2004年改訂版
サーブ&ボレーヤーはどこへ行ってしまったのか?
そしてテニス界はそれについて何ができるのか?

文:Paul Fein


「テニスの際立った美しさは、プレーヤーが無尽蔵のバラエティに富んだ
プレーのやり方を用いる事である」---ドン・バッジ 1939年


アメリカン・フットボールでフォワードパスがない事、ボクシングでボディ打ちがない事、あるいはバスケットボールでインサイド・シュートがない事を想像してみたらいい。それらのスポーツの価値は大いに減じるだろう。それでは、もしサーブ&ボレーが消滅したら、テニスはどうなるだろうか。

現在、まさにそんな差し迫った運命が見えてきそうである。男子トップ100人のうち、本式にサーブ&ボレーをする選手は9人しかいない。すなわちティム・ヘンマン(29歳)、ヨナス・ビヨルクマン(32歳)、マックス・ミルニー(27歳)、テイラー・デント(23歳)、マリオ・アンチッチ(20歳)、ラデク・ステパネク(25歳)、イボ・カルロビッチ(25歳)、グレッグ・ルゼツキー(30歳)、そしてミカエル・リョドラ(24歳)である。そして25位以内にいるのはヘンマンとビヨルクマンだけだ。

他に7人ほどは時おりサーブ&ボレーをする。1位のロジャー・フェデラー(23歳)、パラドーン・スリチャパン(25歳)、フェリシアノ・ロペス(22歳)、マーク・フィリポウシス(27歳)、トッド・マーチン(33歳)、ニコラス・エスクデ(28歳)とトミー・ハース(26歳)である。

女子の方は、さらにお寒いようだ。31歳のリサ・レイモンドと23歳のアリシア・モリックは、この消えゆく技のパートタイムの実行者である。

サーブ&ボレーはオープン時代の間にだんだん減少してきた。1973年、4つのグランドスラムのうち3つが芝生で行われていた時、男子トップ10のうち6人が、そのサーフェスでほぼ常にサーブ&ボレーをしていた。イリー・ナスターゼ、ジョン・ニューカム、トム・オッカー、スタン・スミス、ロッド・レーバー、アーサー・アッシュである。同じくジミー・コナーズ、ケン・ローズウォール、クレー出身のジャン・コデスの3人も、しばしばネットに詰めた。

10年後、オーストラリアン・オープンとウインブルドンは芝生で競われたが(USオープンは1975年に芝を廃止した)、トップ10選手の中でサーブ&ボレーをしたのは3人だけだった。ジョン・マッケンロー、 ヤニック・ノア、ケビン・カレンである。取り混ぜたオールコート・スタイルの選手はコナーズを除いて消えていき、残ったのはイワン・レンドル、マッツ・ビランデル、ジミー・アリアス、ホセ・ルイス・クレリックなどのベースライン・プレーヤーであった。

1993年には、ウインブルドンは芝のグランドスラム大会としては最後の砦となっていたが(オーストラリアン・オープンは1988年にハードコートへ移行した)、サーブ&ボレーの衰退は一時的に停止した。少なくともトップ10選手の間では。ピート・サンプラス、ミハイル・シュティッヒ、ステファン・エドバーグ等、ひときわ優れた才能を持つ優雅なサーブ&ボレーヤーに、ゴラン・イワニセビッチ、セドリック・ピオリーン等が加わった。

女子の方では、サーブ&ボレーはさらに劇的に衰退した。1975年にWTAランキングが始まったが、トップ10のうち7人は、しばしばサーブ&ボレーをした。少なくとも芝生では。バージニア・ウェード、マルチナ・ナブラチロワ、ビリー・ジーン・キング、 イボンヌ・グーラゴン、マーガレット・コート、オルガ・モロゾワ、フランソワーズ・デュールである。10年後、依然6人いた。ナブラチロワ、ハナ・マンドリコワ、パム・シュライバー、クラウディア・コーデキルシュ、ジナ・ガリソン、ヘレナ・スコバである。しかし1995年までには、ヤナ・ノボトナが一時的に順位を下げると、トップ10でサーブの後にネットに詰める女性は1人もいなくなっていた。

なぜサーブ&ボレーは絶滅危惧種となってしまったのだろうか?

