SAP オープン記者会見
2008年2月6日
ピート・サンプラス


グレッグ・シャルコ:お早うございます。今日は「国際テニス名誉の殿堂」入りを果たしたピート・サンプラスが、ビバリーヒルズの自宅から電話で参加してくれています。

ピートは2月18日、月曜日の夜にサンノゼの HP パビリオンでエキシビション・マッチを行います。現役中にピートは1996・97年のサンノゼ優勝、史上最高記録の14グランドスラム・タイトルを含めて、ATP サーキットで64のキャリアタイトルを獲得しました。また彼は1993〜98年に、6年連続 ATP ランキング1位の記録を樹立しました。

サンノゼに引き続き、ピートはトッド・マーチンと2回のエキシビションを行い、さらに3月10日、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンでロジャー・フェデラーとエキシビションを行います。

記者会見を始める前に、大会ディレクターのビル・ラップに司会を引き継ぎたいと思います。

ビル・ラップ:ありがとう、グレッグ。ピート、今朝は我々に合流してくれてありがとう。

ピート・サンプラス:どういたしまして。

ビル・ラップ:ピート、始める前にあなたやメディアの皆さんに、お伝えしたい事があります。私にはちょっとした驚きでした。2時間半ほど前に、モスクワのマラト・サフィンのエージェントから電話がありました。昨日、デビスカップ・タイのセルビア戦に向けた練習中に、マラトは爪先を捻って MRI を受けたそうです。数時間のうちに、ロシア・チームは彼がそのデビスカップ・タイを棄権すると発表する事になっています。

まだ彼は SAP オープンのエキシビションであなた、ピートと対戦するつもりでいますが、我々は毎日その状況を検討していきます。私はすぐにその知らせをピート、あなたとメディアの皆さんにお伝えしたかったのです。
訳注:その後、サフィンの欠場が正式に発表され、エキシビションの相手はトミー・ハースになったそうです。

ピート、私はここサンノゼであなたを見たのを覚えていますよ。1996年の決勝戦で、アンドレ・アガシとの対戦でした。あの日、あなたは世界ナンバー1の順位を懸けてプレーしたのでしたね。その試合について、同じく最も楽しい思い出、あるいはここサンノゼでプレーした時の思い出について話してください。

ピート・サンプラス:サンノゼでプレーするのは楽しかった。自宅から近かったし、スタジアム、観客も良かったね。こぢんまりとした雰囲気だが、多くの観客を収容でき、コートのスピードも好きだったよ。ちょうど良い、ほどほどのペースだった。中へ詰める事もステイバックもでき、僕はとても良いプレーができた。

あそこでアンドレと対戦した。彼とは2回くらい対戦し、ある年は彼が僕に勝った。僕たちがナンバー1を争っていた時は、僕は言わばゾーンに入り、ストレートセットで彼を破ったんだ。だからかなり高いレベルのテニスだった。あの大会が好きだよ。素晴らしいロッカールーム。ドローがそれほど大きくないので、ゆったりしたスペースが使えた。それがお気に入りだったよ。コートを楽しみ、サンノゼという街を楽しんだ。すてきなレストランがあり、夜のお楽しみもあった。あそこで過ごすのは楽しかったよ。

ビル ・ラップ:ありがとう、ピート。

グレッグ・シャルコ:それでは質疑応答を始めましょう。

秋にロジャーと3回のエキシビションを行いましたが、どうでしたか? そして最後の1戦に勝利したのはどれほど重要でしたか? あなたにとって大いなる意味がありましたか?

