。だがあるような気がする。何か良い事で本当に情熱を感じるものがあったら、僕はできるだろう。いまのところ、それが何かは分からない。もしかしたら必要ないのかもしれない。
レイカーズの試合でコナーズに会い、数分話したが、「いまは何をしているんですか?」と尋ねたら、彼は「大して何も」と言っていた。帰りの車の中で考えたんだ。ここに50歳の男がいる。偉大なテニスプレーヤーで、38歳まで現役だった。いくつかの事をした。そして彼はいまでも引退生活を送り、ゴルフをしている。それは何かを語っているような気がした。僕は政治的な事にはあまり関わってこられなかったが、それでもオーケイだとね。
いろいろな申し出はあったが、僕は入り込んでいって頼まれもしないアドバイスをするようなタイプの人間じゃないんだ。「マーク・マイルズ、君はこうすべきだ」とか「アメリカ・テニス協会、オープンはこうすべきだ」とかね。僕はそういう性格じゃない。頼まれたら何かするというタイプなんだ。でも5年か10年後には、もしかしたら国会に立候補するかもしれないよ(笑)。ありそうもないけどね。
ピート・サンプラスは何をして過ごしているんだろうと、みんな思っていますよ。あなたにとって1日は長いですか?
そうでもない。僕は、ヘイ、これが仕事だよという感じだ。息子と一緒に半日過ごし、ごはんを食べさせる事。普通の男性は違うけどね。彼と半時間いて、ごはんを食べさせて、何かを成したような気になる。それからゴルフに行く、たとえば10時から2時まで。帰宅して何か食べ、レイカーズの試合へ行ったり、ポーカーをしたり、映画を見に行ったりする。いろいろな事があるから、午後2時に家でテレビを見たりはしていないよ。
キャリアのメリーゴーランド:いまあなたはそこから降りました。最も興味深い部分は何でしたか?
少年時代、そして1990年にUSオープンで優勝した頃は、自分が何を望んでいるのか確かではなかった。競技者として優れていたわけではなかったし、メンタルもそれほど強くなかった。僕の熱意については、いつも少しばかり疑問があった。1992年オープン決勝でのあの敗戦までは、そんな具合だった。もしあの敗戦がなかったら、僕が達成したほどの事を成し遂げなかっただろう。あれは僕のキャリアを決定づけた時だった。
それは僕のテニス観をすっかり変えた。その変化を興味深く感じるね。ベストを望まない、プレッシャーを望まない状態から、「オーケイ、喜んでプレッシャーも負担も歓迎する」と言うまでになったんだ。キャリアの中で、いつもあの時期を興味深く感じていた。僕をより良い競技者にし、負ける事を憎むようにさせたんだ。
以前は、世界の6位でメジャーの準決勝や決勝に進むだけで幸せだった。だがいつも、少しばかり自分から諦めてしまうような --- いや、その言い方は強すぎるな、ただ最後まで充分に頑張り通していなかったんだ。ありがたい事に、僕はあの試合に負けた。それで自分が何を望んでいるのかはっきりした。第3セットを失ってから……僕は懸命に戦っていなかった。それはあの時点までの僕のキャリアを反映していた。あの夏、僕は3大会に優勝した。それは素晴らしい事だよ。だが誰が2番目かなんて、誰も気にかけないのだと知った。厳しい真実だった。あの敗戦は僕を勝利者へと導いた。確信を与えてくれた。
家族にはよく会いますか?
姉のステラは結婚した。兄のガスには2人の幼い娘がいる。妹も結婚して幼い息子がいる。みんなこの周辺に住んでいるんだ。パロス・ヴェルデス、マンハッタン・ビーチ、そしてここ。僕たちはとても親しい関係で、2週に1度は集まっている。それぞれ家庭があるが、努めて集まるようにしているんだ。
現在のテニス界はどういう状態にあると思いますか?
