アメリカ版テニス
2006年4月号
彼らは今どこに?
ピート・サンプラス
引退生活、それは不愉快な仕事である
文:Peter Dopkin


史上最高であろうとされる選手にとって、ゲームから離れるのは困難な事だったのかも知れない。しかしピート・サンプラスにとっては、同じく適切な事でもあった。彼は14回目の、そして最後のグランドスラム・タイトルを獲得した後、終わりへと向かった。 彼を待っていたのは休養とくつろぎであった。まあ、それと果てしないおむつ交換か。 幼い子供を持つたいていの父親のように、おしめを汚した1歳の子供が泣きわめく時、キャリアへの称賛は大した意味がない。

しかしながら、4千3百万ドル以上の賞金を稼いできて、30代半ばで、運動能力が高くて完全主義者なら、ゴルフをする以上に良い活動などあるだろうか? 決して満足がいく筈もなく、常に取り組むべき何かがあるのだ。そして、もしプレー料金が問題でないなら、それは1日を過ごす愉快な方法である(特に、7歳の時からノンストップでテニスをしてきたのなら)。

サンプラスは週に4〜5回、ゴルフコースを叩いている。そして、どうにかハンデを1桁にした(どのくらい低いのかは明らかにしないが……。時によって変動しうるから)。同じく、新発見の余暇を利用して、サンプラスは休暇をとる事ができた。そして、ラケットを持たずに旅行する事ができた。

ゴルフとポーカーで数年を過ごした後、サンプラスはもう少しやり甲斐のある何かを探していた。34歳のサンプラスにとって、50年間働いてから引退した者のように時を過ごすのは、満足いかなかった。そこで、彼は『ワールド・チーム・テニス』に関わり始めた。投資家グループ(『 TENNIS 』と『 SMASH 』の出版社も含む)にも加わった。このグループはインディアン・ウェルズの『パシフィック・ライフ・オープン』大会を維持している。そして彼はヒューストンでエキシビションに出場している。

「ただエキシビションでプレーする以上の意味があるだろう」とサンプラスは言う。「僕が必要としたのは、毎日の生活における集中と準備の意識だったと思う。何もしないでゴルフをしていると、少しばかり空しく感じるようになるんだ。プレーすると決めるのと、その契約をするのは、最大のハードルだった。それを済ませたら、翌日にはランニングを始め、少しボールを打ち始めた。それが僕の求めていた事だったと思う。必ずしも競争心旺盛になり、誰であれ対戦相手を倒したくてたまらないって訳じゃない。日々の生活に、今までよりも集中心を与えてくれたという事だと思う」

サンプラスは付け加えた。「プレーする時、どんな風に感じられるか分からない。僕はヒューストンで2週間後にプレーする。そしてこの夏プレーする。どんな風になるか分からない。恐れる事もあり得るだろう。楽しく感じる事もあり得るだろう。まったく分からない。だが準備と集中、そして朝目覚めて、1日に何らかを構築するのは、僕がずっとしてきた事で、必要としていた事だ。

それを止めて、禁断症状になった。だから、なすがままでいるのは簡単じゃない。最初の2年くらいは楽しかった。でも、その2年の後、ゴルフとカードをプレーする以上の事をやる段階にきた。僕はまだ若いし、誰でも目的意識を必要とするんだ。そしてテニスは僕が愛するもので、それに戻るのはとても容易い」

「へとへとに疲れるほどではないが、週に3〜4日ジムでとび回ったり、3〜4日ボールを打ったりしている。今でもゴルフをしたり、楽しい事をしたりできる。だが結局のところ、何かを成し遂げた、何かをしたと感じたいんだ……。僕はずっと働いてきたし、ほんの少し道筋にのり、かなり得意だった事をするのを楽しみにしているよ」

運動選手をそれ以外の者として想像するのは、時に難しい。特に最高の運動選手の場合は。サンプラスが完全にキャリアを終えて、引退を楽しんでいたと信じるのは困難だ。 ――彼はまだ、ほんの34歳なのだ。しかしこのカリフォルニア育ちの男は、不明確だった空虚を満たし、新しい人生で成功する用意ができている。それがコート上であれ、投資事業であれ、あるいはおむつ交換の終了であれ、もしサンプラスがコートにいた頃の半分も首尾よくいっているなら、彼は幸運な男であるだろう。




<おまけ>

ピート・ファミリーの最新写真です。2006年4月29日、『Silver Spoon Dog and Baby Bufeet』という催しの2日目に家族で出掛けた時のもの。
クリスチャン君もライアン君も、ずいぶん大きくなりましたね。3歳半になろうという長男を片手で抱き上げるブリジット! ピートは両手だっつーのに。母は強し……。