ピート・サンプラス:
ボーナスだったね。ロジャーとの対戦で、僕の目標は競い合ったものにする事だった。もし1セットでも取れたら、有頂天だっただろう。あの週を通して僕は徐々に調子が上がっていき、ロジャーのゲームにも慣れて、何らかの自信を得始めていったんだ。

終わりの頃は、本当に良い感じだった。僕たちはとても速いコートでプレーしていたが、それが僕のゲームを後押ししてくれたね。彼を倒したのはショックだったよ。マカオのコートは非常に速かった。実際、プレーするのは大変だった。あちこちでの何本かのショットがあり、僕は逃げ切って勝利を掴む事ができたんだ。

だが僕としては、とにかく良いテニスをして、競い合ったものにしたかった。自分自身にきまり悪い思いをさせるつもりなら、僕はこれらのエキシビションに契約をしなかっただろう。

ロジャーと共に過ごすのは楽しかったよ。僕たちは一緒に旅をして、とても上手くやっていた。彼をもう少しよく知る事ができたのは楽しかった。

テニスに関しては、かなり良いレベルだった。特に、今でもサーブ&ボレーをする事ができ、それを楽しめたのは嬉しかったよ。

彼を倒したからには、カムバックを考えるべきだと思いますか?

ピート・サンプラス:全く思わないね。僕は今でもいささかプレーできた、かなり高いレベルでプレーできた。だがカムバックは全く別物だ。全く違うライフスタイル、多くの努力を要する。僕が全盛期の頃でも、トップにいるのは大変な仕事だった。日々テニスに努める、それはもう僕にはない。

今でもあちらこちらで幾つかエキシビションを楽しんでいるが、ただ注目を浴びるため、お金のためにプレーするのではない。僕は勝つためにプレーするんだ。カムバックしたとして、そこここで何回か勝利を得る事には価値を見いださない。だからカムバックはないよ。

あなたはロジャーと共に過ごす事ができました。現役時にトップで競い合っていた頃は、アンドレのような選手たちと本当に親しくなるのは恐らく難しかったと思いますが。ロジャーとなら実際に友人になり、なおかつグランドスラム・タイトルを競い合う事ができたでしょうか?

ピート・サンプラス:
うん、僕たちは実際にかなり親しくなれたよ。彼は2日ほどロサンジェルスに滞在し、僕のところへ来て、一緒にランチを取ったり、共に過ごしてお喋りをした。僕たちはアジアで素晴らしい時を過ごし、大いに楽しんだよ。ロジャーにはあまり知られていない一面がある。彼はそれを切り離しておいて、テニスに集中したいのだと思う。

だが彼の中には、言わば子供が住んでいるんだ。彼は楽しむ事、ふざける事が好きだ。ちょっとしたいたずらっ子だね。実際、僕たちはよく似ている。ドライで、皮肉なユーモア。お互いの仲間とも楽しみ合った。メッセージの交換をして連絡を取り合ってきた。楽しかったよ。

僕はニューヨークで良いプレーをし、この先も彼とエキシビションをやれたらいいなと望んでいる。彼もそれを楽しんでいると思う。エキシビションをプレーする時、彼にとっては注意を要する。ナダルやロディックと行うと、ある種の競争意識が働く。僕とだと、僕は引退しているし、違ったフィーリングだ。それが彼をリラックスさせ、彼は楽しむのだと思うよ。

今までに、引退が早すぎたかも知れないと考えた事はありますか?

ピート・サンプラス:
いいや。僕はやり尽くした。タンクに残っていた最後の燃料は、USオープンでのあの最後の疾走で使い果たしたよ。あそこで優勝できた後には、本当に何も残っていなかった。最も重要なのは、自分に証明すべき事がもう何もなかったという事だ。僕は常に数字、あるいは記録を意識していた。何年間もナンバー1でいられたら、それで充分だった。あの14回目のメジャー優勝を遂げた時、僕はUSオープン優勝の後もプレーを続けるだろうと考えていた。だがその後の大会をすべてキャンセルして4〜5カ月経ち、ウインブルドンの季節がやって来て、そして去っていった時、僕は自分の中にもはやテニスがないと分かったんだ。自分に証明すべき事がもう何もなかった。それを理解した時が、前に進むべき時だった。

あなたがマラトと対戦するとして、これまで彼と試合をしてきた思い出を語ってくれますか?

