テニスライフ・マガジン
2007年8月号
ピートサンプラス:チャンピオンについての考察
文:Nick Bolletieri


私がピート・サンプラスについて考える時、まず心に浮かぶのは彼の物静かな態度である。競争者の精神と結びついた彼のくつろいだ心構えは、途轍もなく素晴らしいテニスプレーヤーを作りだした。ピートを最も良く理解するためには、彼が早期にプレーヤーとしてどのように成長したか、とりわけピーター・フィッシャー博士と過ごした時期について、まず考慮しなければならない。

テニスに対するピートの情熱は、彼が地下室でテニスラケットを見つけた時に生まれた。彼は何時間も何時間も壁に向かってボールを打ち、ボールを感じる事、そして基本的なストロークを学んでいった。11歳までには、彼はかなり優れたサーブ&ボレー・ゲームを身につけていた。そしてそれは彼のトレードマークとなっていく。一家はワシントン D.C. からカリフォルニアに移り住み、ピートは熱烈なテニス愛好家、フィッシャー博士の目を引いた。ここで彼のキャリアが真に始まったのだ。

フィッシャー博士は長年にわたり、ピートの指導者となった。彼はピートの進歩を監督し、コーチの手配をした。時に様々なスポーツで、選手は自分と違う性格を持つコーチの下で才能を開花させる。しかしピートは、自分と似通ったくつろいだ人柄のコーチを好んだ。

長年にわたり、ピートは何人もの素晴らしいコーチに囲まれてきた。ティム・ガリクソン、ポール・アナコーン、ホセ・ヒゲラス、ラリー・ステファンキといった人々である。フィッシャー博士はまた、ピートの両手バックハンドを片手打ちへと変える事に尽力した。これはピートがウインブルドンで優勝するチャンスを広げるため、意図的になされた。ご存じの通り、それは上手くいったのだ!

1988年、ピートが17歳でプロに転向した頃は、この痩せっぽちな少年が、テニス史上最高の選手の1人と見なされる存在になろうとは、誰も予測できなかっただろう。ピートは1990年にフィラデルフィアで初のタイトルを獲得し、そして二度と振り返らなかった。その年の後半、彼はUSオープンで14のグランドスラム・タイトルの1番目を獲得する事になった。準決勝でジョン・マッケンローを、決勝戦ではアンドレ・アガシを下した。彼は19歳と28日で、USオープン史上最年少シングルス・チャンピオンとなったのだ。

それはまた、サンプラスとアガシが対戦した初のグランドスラム大会だった。その対戦の前に彼らは2度対戦し、それぞれが1勝していた。これはやがて、1990年代を通じて最も有力なテニス界のライバル関係へと開花していった。キャリアの終わりまでに彼らは34回対戦し、サンプラスが20勝を挙げた。この2人が対戦する時はいつも、素晴らしい試合に立ち会うのだとファンは知っていた。

多くの選手と同様に、サンプラスが次のメジャー優勝を遂げるまでには数年かかった。ピートは1993年に圧倒的な独走を始め、世界ナンバー1到達を果たした。3年連続(1993〜1995年)でウインブルドンに優勝したが、1996年には準々決勝で敗退した。しかし、素早く立ち直り、1997年から2000年まで4年連続でタイトルを獲得した。その間にピートは、1994年と1997年にオーストラリアン・オープンで、1993年、1995年、1996年、そして2002年にUSオープンでも優勝した。なんという疾走だろう!

唯一の弱点は、メディアとのやり取りで自分の快適な領域を見いだす事のようだった。彼はインタビューの椅子に座るよりも、コートにいる方が気楽だったのだ。

キャリアを通して、ピートは世界じゅうの数多いファンから愛された。彼は背が高くハンサムで、そして正真正銘のチャンピオンだった。ピートは常に温かな心を持っていた。仲間のアスリートたちと同様、ピートは幾つものチャリティに貢献した。エース・フォー・チャリティ・プログラムを設立して、ティム&トム・ガリクソン財団、キッズ・スタッフ財団、ヴィタス・ゲルレイティス・ユース財団をサポートした。加えて、乳癌への取り組みにも手を貸した。

両親が常にピートをサポートしていたのは、着目する必要がある。彼らには横柄さがなく、ピートに勝つようプレッシャーを掛けなかった。実際、2000年のウインブルドン優勝まで、彼らは息子がメジャータイトルを獲得するのをその場で見た事はなかったのだ。ピートへの変わらぬ愛情と激励は、彼が今日の彼になるのを手助けした。

ピートが16歳くらいの頃、トレーニングのために私のアカデミーを訪れた。冗談で、彼のトレードマークとなった前屈みの肩、舌を出す癖を、私はからかったものだった。いつもピートは物静かな様子で私と笑い合った。そしてもちろん、その舌は出たままだった!

彼は大半の選手に対して、大いなる優勢に立っていた。感情を内に秘めて、ポイントを取ろうが失おうが、コート上で同じ態度を維持するという不思議な能力を持っていたからだ。ほとんど、あるいは全く感情の変化を見せない者と対戦するのは、非常に落ち着かない気分になりやすい。実際、この技量によって、ピートは途轍もなく素晴らしいポーカー・プレーヤーにもなり得ただろう。

ピート・サンプラスは、かくもユニークな人間である。彼のような選手が他にいるとは、私は思わない……。そして、物事のあり方全体を考えるに、そうであるべきなのだろう。