うまく行っていると思うよ。いつだってテニスファンは存在する。だがバスケットボール・ファン、ベースボール・ファンのような主流に達するには --- アンドレがいるが、彼が引退したら……アンディ・ロディックはいる。だが、もっと多くのアメリカ人が必要だと思う。僕らのような世代が再び現れるかどうかは、予想しにくい。いまのところアメリカでは、ロディックただ1人のようだ。
ライバル関係が必要だ。タイガー・ウッズにもライバルが望まれている。アンドレと僕の間にはあったが、テニスについて言えるのは、スポーツそのものよりも選手の存在の方が大きいという事だ。みんなメジャー大会の時はテレビを見るが、テニスはゴルフより不利な面がある。タイガー・ウッズは4日間ずっと大会にいるからだ。
テニスだと、僕は早く負けるかもしれないし、アンドレもそうだ。するとマイアミやインディアン・ウェルズのような大きな大会の決勝で、よく知らない選手を見る事になるかもしれない。継続性やライバル関係がないという事は、テニスにとっての痛手となっている。たくさんの優れた選手がいるが、それに注目するよりも、みんなはどの決勝でもアンドレとアンディが対戦するのを望む。
フェデラーはスイス人で、ヨーロッパでは大きな存在となっていく。だがアメリカでも人々の心を掴むかどうかは分からない。彼は今後何年も活躍するだろうけれどね。いまもテニスはうまく行っているし、メジャー大会は満員だ。会場に来る観客はいる。だがテレビとなると視聴率が問題になり、お金が関わってきて、それにふさわしい決勝が求められ、ウインブルドンの決勝にはふさわしい選手が必要となる。この国では(レイトン)ヒューイットと(デビッド)ナルバンディアンのウインブルドン決勝では受け入れられない。その事がテニスの痛手となっている。
テニスブームの時代にはマッケンロー、コナーズ、ボルグがいて、世界じゅうの大舞台で対戦していたし、彼らは憎み合っていた。一般の人々はそういうものについてくる。マッケンローとコナーズは感情表現に満ちていて、当時の人々はそれを好まなかったが、いまはそういうものを求めているようだ。
現在のテニスはかつてないほど強くなっていて、80年代よりも選手たちは良くなっている。だがバスケットボールを見ている人をテニスに引き込み、離れないようにするのはむずかしい。
僕がアンドレと対戦していた頃は、メディア・ルームにはいつも、普段は見かけないテニスと関係のない人々もいた。そういう事が必要だが、いまはそうではないようだ。
たとえばフェデラーとロディックは、いまの世代のサンプラスとアガシになれるでしょうか?
もう2人の人間が中心になる時代ではないと思う。8人くらいいる。つまりフェレロ、ナルバンディアン……優れた選手がとてもたくさんいる。誰かが支配的になるのは、よりむずかしくなっている。僕が現役の頃でも、支配的になるのはかなり厳しかったけどね。
あなたの記録は侵されないと思いますか?
これらの記録は破られる事もあり得るが、とてもむずかしいだろう。いまの時代では大変な事だ。自画自賛するわけじゃないが、6年連続1位というのは、僕としてはスポーツ界でもベストの成果の1つだと思っている。メジャーで優勝するのは素晴らしいよ。素晴らしい2週間を過ごし、メジャーで優勝する、僕たちはそれを目指してプレーしているんだからね。でも何年もトップに留まるのは、肩にのしかかるプレッシャー、怪我なども乗り越えてプレーするという事だ。それがいわば生活にならなければならない。コナーズやレンドルには、そういうものに対する強さがあった。僕にもあった。
フェデラーもできるかもしれない。彼には適切なメンタリティが備わっている。彼がそれを望んでいるかどうかはよく分からないけど。意味が分かるかな? なぜならば、そうするにはA、B、C、D、Eの事をする必要があるからだ。多くの者は「僕はそんな事はしていない、あるいは2つくらいしかしてない」と言うだろう。
ヒューイットは、2年前に彼が支配的だった頃は、それを望んでいると実際に思っていた。彼には1位に留まるだけの精神力があった。いまは彼のゲームでは力で圧倒されているようだ。彼は(マイケル)チャンよりも少し上だと思っていたが、チャンも後半は圧倒されていた。ヒューイットは今後も活躍するだろうし、メジャーで優勝するだろう。だが何年もトップに留まるのにふさわしい気質が、彼にはあると思っていた。フェデラーはかなり円熟し、とても楽にハイレベルのプレーをしているように感じる。
道理にかないますか?
