テニス・チャンネル
2007年12月11日
途方もないエキシビション
文:Steve Flink


私はテニス報道の現場で活動してきた間、ほぼ全面的に、エキシビションを見るのは原則的に避けてきた。あまりにもしばしば、これらの場では選手たちはお義理のプレーをする。大衆にほどほどの娯楽を提供するが、能力の限界まで探究する事は滅多にしない。さらに、多くの場合、最初の2セットを分けて、第3つまりファイナルセットを公明正大にプレーするという暗黙の合意がプレーヤーの間にはある。経験豊かな観戦者は、大物の競技者の間でコート上に起こる現実は、エキシビションを取り巻く誇大宣伝ほどではない事を承知している。

いずれにせよ、先週ロジャー・フェデラーとピート・サンプラスが行った3試合のエキシビション・シリーズは、明らかに例外だった。11月20日に韓国のソウルで行われた初戦は、立派であるが最上とは言えず、フェデラーが比較的容易に6-4、6-3で勝利した。だがその後の2試合は、観戦するのが喜びとなった。

第2戦と第3戦で双方の男たちが披露したテニスは、彼らが請け合いえた以上に注目に値するものだった。11月22日にマレーシアのクアラルンプールで、フェデラーとサンプラスは堂々とプレーし、スイス人が7-6(6)、7-6(5)で勝利した。そして11月24日、中国のマカオでは、予想外にもサンプラスが7-6(8)、6-4の勝利を挙げてイベントは終了した。

ソウルではサンプラスが先に抜け出し、第1セットで4-2、15-30のリードを取った。第1セット4-3のサービスゲームでは、サンプラスが2本のゲームポイントを握っていた。第2セットでは、彼はファーストサーブの後にステイバックして、バックハンドで回り込み、トレードマークであるストレートのフォアハンド・ウィナー、あるいはインサイド・インとも言うショットを狙った。彼は惜しくも失敗した。

その後はフェデラーが支配権を握った。第1セットで後れを取ってから、彼は9ゲームのうち8ゲームを続けざまに取り、第2セットを4-1として試合の主導権を完全に掴んだ。目も眩むような彼のフォアハンドは圧倒的で、多くのリターンを返してインプレーにしたのは見事だった。

しかしサンプラスは調子が合わず、ある時点では4回のうち3回のサービスゲームを失った。彼は至近距離からの比較的易しいバックハンド・ボレーを驚くほど頻繁にミスした。彼の規準から言えば簡単なショットを。良い兆候は、彼がファースト、セカンドともサーブの後でネットへ確実に詰め、巧みにポジション取りをしていた事であった。悪い方は、彼が最初のリードを生かしていないという事だった。サンプラスは9回のサービスゲームで印象的な10本のエースを放った。しかし第1セットにおけるファーストサーブの確率は50%を下回っていた。

マレーシアでは、雰囲気はいっそうお祭り気分のようになり、プレーヤーはそのすべてを次のレベルへと引き上げた。そしてサンプラスは自分の立場を把握し、2日前よりもゲームの質を計り知れないほど上げた。興味の尽きないこの競演では、両プレーヤーともサービスゲームを失わなかった。両者とも素晴らしい状態で、喜びと活気に満ちた観客は、感謝祭に目撃している試合に魅了された。非常に速い室内コートで、両選手とも並はずれて正確な、多彩で読みづらいサーブを放った。今回は、サンプラスはコート前方で傑出したプレーを披露し、驚くほど巧みにボレーをした。彼のバックハンド・ボレーは名手にふさわしいものだった。一方フェデラーは、細心の注意を払ったグラウンドストロークでサーブをバックアップし、ネットへもしばしば出てサンプラスを戸惑わせた。

ここでの結果は、第1セットのタイブレークで大勢が決した。フェデラーが4-5でサーブを迎え、サンプラスはセカンドサーブで攻める気配を見せた。フェデラーはアメリカ人のバックハンド側にキックサーブを打ち、サンプラスは早めにそれを捕らえ、トップスピンでストレートに抜こうとした。サーブがあまりにも良かったため、サンプラスのリターンはワイドに切れた。6-6では、サンプラスはセットポイントをセーブした後、ファーストサーブをバックハンド側に深く入れた。フェデラーはリターンを低く沈めたが、サンプラスはフォアハンドのハーフボレーで巧みに拾い上げ、クロスコートへ攻撃的に返し、ボールを低く、深く保った。フェデラーは、恐らく彼のショット・オブ・ザ・マッチで応えた。払うようにフォアハンドのパッシング・ショットをストレートに打ち、高い弾道の驚くべきウィナーを放ったのだ。アメリカ人のリーチに届かない、じらすようなウィナーだった。彼だけが成功させうる驚異的なショットだった。1ポイント後、セットはフェデラーのものになった。