いくつかの変更が、このエキサイティングなプレースタイルの滅亡を運命づけた。しかしUSオープンとオーストラリアン・オープンが芝生を放棄した事、そして次にアメリカとオーストラリアにおける夏の芝生サーキットが消滅した事ほど重大なものはなかった。今日、芝の快い香りはウインブルドンとその2週間前のチューンナップ大会、その後の尻すぼみ的なニューポート大会にしか残っていない。

「僕たちが育ってくるサーフェスに原因があった」と、史上最も偉大なサーブ&ボレーヤー、ピート・サンプラスは語る。「レーバーや50年代、60年代のオーストラリア選手は、芝生でプレーして成長した。コナーズでさえ、成長の過程で若干の芝生コートを経験してきた。時が経つにつれて、芝のサーフェスは1年に1回、ウインブルドンで見るだけになった。いまの子供たちは、ハードコートとクレーでプレーしている。だから彼らはごく自然にバックコートからプレーし始める。そしてそのやり方で、男子も女子もチャレンジャー・サーキットをくぐり抜けてくる。20歳の時には、13歳の時したようにプレーする事になる」

そうだろう。たまたまサンプラスが現れ、ピート・フィッシャーをコーチとしないなら。14歳になるまで、サンプラスはバックハンド両手打ちのカウンターパンチャーだった。---「僕は当時はアンドレのようにプレーしていた」--- そしてネットへはめったに出なかった。それから先見の明があるフィッシャーは彼のバックハンドを片手に変え、サーブ&ボレーゲームを作り上げた。それにより、サンプラスは生来の最高の才能をフルに活用し、記録である7つのウインブルドン・タイトルに加え、5つのUSオープン、2つのオーストラリアン・オープンのタイトルを獲得できたのである。

第一級の男子サーブ&ボレーヤーは、コナーズを除いて、バックハンド両手打ちではないとフィッシャーは承知していた。そして彼の目標は、教え子がウインブルドンで優勝するのを見る事であった。「それは危険な賭けで、僕は望んでいなかった」とサンプラスは回想する。「僕はたくさんの試合で負け、両手打ちバックハンドに戻したがっていた。16か17歳の時、ついに上手くいき、もっと自信を感じるようになり、片手打ちとサーブ&ボレーを続けた。なぜかって? 分からないよ」

ATPとITFが彼の助言を容れないなら、サーブ&ボレーは将来さらに減少するとサンプラスは予測する。「もし5〜6年の間にサーブ&ボレーヤーを再び輩出させたいなら、グラスコートのシーズンがもっと必要だ。フレンチ・オープンとウインブルドンの間に、もう1〜2週グラスコート大会を加える程度の事よりも、はるかに多くなければならない。どこで、いつかとなると、僕は答えを持っていない。しかしサテライトとチャレンジャーレベルで、グラスコート・サーキットを作るべきだ。クレーから選手が輩出されてくるように、芝生でも同じ機会があるだろう。基本的な概念としては、子供たちに10〜12歳で芝生か速い室内コートでプレーを始めさせ、16、17、18歳くらいの時に芝生の大会を経験させる。そうしたら彼らはある方法でプレーする事を余儀なくされる」

ジャック・クレーマーは1940年代に、近代的サーブ&ボレーゲームを洗練させ(実際にはモーリス・マクローリンが、1900年代初期に紹介した)、「ビッグゲーム」という言葉を普及させた。彼は1st・2ndサーブとも容赦なくネットにチャージをかけたが、彼もまた、その楽しいスタイル同様、それが花開いたグラスコートの瀕死の状態を嘆いている。「現在、グラスコートはほとんどない。ウインブルドンだけだ。それは忌々しい1大会にすぎないのだ」とクレーマーは言う。

クレーマーは今日のパワフルなベースライン・プレーヤーの大勢が、両手打ちバックハンドを強打するためだと考えている。「できるだけ早くアプローチショットを打ってネットに出る事は、プレッシャーをかけるとても効果的な戦術だと思っていたが、ここ11〜12年の両手打ちプレーヤーは、それよりも5回くらい強打して、6回目でポイントの取れる所に打てるチャンスを手に入れる方が快適だと感じている」

ヨナス・ビヨルクマンとトッド・マーチンを顕著な例外として、両手打ちプレーヤーはサーブ&ボレーを避けるだけでなく、ネットに出る選手の情況をみじめにもする。「アンドレ・アガシ・タイプの、両手バックハンドとセミウェスタン・フォアハンドを持つ子供たちはみんな、サーブ&ボレーヤーに対してダイナミックである」とクレーマーは言う。

「サーブ&ボレーの時代には、ネットに詰めた時、これらの両手バックハンドには直面しなかった。高くキックする2ndサーブを打てば、ドン・バッジとフランク・コバックスを除くと、ほとんどの選手はバックのリターンでは弱いスライスを打ったものだった」と彼は振り返る。

往年の「ビッグゲーム」は存在し続けなければならないと、クレーマーは強く主張する。「2人のバックコート・プレーヤーが全ポイントで15〜20回もグラウンドストロークを打つのを、いったい誰が見たがるというのだ? もし1種類しかプレースタイルがなければ、何もないようなものだ! ファンは2つの異なったスタイルを見たがるのであり、それがベストだ。見る価値のあるベストの試合は、良いコンディションのサンプラスと良いコンディションのアガシとの対戦だった」

しかし、どうしたらテニス界は、より多くのサンプラス的プレーヤーを生み出す事ができるのだろうか?