ピート・サンプラス:
うん、 マラトはとても素晴らしいプレーヤーであり、友人だ。つまり、僕たちはツアーで仲良くやってきたよ。彼はいささか怪我の問題を抱えてきた。だが僕は、2000年代始めは彼とロジャーがテニス界を牽引していくと思っていた。彼は怪我に対処しなければならなかったけれどね。

ゲームのトップに居続ける事は厳しいんだ。彼はあのUSオープン決勝で僕をあっさりと下し、素晴らしい試合をした。何かの始まりを予感させた。翌年、僕は彼を倒す事ができた。彼はディフェンディング・チャンピオンだったから、より多くのプレッシャーに対処していたんだ。

だが彼は素晴らしいプレーヤーだ。素晴らしい男でもある。一緒にいるのは楽しかったよ。彼が再び勝利の波に乗り、自信を得られるといいね。テニス界はマラトのような人間を必要としていると思う。彼は素晴らしい男で、多くのものをもたらしてくれるだろう。

現在あなたは良き引退生活を送っています。少しばかりプレーする事も含めて、それはすべて予想していたものですか?

ピート・サンプラス:
引退生活、それは進行中の仕事なんだ。いろいろな時期があったと言っておくよ。2年ほど前、少し退屈し、落ち着かなくなってきていた。僕は大して何もせず、ひたすらゴルフをしていたが、しばらくそうやって暮らした後に、少しばかり「次は何だろう」といった気分になったんだ。

31歳での引退に教科書はない。言わばこつを要するものだ。だが自分のペースで再びテニスをするのは楽しかったよ。体調を保てるし、毎日する必要がある訳ではない。例えばサンノゼのようなエキシビションが近づいてくると、僕はヒッティングを始めるが、それはちょっとした集中をもたらしてくれる、素晴らしい事だよ。

だがそれは進行中の仕事だ。ずっと家にいると、時に少しばかり焦燥感を覚える日もある。そんな時にちょっとプレーするのは心地よいよ。家から離れて、身体を動かすんだ。

現在はテニスが生活の中心ではない訳ですが、主にどんな事をしていますか?

ピート・サンプラス:
そうだね、ほぼ毎日ジムでなにがしかエクササイズをする。気分が良くなるよ。だいたい週に2〜3日ゴルフをする。2人の幼い息子がいるが、彼らを学校へ送り迎えし、一緒に遊んだりする。兄のガスと共に小さい会社を始めた。兄は僕をマネージメントしてくれているんだ。僕たちは関心のある他の事にも少し手を染めるつもりでいる。楽しめる幾つかの事柄をしようと思っている。僕はお金のために働かなくても済むが、精神的に健全であるために働く必要がある。

テニスをプレーするのは僕の得意分野だ。今でも観客を楽しませる事ができるし、人々は見に来たがってくれているようだ。

全盛期と比較して、現在の体調はどの程度シャープですか?

ピート・サンプラス:
そりゃ当時には及ばないさ。僕はランニング・マシンやリフティングで鍛えている。だがテニスをするのは、全く異なった種類の筋肉運動だ。僕はかなり良い状態だが、5セット・マッチは厳しいかも知れないね。今でもハードな2セット、多分3セットをプレーする事はできる。週に2回3オン3のバスケットボールをしている。それは脚と心肺機能を強化してくれる。活動的であり、その過程で楽しめる事を続けていこうとしているんだ。

だが25歳だった頃にはとても及ばない。36歳にもなると、朝からフレッシュという訳にはいかないよ。あちこちが痛い事もあるしね。だが体重はダウンした、いい事さ。今でもコートでプレーでき、競い合う事ができる。

公式試合あるいはメジャー大会への準備に対して、エキシビションは恐らく切迫感が少ないでしょうが、心構えはどんなものですか?

ピート・サンプラス:
まあ、それは違うね。

もっと楽しいですか?

