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デイリー・ブルーイン (日刊クマさん新聞? UCLA=カリフォルニア大学ロサンジェルス校の学内新聞と思われる) 2005年5月10日 彼女自身の名をあげる 文:Andrew Finley |
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ステラ・サンプラスは弟の陰を逃れ、テニス界に自分の居場所を見出した |
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ステラ・サンプラスの履歴書には、称賛すべき印象的なリストが並んでいる。ジュニア時代には地区のベスト・プレーヤー、大学では4回オール・アメリカン選手となり、現在はUCLAでエリート女子テニス・プログラムのヘッドコーチを務めている。 それでもなお、まず人々の注意を引くのは彼女の苗字である。 14回のグランドスラム・チャンピオンであるピート・サンプラスの姉として、彼女は質問されたり似ていると言われたりしてきたのだ。 「あなたの弟はどうしてる?」彼女がプロツアーにいた頃、レポーター達が尋ねたものだった。 「2人はよく似ている」とコメントされたものだった。 時にステラ・サンプラスは、ジュニア時代の注目を失った事、プロとしては日陰の途へ踏み出した事にもがいていた。ウエストウッド(の下部ツアー?)で過ごしていた時期、弟がテニス界の頂点へと昇っていくのを、彼女は遠くから見守っていた。 |
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それでも彼女は、自分自身の業績にかつてないほど満足感と誇りを感じてきた。この自負心は、彼女が独力で確立した遺産の結果なのだ。 「UCLA にいると、私は自立していると感じる。これは私がしてきた事だから。チームに所属した事、アシスタント・コーチ、そして今はヘッドコーチとして、多くのものを得てきたわ」 「ここは私自身の場所。ピートはいなかった。私がこの仕事を得るのに、彼の助力があった訳ではないわ。ここは私の家。私が得たもので、それをとても誇りに思っているわ」 コートでの闘い 彼女は指導する選手達と次の全米大学選手権へと準備を整え、いっぽう弟は引退した事で、テニスに関する家族内の注目は今やステラ・サンプラスが独り占めしている。だが南カリフォルニアのジュニア選手だった頃は、彼女とピートの競争は激しかった。 「私たちが対戦する時には、確かに闘いだったわ」とステラは語った。「私は彼に負けたくなかったし、彼は私に負けたくなかった。両親が監視して、私たちがインチキをしていないとハッキリさせなければならない事もあったわ。つまり、彼がインチキをしていないって事をね」 姉弟は同時期にテニスを始めたが、ステラが8歳でピートが6歳の頃は、試合はおおむね姉の方が優勢だった。ピートがついに姉を負かしたのは8年後だったと彼女は記憶しているが、彼は恐らくもっと前だったと思っているだろうと付け加えた。敗北の恨みを家にまで持ち込みはしなかったが、それでも家族は姉弟のライバル心を感じていた。 「彼らは試合に熱くなり、それぞれ勝利を奪われた、インチキされたと考えていたものだったよ」と、サンプラス4兄弟の最年長であるガスは語った。「とても競争心が強かった」 練習での競い合いは、各々ジュニア大会での活躍に繋がった。だがステラ・サンプラスは彼女の年齢区分でトロフィーを獲得していた一方、ピートは年長のグループで質の高い勝利を時に収めていた。ステラはより立派な戦績を誇ったかもしれないが、ピートは持って生まれた才能と果てしない可能性により、周りの注目を集めていた。 「ピートは生まれつきの才能、ステラは努力家だった。ステラは意欲とやる気によって、伸びていこうとしていた。しかしピートには生来の才能があった」 ピートへの過剰な称賛に、ステラが嫉妬と悔しさを感じない訳ではなかった。彼女はピートをテニスの天才というよりも、自分の弟として見ていたからだ。 「幼い時は、両親や周りの人々から注目されたいものだわ。そして兄弟が多くの注目を浴びていると、自分がそれを欲しいと思うようになる。自然な感情だわ」 注目だけでなく、姉弟間の試合結果もピートが優勢になり始めていた。ステラを含めて家族はみんな、ピートが勝ち続けるようになるのは時間の問題にすぎないと分かっていた。17歳までには、敗戦はステラの自我を傷つけるものではなく、現実の一部となっていた。 「私はただ自分が良い、素晴らしい選手であると証明したかったの。そしてそうなった。私はとてもよくやった。けれども彼とは比べものにならなかった」 別々の道を辿る ピートはプロ入りし、ステラは1987年に UCLA へ入学し、彼女の嫉妬の感情は収まっていった。大学はプロ入りに代わる残念な選択肢ではなかった。それは彼女の最高の目標だったのだ。 「最初に進路を選択する時点では、プロツアーに出たいと思わなかったの」と8月に双子を出産予定のステラは語った。「ただ学び、大学生活を楽しみ、そしてテニスで順調にやりたいと考えていたわ。教師になり、結婚して子供を持つというのが望みだった」 弟は世界最高のプレーヤーになりたいという思いに駆られていたが、ステラは自分が学校で成し遂げうる事にモチベーションを感じていた。奨学金を得て学生生活を楽しむ事は、毎週旅行して、世界のトップ20選手になる事より彼女にとっては重要だった。弟とは違う道を選び、数年前に感じた苦い思いはなくなっていた。 