「もし本当に優れたアスリートにアドバイスするチャンスがあったなら、私はこう言うだろう。『11か12歳になるまで、テニスをする事など考えるな』と。遅く始めれば、彼には克服すべきグリップの問題などない」とクレーマーは言う。彼はテニスを始める前には、野球、バスケットボール、フットボールをしていたのだ。「サンプラスは素早くグリップの問題を克服し、両手打ちバックハンドをやめたが、さもなければ現在の彼はなかっただろう」

その計画は、行うより言うが易しである。現在の「早ければ早いほど良い」時代には、多くの子供たちが未来の栄光を夢見て、5、6あるいは7歳でプレーし始め、彼らのグリップとスイングは12〜13歳までにおおかた固まってしまう。

クレーマーは勧める。「こんな風に言うコーチを見つける事だ。『ここに真のアスリートがいる。私は彼と彼の親に、君はサンプラスになれるチャンスがあると売り込みたい。彼は12歳や14歳の大会では負けるだろう。17〜18歳で充分な力と技量を身につけるまでは、やはり負けるだろう。そして負けると落胆するだろう。しかし独立を保ち、ベースライン・プレーヤーの仲間入りをしてはならない。そしてついに、彼は素晴らしい攻撃的なサーブ&ボレーゲームをプレーするだろう』と。こんな事をうまくやってのけるには、特別な選手と特別なコーチが必要なのだ」

別の長老トニー・ピッカードは、13年間エドバーグのコーチを務め、エドバーグは6個のグランドスラム・タイトルと1位の座を獲得した。ピッカードは、サーブ&ボレーヤーが姿を消してきているのは「それを教え、少年たちに『君たちのゲームにこれを取り入れれば、試合でそれを使える時があるだろう』と言えるコーチが多くないからだ。いまのコーチたちは、すでに現在のテニスで育ってきた人々であり、それは基本的にコートの後方でプレーするテニスだ」と考えている。

アメリカの新星アンディ・ロディックのゲームは、サーブ&ボレーを組み入れるに最適だとピッカードは考えている。「彼は時速135マイルの1stサーブと、2ndには素晴らしいキックサーブを持っている。もしサーブを打って前へ出る事を学べば、たとえ彼が素晴らしいボレーヤーでなかったとしても、多くのイージー・ショットを得られるだろう」とピッカードは主張する。「上手にボレーする方法を彼に教えるのに、それほど時間はかからないだろう。もしロディックがそれをしたなら、彼はどんなサーフェスでも対戦相手にとてつもない厄介事をもたらせるだろう」

パム・シュライバーは、22のグランドスラム・ダブルス・タイトルを持つ殿堂入り選手の1人だが、コーチたちを擁護する。「もしあるプレースタイルがより成功を収める傾向があると分かれば、それを指導しようとするものでしょう」と。彼らもまた、環境によって生み出されているのだ。

「もしヨーロッパ出身で、遅いクレーでのプレーに慣れているなら、それほど攻撃的ではないスタイルを教えようとするでしょう。もしたいていが速いハードコートの南カリフォルニア出身なら、また異なったスタイルのコーチがいるでしょう。ロバート・ランズドープはずっとそこで、強烈なフラットのグラウンドストローク、より攻撃的で鋭いショットを教えているけれど、それがあそこでは有効だからよ」とシュライバーは言う。

すべてを知り尽くしているコーチはいないのだから、シュライバーは専門のコーチング説を主張する。「コーチによっては、サーブ&ボレーの経験を積んでいない人もいるかもしれない。でも専門家から助言を得る事ができるわ」と彼女は言う。「ある特定の項目のためにロバート・ランズドープの下へ行くように、サーブ&ボレーのコーチのところに行くかもしれない。ロイ・エマーソンやトニー・ピッカードから、2時間くらいサーブ&ボレーを学ぶのはステキな事だわ」

