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TENNIS.com 2007年12月10日 テニス史で最も素晴らしいショット 文:Joel Drucker |
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テニス史で最も素晴らしいショットは何か? 我々はオープン時代(1968年から)に 限定して、ゲームで最も恐ろしい武器をストロークごとに選出する。 |
テニス史で最も素晴らしいショット ・サービス・リターン:ジミー・コナーズ ・フォアハンド:ロジャー・フェデラー ・バックハンド:ケン・ローズウォール ・フォアハンドボレー:ジョン・ニューカム ・サーブ:ピート・サンプラス http://www.tennis.com/features/greatestshots/index.aspx |
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第1部:サーブ ピート・サンプラスのサーブ。致命的で、速く、正確で、融通が利く――壮麗な武器弾薬を使用可能にする第一の武器。そして最良の、信頼できるもの。 一般のプレーヤーはめったにエースをとらない。したがってエースの絶大なる影響を軽視する傾向がある。しかしアンドレ・アガシ級のプロで、なおかつ重要なポイントでボールに触れる事さえ不可能だと――それはこの上ない失望である。かつてサンプラスが「僕は戦いの場に出て、そしてアクセルを踏み抜くのが好きなんだ」と語ったように。少しグラウンドストロークをして、相手に試合を始めさせてくれ。 サンプラスは時速126マイルのエースをコート中央に打ち込むのがお気に入りだった――それは幕開けのホームランで、容赦ない攻撃のスタートに過ぎない事を対戦相手に知らしめるものだった。彼のセカンドサーブは、同じくサーキットで最も恐れられていた。したがって彼がファーストサーブをミスしても、相手はほとんど気を抜けなかった。 確かに、サンプラスに匹敵するサーブはあった。サンプラスほど効果的にサーブをバックアップする事はできなかったが、サウスポーのゴラン・イワニセビッチやロスコー・タナーはすべてのコーナーに打つ事ができた。それほど強烈に打つ事はできなかったが、ジョン・マッケンローの左利きのサーブは並々ならぬものだった。 ジョン・ニューカム、パンチョ・ゴンザレス、ジャック・クレーマーといった他のチャンピオンたちも、強力で正確だった。特にいざという時には。30年代初期を振り返れば、エルズワース・バインズがいた。その動きがサンプラスと酷似していた男だ。そしてビル・チルデンの強みの1つは第一級のサーブだった。 最近、イボ・カルロビッチやジョン・アイズナーのような新手の巨人属は、このストロークで自身の伝説を刻み始めた――他には大したものはないが。記録を作ったアンディ・ロディックのサーブは、男子ゲームの上位における現在の速さの最高峰である。 しかし申し訳ないが、誰ひとりとしてサンプラスのように首尾一貫して高品質のサーブを放ちはしなかった。バインズ、チルデンの心意気に栄光あれ。だが彼らはしばしば、1回戦ではクラブの会長と、2回戦ではエール大学の与しやすい学生と対戦していたのだ。80年代までは、大方のバックハンド・リターンは打つというよりもスライス返球だった。 ここ20年間にわたるパワーサーブ論議のため、コートに革命を起こすのはサービスリターンになっていった。より遅いコートへ両手バックハンドから放たれるすべてが、そして重いボールが、レシーバー側を有利にしていった。 それがサンプラスを困らせる事はほとんどなかった。彼はコーチだったピート・フィッシャーの指導の下で、脚、腰、肩、腕が完全に連動した明快な調和、見事なまでにリラックスし、読みづらく、そして力強い模範的なモーションを作り上げていた。サンプラスほどサーブで多くのコーナーに刻み目を付けた者は誰もいなかった。 すべての業績を考慮に入れると、サンプラスのサーブはテニス史における最も破壊的なショットであると言えるかも知れない。 最終選出 ピート・サンプラス 候補者リスト ピート・サンプラス ゴラン・イワニセビッチ パンチョ・ゴンザレス ロスコー・タナー ジョン・マッケンロー ジョン・ニューカム ジャック・クレーマー エルズワース・バインズ ビル・チルデン ビーナス・ウィリアムズ シュテフィ・グラフ セレナ・ウィリアムズ マルチナ・ナヴラチロワ マーガレット・コート ブレンダ・シュルツ - マッカーシー 現在の選り抜き イボ・カルロビッチ ジョン・アイズナー アンディ・ロディック |