第2セットでは、フェデラーは最初のゲームでブレークポイントを逃れ、第5ゲームでは0-30から持ちこたえた。そしてサンプラスのサーブで3-4、15-40となった時、勝利は目前かと思われた。デュースコート・ワイドへのスライスサーブのエース、そしてバックハンドへの強烈な返球不能のファーストサーブで、サンプラスはブレークポイントを逃れる事ができた。必然的に、彼らはまたしてもタイブレークに突入した。そしてフェデラーが見事なカウンター・アタックを決めて6-3とし、3本のマッチポイントを握った。頑固なサンプラスは2本のマッチポイントをセーブした。2本目は両者がネットで対峙するなか、サンプラスが才気あふれるバックボレーのウィナーでフェデラーを抜いた。しかしフェデラーは次のポイントで勝負を決めた。

そうしてフェデラーはマレーシアでも勝利を収め、サンプラスに2連勝した。だがその前に、アメリカ人は中国でサプライズを起こしうるだけの種を植え付けてていたのだ。マレーシアの対戦で、サンプラスはファーストサーブの確率を70%にまで上げていた。そしてマイティ・フェデラーと同様に、彼は確信をもって自分のサービスゲームをコントロールしていた。両者がどれほど入念に自分のサービスゲームに気を遣っていたかを、統計値は物語っている。サンプラスは79のサービスポイントのうち60を勝ち取り、一方フェデラーは79のうち61を獲得した。彼らの方法論は対照的で、フェデラーは時折サーブ&ボレーを織り交ぜるだけだったのに対して、サンプラスは試合を通して6ポイント以外はすべて、サーブの後にネットへと詰めた。

いずれにしても、2人の誇り高き競技者は、中国ではさらに速い室内コートで立派に務めをやり遂げた。最初の2試合と同様に、私はテニス・チャンネルで観戦していたが、放送電波を通して競技場の熱狂を感じ取る事ができた。フェデラーとサンプラスはその興奮からエネルギーを得て、さらなる一級品の仕事を生み出しているようだった。この時には、サンプラスは最初から彼の意図を明らかにした。彼はこの対決にすべてを注ぎ、結果にはこだわらずに行こうとしていた。フェデラーも同様の態度を見せていた。最初の2回のエキシビションでは、彼らは多くの愉快な場面を楽しんでいた。微笑み合い、ポイント間には優しくからかい合い、それから大して問題なく激しさを取り戻していた。サンプラスはとても楽しんでいるように見え、フェデラーは対戦相手がもたらす愉快な息抜きを歓迎していた。

しかし今、中国で、第1セットでは両プレーヤーが同様の陽気さを披露したが、その後はネットの両側とも激しさのレベルが高められた。両者とも今夜はサンプラスが勝つかも知れないと気付いたからのようだった。彼は最初の3回のサービスゲームで7本のエースを放ち、初めから全力で来た。フェデラーも同様だった。第1セットの5-6では、 フェデラーはファーストサーブでエースを連発し、さらにセカンドサーブでもエースを取って、サンプラスにボールを触らせる事なくラブゲームでキープした。しかしサンプラスはタイブレークで賭に出た。フラットのフォアハンド・クロスコート・リターン・ウィナーを放って2-1とし、観客のどよめきを引き起こした。その後5-3でサンプラスはサーブを放ったが、フェデラーの掬い上げるような素晴らしいバックハンド・パスにより、ハーフボレーをミスさせられた。

両者とも全くもって真剣な様子で、神経をすり減らす一連のポイントを戦い続けているようだった。5-6の場面では、サンプラスはバックハンドへの雷電のようなサーブでセットポイントをセーブした。フェデラーもまた、6-7のセットポイントをフォアハンドへのサービス・ウィナーでセーブして応えた。7-8の場面で、サンプラスはフェデラーが制しきれない脅威的なファーストサーブで2回目のセットポイントをセーブした。そして2ポイント後に、彼はセットを勝ち取った。空いているフォアハンド・コーナーへとフェデラーの裏をかき、セカンドサーブに対するフォアハンド・リターン・ウィナーを決めたのだ。

第2セットに入ると、フェデラーは明らかに試合を自分の側へ引き戻したがっていた。そしてそうしかかった。彼は土壇場のエースでブレークポイントをセーブして2-1とし、次のゲームではサンプラスを0-30まで追い込んだ。次のポイントで、サンプラスはコート中央にセカンドサーブのエースを炸裂させ、そのままキープした。3-4でサンプラスがサービスを迎えると、フェデラーはマジックを発動させ、決定的なブレークを狙った。40-15で、サンプラスはフェデラーのバックハンド深くに、サイドスピンの利いたフォアのファーストボレーを見舞った。なんとかフェデラーはハーフボレー気味の鋭いクロスコートへのパスを放ち、それは想像しがたい角度でクリーンなウィナーとなった。40-30では、サンプラスはセカンドサーブの後にステイバックした。フェデラーはそれを見逃さず、バックハンドを回り込んで火花のようなフォアハンド・リターンのウィナーを決めた。