ロッド・レーバーは、テニス界で唯一2回の年間グランドスラム(1962年と69年)を達成したが、今日サーブ&ボレーはほとんど指導されていないという事には同意する。「ジュニアはもっとボレーを学ぶべきだと思うが、サーブ&ボレーだけには限らない」と彼は主張する。「アプローチ&ボレー、リターン&ボレーを学ぶべきだ」

それでも、彼は哲学的に説明する。「それはただ成り行きだ。若い選手たちはアンディ・ロディックのように、ビッグサーブとベースラインからのプレーを学んでいる。テニスのゲームは申し分ないよ」

私が話をした人たちは誰も、現在の状況についてレーバーの満足感を共有していないが、シュライバーのように、プレースタイルにはサイクルがあると主張する人々はいる。「10〜15年前、ベッカーとエドバーグ、そしてベッカーとシュティッヒ、サンプラスとイワニセビッチがウインブルドン決勝を戦っていた頃、レイトン・ヒューイットがウインブルドンで優勝し、2年間世界1位になると考えた人がいたかしら? ゲームはチャンピオンのスタイルを素通りし、常にパワー、パワー、強烈なサーブ、短いラリーばかりになると考えられていた。でも間違っていたわ!」 

ローフォードのような、切るようなスライスとコンチネンタル・フォアハンドのスタイルは消えていったという事実にも、シュライバーは自説を曲げない。「テニスのゲームには非常に多くの多様性があるから、その主流には周期性があり、異なったスタイルのチャンピオンが生まれるのよ」と彼女は主張する。「男女とも、再びサーブ&ボレーのチャンピオンが現れないとは言い切れないわ」

デントは最も若いサーブ&ボレーヤーだが、2010年あるいは2015年に、テニス界最後のサーブ&ボレーヤーとして記憶されかねないのだろうか? 「その可能性は確かにある」とデントは認める。シュライバーは昨年、彼を「サンプラス、エドバーグ、ベッカー、マッケンローのような、サーブ&ボレーの偉人に並ぶ潜在能力がある」と主張したのだが。

デントは言う。「でも成長途上の子供たちの何人かは『僕はサンプラスのようにプレーしたい』あるいは『ラフターのようにプレーしたい』と言うだろうと信じているよ。あるいはもし僕がもっと良くなれば、『テイラー・デントのようにプレーしたい』と言うだろう。今後もサーブ&ボレーヤーは現われるだろうが、稀な存在になろうとしている」

過去20年間、究極のサーブ&ボレーヤーであるサンプラスとナブラチロワのゲームを模倣したジュニアはほぼいなかったように見えるからには、お手本あるいはアイドルの理論を問題にしなければならない。

36位のデントはネットでより速く、機敏になるために15ポンド体重を落としたが、現在なぜネットで効果的な選手がほとんどいないのか、2つの理由を挙げた。「みんなリターンとパスがとても良いから、効果的なサーブ&ボレーをするのはむずかしい」と彼は言う。「30年前、パワーとトップスピンを生み出す事のむずかしかったウッドラケットの時代と違い、現在はフリーポイントが得られない」--- その時代、オーストラリア人の彼の父親、フィルはワールドクラスの選手であったが。

もっと適切な比較は、15〜20年前とである。当時は比較的大きいグラファイト・ラケットが流行していたが、それでもまだサーブ&ボレーヤーが隆盛を極めていた。「1985〜86年の事を考えてみると、プリンス、ウィルソン・ミッドサイズ、ヘッド・ミッドサイズがあり、テクノロジーはその時までに、すでに劇的に進化していた。大きいラケットヘッドを生かし、サーブを信じられないほど上手くリターンする選手はいた。しかしその頃でさえ、エドバーグやベッカーのような選手は、彼らを抑えて成功していた」とピッカードは言う。もちろん、サンプラスはその後1990年代を支配し、ラフター、シュティッヒ、 クライチェク、イワニセビッチ等もメジャータイトルを勝ち取った。

ナブラチロワは同意せず、グラウンドストロークの優越を抑えるため、ITFがラケットヘッドのサイズを小さくする規制を定めるべきだと主張する。「現代のラケットは、グラウンドストロークを非常に --- 指数関数的に助けている」と、彼女はイギリスのジャーナリスト、リチャード・イートンに語った。「現在のラケットはずっとパワフルなので、もし2〜3回ボレーを打たなければならないと、おそらくそのポイントを失うでしょう。より小さいラケットヘッドは、すべてのショットを変えるでしょう。トップスピンとペースが減り、ベースラインの15フィート後方からただプレーする事は不可能になり、もっと技能が求められるでしょう」

