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2007年7月14日
殿堂へと導いた目覚めの呼びかけ
歴史を作っていったサンプラスのキャリアは、鍵となる敗戦から始まった

ロードアイランド州ニューポート( AP )――14ものグランドスラム・タイトルを獲得したにも関わらず、ピート・サンプラスの心に留まっているのは1992年USオープン決勝での敗北である。

「いつも最初に思い浮かぶのはあの試合だ」とサンプラスは語った。土曜日にアランチャ・サンチェス - ヴィカリオ、スベン・デビッドソン、カメラマンのラス・アダムス等と共に「国際テニス名誉の殿堂」入りの式典に臨む前に、彼はキャリアの転機について思い返していた。

1992年USオープン決勝で最初の2セットを分け合った後、第3セットでサンプラスは、2004年に殿堂入りしたステファン・エドバーグに対して5-4リードとした。次のゲームで、彼は最初と最後のポイントでダブルフォールトを犯し、結局はタイブレークでそのセットを失った。

第4セットでは挽回しようという気を失い、そして6-2で負ける事になったとサンプラスは語った。

「あの第4セットでいわば諦めてから、精神構造全体を変えたんだ」と、彼は朝の記者会見で思い返していた。「あんな事は二度と繰り返さないと、僕は自分に誓ったんだ。自分が何を欲しているか、正確に知った。ナンバー1でいたいと思った。あのエドバーグに対する1992年の敗戦は、自分がこの事を真に理解する必要があるという目覚めの呼びかけだった」

彼はそうした。ウインブルドン7回、USオープン5回、オーストラリアン・オープン2回という14のグランドスラム・シングルスタイトルを獲得し、キャリアのリーダーとなった。サンプラスは記録である286週にわたり世界ナンバー1の座に就き、1996年4月15日から1998年3月30日までは102週連続でその座を保った。

「僕の目標はナンバー1で1年を終える事だった。毎年1月を迎えると、『ナンバー1であるために何をする必要があるか?』と考えた」

サンプラスは来月で36歳になる。彼は強力なサーブとオーバーヘッド・スマッシュで知られていた。19歳で初のUSオープン・タイトルを獲得し、USオープンの史上最年少優勝者となった。2002年にUSオープンで最後のメジャー優勝を果たし、10代、20代、30代でグランドスラム大会に優勝した史上2人目の選手として、ケン・ローズウォールに並んだ。

サンチェス - ヴィカリオは、スペインが優勝した5回のフェドカップ・チームのメンバーであり、3つのグランドスラム・シングルスタイトルを獲得した。その中には2004年に殿堂入りしたシュテフィ・グラフに対し、17歳で番狂わせの勝利を挙げた1989年のフレンチ・オープン優勝―― 土曜日に彼女が、最も素晴らしい思い出と語った試合も含まれる。

彼女は18年のキャリアで、シングルス4回、ダブルス6回、混合ダブルス4回という14のグランドスラム・タイトルを獲得した。3つのフレンチ・オープンタイトル(1989年、1994年、1998年)の他に、1994年にはUSオープンで優勝した初のスペイン女性となった。

79歳のデビッドソンは、1955年と56年にフレンチ決勝で負けた後、1957年にはローラン・ギャロスで優勝を果たし、グランドスラム大会で優勝した初のスウェーデン人となった。

「大会や試合への準備を整えたら、戦うために出ていくのみだった」と彼は語った。

アダムスは7月30日に77歳を迎えるが、50年間にわたってレンズの後ろからテニスの写真を撮り続けてきた。

最もお気に入りは?

「私が次に撮る写真だ」と彼は言った。