サンプラスは3-4デュースの局面に直面した。セット、そして恐らく試合そのものが掛かっている場面だった。彼の返答はどうだったのか? 冷静に、そしていかにも彼らしく、またしてもエースをセンターに決め、次にはスリル満点のやり取りを強力なスマッシュで勝ち取った。彼は4-4とした。それから、 彼は続くゲームで襲いかかった。15-30のサービスでフェデラーが、多分ごくわずかに不安が兆したのか、ワイドのオープンコートへと楽に打てるありふれたインサイド・アウトのフォアハンドをネットに掛けた時に。ダブルのブレークポイントを握り、サンプラスは短いボールを捕らえて、クロスへの破壊的なフラットのフォアを放った。そして前進してインサイド・アウトのウィナーをオープン・スペースに決めた。

5-4、サービング・フォー・マッチを迎え、サンプラスは全盛期の彼のようだった。ファーストサーブを1本も外さず、30-0から14本目と最終エースを放ち、堂々たるラブゲームでキープしたのだ。マレーシアでと同じく、サンプラスとフェデラーはサーブで相手にほとんどポイントを与えず、称賛に値した。サンプラスはサービスポイント68本のうち52を勝ち取り、一方フェデラーは68本のうち49を決めた。それはサンプラスにとって途方もなく喜ばしい瞬間に違いなかった。彼は自分の戦術を守り通し、7ポイント以外はすべてサーブ&ボレーを行い、ファーストサーブの確率は72%だった。彼はこのシリーズ最後のエキシビションという舞台で、ついにフェデラー を止めたのだ。しかし試合が終わると、彼はいかにも彼らしく控えめで、ネットで敬意を込めて微笑んでいるフェデラーに挨拶をした。史上最高のプレーヤーを完全に理解できるのは、同じく史上最高の者だけである。そしてたとえエキシビションに過ぎないとしても、サンプラスにはそれを繰り返して言うつもりはなかった。満悦する事はなかった。決して。勝利における彼の上品さは、敗北における威厳よりさらに印象的だった。フェデラーも劣らぬスポーツマンだった。

36歳のサンプラスと26歳のフェデラー、合わせて26のメジャータイトルを有する2人の尊敬に値する男たちにとって、全てが終わった。3月にはニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで、彼らは再びエキシビションを行う。しかし、アジアでの出来事を思い起こし、彼らのニューヨークでの再戦を楽しみにしながらも、フェデラーとサンプラスがマレーシアと中国で披露したテニスは非常に胸の躍るものであったと、私は繰り返さずにいられない。

ソウルでの始まりから、サンプラスは劇的に進化した。そしてそこまで自分のゲームを引き上げた事を、彼は誇りに感じてしかるべきだ。フェデラーとの最後の2戦ではサービスゲームを失わず、その2対決では1回のダブルフォールトさえ犯さず、かつて彼がどれほど堂々としていたか、そして今でも偉大であり得るかを皆に思い出させる事、それは並みの偉業ではなかった。確かに、彼にはフェデラーよりもこのシリーズで良いプレーをする誘因があった。フェデラーは長く消耗する2007年のキャンペーンを終えたばかりで、上海のテニス・マスターズカップ優勝で公式のビジネスを終えていた。フェデラーはサンプラスと同じく立派に振る舞った。楽しみ、できる限り懸命に競い、絶えず彼の品位とプロ意識をはっきりと表に出した。

ここでの印象としては、フェデラーはシリーズを全勝するつもりだったのだろう。たとえサンプラスが試合ごとに調子を上げていると承知していても。もしかしたら彼は最後のエキシビションでわずかにガードを下げたのかも知れないが、恐らくそれはなかっただろう。要は、サンプラスは何年も競技から遠ざかっていたが、フェデラーとの試合に備えて入念に調整してきたという事である。その仕事ははるかに厳しいものだった。彼は5年前に男子ゲームを去っていたからだ。彼は自身に多くを強いていた。現在の支配的プレーヤーとコートで向かい合うために。そしてなお、最後には大いなる称賛に値する勝利をもって自身に報いた。

誤解しないでほしい。エキシビションは記録に残らない。プレーヤーは充分にそれを承知している。サンプラスは勝利の後、メディアに「調子に乗りすぎないようにしよう」と語った。彼は状況を理解し、真相を正しく捉えらえたいと望んだからだ。だが、初めに言ったように、これらの対決には、彼らをいっそう魅力的に、人を惹き付けずにはおかなくする途方もない何かがあった。彼らのお楽しみエキシビションは、両者の側に議論の口火をつけるだろう。もし同時期に全盛期を迎えていたら、フェデラーとサンプラスはいかに相対していただろうかと。このイベントは我々に、彼らは男子テニスの歴史における最大のライバル関係のひとつになり得たはずだと思い起こさせてくれる。私はサンプラスが少なくともわずかに優勢を保ったであろうと主張するが。いずれにせよ、両者の現役中には一度しか対戦がなかったので、彼らがネットを挟んで立ち向かうのは、それを見る我々にとって大いに楽しみであると同時に、彼らにとっても明らかに喜びであった。

彼らのニューヨーク対決の時、私はマジソン・スクエア・ガーデンにいる。断じてそれを見逃さないだろう。