ハワード・ブロディ博士、クロフォード・リンゼイと共同で名著「物理学とテニスの技術」を書いたロッド・クロスは、取り敢えずトップスピンについては、ナブラチロワの意見に同意する。そして合理的で実行可能な妥協策を提案する。「トッププロの大半が使用している現代の10インチ・ワイドフレームの、この追加の1インチが、必要とされるトップスピンを選手に可能にしている」と、オーストラリア・シドニー大学の物理学助教授、クロスは説明する。「従って、ある人たちが退屈で極端だと考えるベースライン・トップスピンに対する解決法は、ラケット幅を現在の10インチから9〜9.5インチに狭める事である」

昨年7月、マッケンロー、ナブラチロワ、ベッカー、(スタン)スミス、パット・キャッシュ、ニール・フレイザー等の元ウインブルドン・チャンピオン、そして30人以上の元選手たちは、ベースライン・プレーヤーの極端なトップスピンと破壊的なパワーを抑制するために、ラケットヘッドを小さくするようITFに請願した。イギリスのテレビ解説者で元デビスカップ選手のジョン・バレットは、その先頭に立ち、サーブ&ボレーヤーとベースライン・プレーヤーのバランスを復活させるために、プロテニス界はラケット幅を9インチに制限しなくてはならないと主張した。彼は的確に指摘する。「それでもトップスピンを打つ事ができる。しかし違いは、完璧なタイミングが必要だという事である」

「ラケットは問題の説明にはならない」と、ESPN、NBC、CBSで活躍するテレビ解説者のマリー・カリロは言う。「確かにラケットはサーブ&ボレーヤーよりも、ベースライン・プレーヤー、リターナーを助けてきたけれど、私はピッカードに同意するわ。それは全体的な変化のために滅びゆく芸術となってきた。たとえば、今日の多くの選手はフォアハンドより強いバックハンドを持っている。すると、いったいどこにサーブを打つというの?」

「サーフェスを変えない限り、サーブ&ボレーが復活するとは思わない」とカリロは論ずる。「クレーコート・シーズンからより適切な間隔を置いた、もっと長いグラスコート・シーズンがあればいいのにと思うわ。他のスポーツは、そのスポーツを向上させるための規則変更について、テニスよりもずっと良い仕事をしている」

カリロは正しい。他のスポーツはプレースタイルを検討し、定期的に規則を再評価している。A)攻撃と守備の良いバランスを保つ。B)全体的な公平を保証する。C)プレースタイルの多様性を維持する。そしてD)ファンのためにスポーツの面白さを保つ。特にバスケットボールは、過去50年の間に、NBAプレーヤーのアスレティックなプレースタイルと体格の向上に合わせ、24秒ルールやゴール・テンディング(ネットに入りかけたボールに触れると反則)のような大きいルール変更を制定した。

皮肉にも、ITFとATPはボールとコートをいじり、ある種の思いがけない結果を生み出しただけだった。「1990年代半ば、メディアやファンから若干の苦情が出た後、ボールのスピードを遅くすれば、サービスエースの数は減るだろうと彼らは考えた。しかし重いボールは、サーブ&ボレーを減らしただけだった。サービスエースはいまだにたくさん生み出されている」とビヨルクマンは言う。彼はトッド・ウッドブリッジと共にダブルスで活躍する、気のおけないスウェーデン人である。

ビヨルクマンは、2000〜01年にATP選手評議会会長を務めたが、サーブ&ボレーを生かしておくためには、インドアとハードコートのスピードを速めるべきだと主張する。「近頃、誰がインドアで優勝しているか見るといい。彼らは全くサーブ&ボレーをする必要がない。たとえばニコラス・ラペンティがリヨンで優勝した。アルベルト・コスタは、以前はハードコートでそれほど勝っていなかった。コートとボールが遅くなり、彼でさえいまはもっと成績が良くなって、キービスケーンで準決勝に進出した。インディアンウェルズよりも、むしろ高地のクレーでプレーする方がましだろうね。最も遅いハードコートのいくつかは、春のアメリカの大会だ」

ビヨルクマンとロケット・サーバーのグレッグ・ルゼツキーは、同じくウインブルドンが芝生を遅くして、サーブ&ボレーヤーをさらに不利にしたと批判した。ウインブルドンは2002年も芝の長さを同じ(5/16インチ)にしておいた。しかしライ芝の導入は、比較的乾燥した春の気候と相まって、ボールのバウンドを少し高く、そして遅くした。「芝生はこれまでと全く同じ方法で準備された」と、チーフ・グラウンドマンのエディー・スワードは昨年「インターナショナル・ヘラルド・トリビューン」紙に語った。スワードはまた、第1週の乾燥した天気により、バウンドがハードコートの85パーセント --- 普通は80パーセント --- になったと指摘した。