「大学では、私には自分のアイデンティティーとでもいうものがあった。ピートや他の誰とも関係なかった。私は独り立ちできたし、それが目標だったわ」 UCLA のコートで、彼女は早くから自分自身の独自性を発揮した。1年生の時には、全米大学ダブルス選手権で優勝した。ピートが1990年USオープンでメジャー初優勝を遂げた時までには、ステラはチームをベスト4まで3回導き、そしてオール・アメリカン選手に3回選出されていた。 「ピートへの注目を共有するのではなく、彼女は UCLA とチーム内に自分の名前を刻み込む事ができたのだ」とガスは語った。 テニスに打ち込み、素晴らしい成功を遂げ、結局ステラは弟に続いて、プロテニスに挑戦する事にした。だがおおむね、彼女は日陰の存在だった。 「私が彼の姉であると分かった途端に、マスコミは私にインタビューしたがったわ。私についてではなく、彼について質問した」 100位にも入っていない選手としては、異様に多くの観客が集まった。そしてそれは、自分が何者かというせいであって、自分のする事のためではないと彼女は気付いていた。 「みんな私をピートの姉として見ていた。大いに注目されたけれど、私は注目されたいと思わないの。居心地がよくないわ」 「それよりも、ただ私のテニスを見てもらいたい」 ステラが1年プロツアーに在籍した間に、彼女の弟は半ダース以上のシングルス・タイトルを獲得した。ピートと同じ領域で競う中で、彼女は重い期待を感じ、そして大学で得てきたものを失った。 「ツアーでは、プレッシャーを感じていたわ。私の独自性というものはなかった」 自身のレガシーを確立する プロツアーから退いたのは、プレッシャーではなく過酷なライフスタイルのせいだったとステラは主張する。1993年、当時 UCLA のヘッドコーチだったビル Zaima から、コーチング・スタッフへの誘いを電話で受けたが、それは彼女にとりとても魅力的な選択肢だった。 UCLA に帰り、ステラはプロツアーでは見失っていた快適な領域に戻る事ができたのだ。1996年に Zaima は引退し、ヘッドコーチの座をかつての教え子に手渡した。それから9年、ステラはプログラムの先頭に立ち、それをかけがえのないものと感じてきた。 「私は多くの事をしてきたわ。そして同僚は私がしてきた事、得てきたものを分かってくれている。彼らは私をピートの姉として見ていない。私をステラ、UCLA のヘッドコーチとして見てくれる」 弟の地位は雇用決定には関与しなかったが、ステラがヘッドコーチになってからは、それは素晴らしい恩恵となってきた。彼女がヘッドコーチに就任した最初の年、ピートは奨学金を提供し、プログラムへさらに10万ドルの援助を行った。 さらに、彼女の苗字はもはやプレッシャーや嫉妬の源ではなく、選手勧誘に役立っているかもしれないとステラは認めている。チームの選手達は学校を選ぶ際、UCLA がサンプラスと提携しているという点に特別な興味をそそられたと語った。 「興味を感じているなら、それは素晴らしい利点だわ。彼らは私について既に何か知っているという事だもの。他の学校については、コーチの素性を知らないかもしれない。でも彼らはピートがコート上で何者であるか、そして彼がどんな人間であるかもきっと知っているのだわ。それは私たち家族の特質を反映している」 「彼らは私たちが親密な家族で、品性があると知っている。その事は他校との差をつけるのに役立つでしょう」 ピートが2002年に引退してからは、親密さはいっそう明白になってきた。この数年、彼は選手達のホーム試合をよく観戦し、昨シーズンはチームの宴会にも出席した。 「最初、1年生はスターの存在に少しばかり目がくらむでしょう。でも他の選手達は彼がいるのをしょっちゅう見ているから、それほど大事件ではないわ。彼は選手の何人かと話をしてきたし、選手達は彼のことを、信じ難いほどの才能を持つごくまっとうな男性と見ているわ」 ピートの才能は、今やステラにとって誇りの源で、彼との激しい闘いは、子供時代の思い出である。プロツアーでの経験は補足的なもので、UCLA における彼女のキャリアが前面にあるのだ。なぜなら、ここは彼女が一度も陰にいた事のない場所なのだから。 |
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*ヘッドコーチ就任以来、ステラ・サンプラスは133勝67敗の戦績を達成してきた。 |
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サンプラス家の緊密な絆、中でもピートとステラの仲の良さは、よく知られていますよね。 ピートの試合をいちばん見に来ていたのもステラだし、結婚パーティーのお皿を割る儀式? の際に、ピートに付き添っているのもステラ。 ピートも記事中のエピソードの他、姉の元へランチを差し入れに行ったりしていました。 ウ〜ン、こんな弟がほしかった! それでも、ピートに対するステラの思いは、いろいろと複雑な時期もあったのですね。 いくらかは聞きかじっていましたが、この記事では彼女の葛藤・心情が最もつまびらかに されていると感じました。 自分とは別次元の才能と成功を手に入れていく弟……仲がいいだけに、そしてピートが変 わらないだけに、余計にやるせない思いに囚われる事もあったのでしょうか。 (一時期クーリエにもそんな思いがあったのかなぁなんて考えた事があります) 昨年だったか、ステラの夫が仕事上のトラブルで訴訟沙汰になるとかなんとかいう話を耳に しました。無事に解決したのなら良いのですが。 ピートも今度は双子の叔父さんか。サンプラス一族は増殖中……。 |