一方ロディックのようなタイプにとっては、それは努力だと言える。見ていると分かるだろう。彼はこつこつと打ち続けている( grinding )。フェデラー、彼はなめらかにプレーしている(gliding )。それは彼の助けとなっている。僕もそうだった。僕もとても楽にハイレベルのプレーができた。
ロディックはテニス界を担っていけると思いますか?
彼にそれを担わせるのはフェアじゃないと思う。どんな人でも、1人でテニス界をしょって立つ事はできないよ。いろいろな個性や異なったゲームが必要だ。でも彼は現在ベストのアメリカ選手だと思うよ。彼はそんなプレッシャーをかけられるのを望んでないと思う。彼は試合に勝ちたいだけで、他の事はそれに伴ってくるだろう。
彼は何回もスラムで優勝できるかもしれないと思う。何年も1位に留まるという事については分からない。ずっと支配的である方が厳しいからね。でも何回もメジャー優勝できるかもしれないと思うよ……4、5、6回と。彼には素晴らしい将来があるだろう。
ヒットリスト
テニスから去って2年近く経ち、ピートは忘れがたいいくつかの事について語る
最も忘れがたい5試合
1980年代初期、サンディエゴのジュニア大会1回戦。
「父と車で出かけた。6-0、6-0で負け、帰りの車中では泣きっぱなしだった」
1992年USオープン決勝:ステファン・エドバーグがサンプラスを下す。
「僕のキャリアを変えた試合」
1995年USオープン決勝:サンプラスがアンドレ・アガシを下す。
「この試合以後、僕たちは異なった方向へ向かった」
2000年ウインブルドン決勝:サンプラスがパット・ラフターを下す。
「確かに記録の事もあるが、両親が初めてウインブルドンで、僕を直接見てくれた試合でもあった。それはとても意味深かった」
2002年USオープン決勝:サンプラスがアガシを下す。
「僕の最高に幸せな時」
最も厄介な5人の対戦相手
アンドレ・アガシ。
「明白な事実だ。彼は僕を怖がらせた」
ボリス・ベッカー。
「いつも、特にインドアではタフな男」
ウェイン・フェレイラ。
「いつも僕相手にタフなプレーをした、素晴らしいショット・メーカー」
ギー・フォルジェ。
「彼は僕のデビスカップ・デビュー(1991年)を、みじめなものにしてくれた」
ゴラン・イワニセビッチ。
「彼のクレージーで予測不可能なゲームに、ウインブルドンでは冷や汗をかかされたよ」
対戦してみたかった5人の偉人
ビョルン・ボルグ。
「僕以前のウインブルドンの聖像」
全盛期のジミー・コナーズ。
「彼には試合を個人的問題にするまでの激しさがあった」
パンチョ・ゴンザレス。
「彼は本当に史上最高のサーバーだったのか?」
ルー・ホード。
「ベッカーの初期の時代版」
ロッド・レーバー。
「僕のお手本」
見るのが好きな5人のプレーヤー
ビョルン・ボルグ。
「素晴らしいアスリートだった」
ロジャー ・フェデラー。
「彼のスムースさが好きだ」
ロッド・レーバー。
「完成されたパッケージを持っていた」
ジョン・マッケンロー。
「独特なゲーム」
ケン・ローズウォール。
「あのバックハンドが好きだった」
忘れがたい5人の人々
ポール・アナコーン。
「彼は僕を、僕に出来うるベストにしてくれた」
ディック・エンバーグ、TV解説者。
「彼は僕がどんな人間かを知っていた」
ロッド・レーバー。
「一流」
イワン・レンドル。
「僕が16歳の時、彼の家で練習し、思い出深い1週間を過ごした」
ティム・ガリクソン。
「すべては思い出だ。彼は僕を偉大さの汀へと導いてくれた」