反対に、サンプラスとレイモンドは、ウインブルドンの芝の変更については差異を感じなかった。「今日ウインブルドンで勝つためには、サーブ&ボレーヤーは天気を味方につけなければならない」とレイモンドは言う。「湿気が多くて涼しいと、サーブ&ボレーヤーはボールを低く保つ事で、よりチャンスがある。もし暑い2週間で、コートが堅く引き締まっていると、リターナーはサービスリターンを叩く事ができるわ」

かつては選手から批判のあったイレギュラー・バウンドは、皮肉にも現在、サーブ&ボレーヤーに懐かしがられている。「現在はベースラインの内側を踏み荒らすサーブ&ボレーヤーがほとんどいないから、バウンドはとても正確だ」とデントは指摘する。「一種の悪循環だった。サーブ&ボレーヤーは常に、その問題に対処すべく(バウンドする前にボールを捕らえる事で)自分自身がコートを荒らしてきたからだ。(イレギュラーが減った事で)ベースライン・プレーヤーが有利になってきているわけではないが、より等しい条件になっている」

私がインタビューした人は誰も、2人のベースライン・プレーヤー、ヒューイットと(当時)無名のデビッド・ナルバンディアンが、2002年ウインブルドン決勝で戦ったという事実を嫌がりはしなかった。しかし非常に退屈だったので、アメリカでは女子ダブルス決勝の方が高視聴率となった。両者とも正々堂々と決勝進出し、その過程で何人かのネット・プレーヤーを打ち負かしてきていた。それでも、デントは打ち明ける。「『ウインブルドン決勝戦に2人のベースライン・プレーヤーがいるなんて信じられない。僕はおこぼれをちょうだいしたいよ』って自分に言ったよ」

サーブ&ボレーヤーのフェデラーとフィリポウシスが2003年ウインブルドン決勝で対戦した時、少なくとも一時的にそのトレンドは反転した。よりアスレティックで多才なフェデラーは、図体の大きいオーストラリア人より断然優れていた。しかし彼でさえ、純粋なサーブ&ボレーヤーは過去の遺物であると信じている。「それは厳しい。むずかしいよ」とフェデラーは認めた。彼は2004年オーストラリアン・オープン・タイトルへの途上では、ほとんどサーブ&ボレーをしなかった。「ロディックのようなサーブ、そしてヘンマンのボレーを持っていなければならないようなものだ。それを身につけるのは大変だ」

男子のサーブ&ボレーヤーがウインブルドンで勝つためのゲームを持ちがたいなら、女子はどうなるのだろうか。「もしセレナより少しでも劣るサーブでネットに詰めるなら、それは負ける率の高いゲームでしょうね」とシュライバーは説明する。「リターンでひどい目に遭うでしょう。私が関わってきた25年間、リターンはサーブよりも進歩してきたわ」

「テニスはパワーゲームへと発展してきたわ」と、 5フィート5インチのレイモンドは同意する。「女子はもっとずっと強くて、フィットしている。だから彼女たちはグラウンドストロークとリターンをより強打している。ネットをカバーする事はさらにもっと厳しくなってきた。タイプで言えば、セレナは確かにサーブ&ボレーヤーに進化しうる候補者でしょう。彼女には驚異的な運動能力があり、とても強くて速い」

何年も昔に「ビッグ・ビル」*チルデンが意見を述べた。「完璧なベースライン・プレーヤーと完璧なネット・ラッシャーの試合なら、いつでもベースライン・プレーヤーの方が勝つだろう」と。将来のチャンピオンは、2つの別の学校 --- サーブ&ボレーかベースラインか --- からではなく、むしろスタイルの混じり合ったところから出現してくるだろうと、シュライバーは考えている。「ロジャー・フェデラーは素晴らしいオールコート・テニスの技術を持っていて、もし彼が選ぶなら、サーブ&ボレーもできる。将来のチャンピオンは、いくつかの異なったスタイルを、同じように快適にプレーする事ができるでしょう」
訳注:チルデンはシングルスにおいてはベースラインからプレーをした。

過去25年間、トップのシングルス・プレーヤーがダブルスをやらなくなってきた事は、サーブ&ボレーの衰退と並行し、おそらくその傾向に拍車をかけてきた。ATPダブルス・ランキングのトップ25チームに、シングルスのトップ25に入る選手はいない。それは男子シングルスのトップ選手は、ほんのたまにしかダブルスをやらない、あるいはあまり上手くないという事を意味する。いずれにしても、これらのベースライン・プレーヤーが両方をしないなら、彼らはサーブ&ボレーの技術も、時おりでもシングルスでそれを試みる自信も欠くだろう。

何人かのプロはその重大な関係に気づき、問題を修復しようとしている。「エドバーグと僕を除いて、サーブ&ボレーをするスウェーデン選手はほとんどいなかった」とビヨルクマンは言う。「エンクイスト、(トーマス)ヨハンソン、 ノーマンは、以前はめったにダブルスをしなかった。いま彼らはダブルスをする。ボレーを上達させたいからだ」

それとは正反対に、女子シングルスでトップ30の選手の11人は、WTAの個人ダブルス・ランクでも30位中に入っている。しかしショッキングなのは、ほんの少数しか --- レイモンドによると25パーセント程度 --- ダブルスでサーブ&ボレーをしないという事である。「女子はもうサーブ&ボレーをしない。およそ3〜4チームがいつもサーブ&ボレーをするだけで、残りは1試合で3回程度。リンゼイ・ダベンポートが私とダブルスを組むと、シングルスでの彼女のボレーに役立つわ」

バージニア・ルアノ・パスカルと組んでダブルス1位の、傑出したベースライン・プレーヤー、パオラ・ スアレスにそれを話してごらん。スアレスは彼女の全ダブルス・キャリアにおいて、一度もサーブ&ボレーをした事がないと、何の悔いもなく打ち明けるのだ!

確かにあらゆるプレースタイルは、それぞれ魅力がある。しかしながら、大量のエースとサービスウィナーが見ていて退屈するように、果てしないベースライン・ラリーは見る者の忍耐心を試すという事に、多くの人は同意するだろう。一方、2001年USオープンの観客は、ヒューイットとアンディ・ロディックの強打し、吠えるベースラインの闘いを愛したが、同じくサンプラス /ラフター戦では、矢継ぎばやのネットでの決闘を含め、見事なショット・メイキングを楽しんだ。

サーブをする事とボレーをする事には、ある種のパラドックスが存在する。サーブは、その最高のものは優美で素晴らしいが、テニスのショットの中では最少の運動能力しか必要としない。ボレーは、より正確に言えばネットに攻める事は、最高の運動能力を披露する。ネットへの突進、反射神経、タッチボレーはもちろん、後方へ戻ってのジャンピング・オーバーヘッド --- それらはファンにとって華々しいショーであるだけでなく、プレーヤー自身にとっても、わくわくするものなのである。

「サーブ&ボレーが上手くいき、試合を支配している時はとても楽しい」とデントは感激したように言う。「とてもエキサイティングだ」とサンプラスも同意する。「パワーと攻撃性で試合に臨み、もし上手くプレーしていたら、負けを知らないように感じる」

同じく、外向型のビヨルクマンは他の理由でそれを楽しむ。「僕は、特にUSオープンで、自分の運動能力と個性を披露するのが好きだ。アメリカ人、特にニューヨーク市民は、いつも応援してくれるようだ」とビヨルクマンは言う。「ネットでの目を見張るようなショットは、しばしばファンから最大の反響を得る。そしてやる気満々の姿を見せ、彼らは絶叫し、僕は彼らと目を見交わす。そうしたらもっと自分を見たいと思わせられるよ。エキサイティングだからだ。そしてファンを自分の側につけるんだ」

もしその自我の満足感が、ジュニアにとってサーブ&ボレーを試みてみようという動機づけにならないなら、おそらく2人の元ウインブルドン・チャンピオンからの激励の言葉は、動機づけになるのではないか。「ネットに出る者はバックコート・プレーヤーを負かすだろう」と、グランドスラムで7回優勝したマッケンローは強く主張する。1987年優勝のキャッシュは、「次代の本当に偉大な選手はサーブ&ボレーヤーになるだろうと信じている。なぜなら戦術として大いに有利だからだ」と予測する。

サンプラスと、47歳においてなおネットに出る流行遅れのやり方でダブルス大会に勝っているナブラチロワが、彼らが決して意図しなかった方法で、最後のサーブ&ボレー・チャンピオンとして歴史を作るとしたらどうだろう?

「それは悲劇でしょうね。サーブ&ボレーの様式を失う事は、テニスにとって恐ろしい損失だから」と、マッケンローと組んで1977年フレンチ・オープンのミックス・ダブルスの栄冠を勝ち取ったカリロは結論づける。「私はサンプラス / ラフター --- 2人の大いにアスレティックなサーブ&ボレーヤー --- の対戦が好きだった。驚くような、素晴らしいものだったわ」

「かつては素晴らしいライバル関係があったわ。マッケンロー / ボルグ、クリッシー / マルチナ、サンプラス / アガシ」とカリロは言う。楽しみは、彼らは全く異なるプレースタイルで、それぞれ違ったやり方でポイントを取った事だった。

「もしテニスがそれを失ったら、楽しみは大いに減少するでしょう」とカリロは力説する。「それがとても残念だわ。いくつかの見事なベースラインでの試合は、多分サーブ&ボレーの試合と同じくらい、やはり興味をそそられる。でも結局のところ、私は異なったスタイルの激突が見たい。異なった戦略のぶつかり合いが見たい。私がこれまでに見た中で最高の試合は、みんなそういうものだわ」


彼らの言い分

「それはザレ言だ。ゲームに影響のあるもっと重要なたくさんの問題を我々は抱えているというのに、1群の年配の輩が座して不平を言っているのは良い事ではない」--- ブラッド・ギルバート。元世界4位で、現在アンディ・ロディックのコーチは、ラケット幅に関する規則の変更を求めるITFへの請願を非難している。

「70年代にはサーブ&ボレーヤー、ベースライン・プレーヤーと、多くの対照的なスタイルがあり、スマートさがあった。現在、テクノロジーの進化により、我々はそういうものを失った。ガンガン強打する者ばかりだ。テニスはかなり退屈になってきていて、我々はその状況に対処する必要がある」--- ジェームズ・ブレイク。元ハーバード大学学生。現在世界41位。

「私にとっては、それはほとんど哲学的な命題である。ステイバックするという事は、リスクを冒さないという事で、それで満足なら、単調な人生でかまわないという事である。攻撃するテニスとは、チャンスを掴みにいく事、人生において前進する事である。それはほぼ本質的に、人をより興味深い人間にする」---マリー・カリロ。「サンフランシスコ・クロニクル」紙より。

「バラエティーは人生のスパイスである。多様性はテニスを素晴らしいスポーツにするものである。ベースライン・プレーヤー対サーブ&ボレーヤーの対決 --- それが人々の見たがるものである。しかしこのごろ私が目にするものは、ベースラインからラリーする、どちらかと言うと単調なスポーツである。バランスを復活させるつもりなら、何かがなされなければならない」--- ジョン・バレット

「個人的には、プレーヤーの技能をより必要とするラケットで行われるゲームが見たい。現代のラケットはとても許容性が高いので、もはやスイートスポットでボールを捕らえる必要がなくなっている」--- ホセ・ヒゲラス。元世界トップ10のベースライン・プレーヤー。ジム・クーリエ、トッド・マーチン、ピート・サンプラス、カルロス・モヤなどのコーチを務めた。「ニューヨーク・タイムズ」紙より。ヒゲラスはITFへの公開状に署名した。

「男子テニスは退屈だという話を聞く時、それはテニスそのものについてでない事は、私には明白だ。我々がいまコートで見ているものの質は素晴らしい。男子テニスはパワーゲームになってきた。……しかし一面的なゲームになったのではない」--- パトリック・マッケンロー。合衆国デビスカップ監督でESPNの解説者。「ニューヨーク・タイムズ」紙より。

「ピート(サンプラス)やゴラン(イワニセビッチ)、ミハイル・シュティッヒやベッカーが大きくてパワフルで、そしてテニスを支配していた時代に、なぜ(ラケットの問題が)大きな議論とならなかったのか僕は分からない。当時はサーブがベストショットではなく、コートを走り回るタイプの選手でトップにいた人は少なかった。僕にはこの議論の要旨がよく分からない」--- アンディ・ロディック

「1ポイントは長くかかるようになっている。しかし選手はベースラインに留まり、大した考えやインスピレーションもなく、できる限りハードに打っているだけだ」--- バド・コリンズ。「テニスの殿堂」入り記者であり、NBCのテニス解説者。彼は技巧をテニスに取り戻すために、ラケットのサイズはもっと前に限定されるべきであったと考えている。

「私はいつも、ベースラインに留まるよりも、むしろサーブ&ボレーのスリル満点なテニスを楽しんだ。そこには多くの優雅さがある」--- マーガレット・コート。史上最高の選手。1980年「テニスマガジン」より。