ピート・サンプラス:
そうだね、より楽しいよ。多分ストレスが少ないだろう。だが同時に、コートに出る時にはいつも、勝ちたいと思っているよ。いいプレーをしたいと望んでいる。シャープでありたい。だから集中する必要がある。

だが思うに、切望というか、メジャー大会でプレーする前には、プレッシャーという言葉がふさわしいかどうかは分からないが、自分のゲームを見いだそうとする事、自分自身へかける期待に対処する事、それが最も厳しいものだったと思う。テニス自体は、実際には――勝負の場に臨む事自体は容易な部分だった。準備、しなければならない全ての努力が、時には簡単でなかったと思うよ。

だが僕はそういった辛い時期も切り抜けてきた。そして今は、コート上でもっと愉快な一面を味わう事ができるんだ。今でも勝ちたいと思うし、いいプレーをしたいと思う。だがそれほど緊張する事はない。

ロジャーはあなたの良き友人です。しかしロディックやブレイクはなぜ彼に対して上手くやれないのか、メジャータイトルを懸けて彼と競い合えないのか、と考える事もあるのではないでしょうか?

ピート・サンプラス:
ジェームズにとってもアンディにとっても、彼はタフな相手なんだ。ロジャーと上手く渡り合い、倒した事もある男たちは、ナダルと、今はジョコビッチだ。彼ら2人は動きが良くて、走りながらボールをとても上手く打てる。そして彼らは素晴らしいアスリートだ。一方アンディはパワフルだが、彼らほどの身体能力はない。またジェームズのような選手は高い身体能力を持っているが、パワーはさほどでもない。だから彼ら双方にとって、ロジャーは厳しい相手なんだ。

ジェームズはロジャーと競り合えるようだね。彼らは似通ったゲームをするが、ロジャーの方がジェームズより少し優れているのだと思う。ロディックは時にロジャーをパワーで圧倒する事ができる。だがバックコートのラリーでは、例えばジョコビッチのようには上手く動く事ができない。

彼らは恐らくどこかで勝利を挙げる事もできるだろう。だが一貫性という事では、ロジャーはジェームズやアンディよりも1〜2段階上だと思う。

ジョコビッチ対フェデラー戦をご覧になりましたよね。あなたはロスでロジャーと過ごしたと言いました。きっとエマーソンの記録を追っていた頃を思い出したのではないかと思います。ロジャーは今年、あなたの記録に並ぶ、あるいは破るだろうと予想されています。今ジョコビッチが1大会で彼を止めています。最後の2つは、精神的にもっとプレッシャーがあるので、特に厳しくなるのですか?

ピート・サンプラス:
そうは思わない。ロジャーは記録や自分のゲームについて、明確な見通しを持っていると思うよ。彼は自分を苦しめすぎたり、煽りすぎたりはしないだろう。オーストラリアで起こった事は、ただ起こったんだと思うよ。彼は大会に向けてちょっと体調を崩したし、恐らく絶好調ではなかったのだろう。

だが同時に、彼はこの先すべき事があると承知している。楽勝が予測される訳ではない。でもこの1〜2年は、特にウインブルドンとUSオープンでは、彼は明らかな優勝候補だと思うよ。彼はまだ充分に若いし、フレッシュだ。30歳にもなっていない。彼は26歳かそこらで、それを成し遂げるだけの年月があると思う。

彼をプッシュする男たちが現れてきている。だが恐らく1〜2年の間に彼が成し遂げるのは自明の理だ。

ウインブルドンで記録に並んだ時と、USオープンで記録を破るった時と、どちらがより厳しかったですか?

ピート・サンプラス:
まあ、考えてみよう。

失礼、記録を破った時と最後の優勝とでした。

ピート・サンプラス:
恐らく破った時だね。ウインブルドンでは記録が懸かっていたし、怪我も抱えていたが、かなり良いドローを得ていたと思う。心の奥底には、記録の事があった。プレーの最中は、記録について考えていなかったと言おう。全ては、まあ言わば試合前の感情だったと思うよ。

あの大会に優勝して、僕はついに大記録を達成したんだ。それは14回目の優勝よりも難しかったね。最後の優勝については、言わば僕はもう1回優勝しようと努めて最後の2年を過ごし、そして成し遂げたんだ。それが、もう充分だと感じた時だったのだと思う。

アメリカの若手選手について質問したいと考えていました。サム・ケリー、アイズナー、ヤング、マックランの中で、誰が、あるいは全員がトップ10になり、グランドスラム・タイトルを争える選手になる可能性を持っていると思いますか?

ピート・サンプラス:
答えるのは難しいね。サムとはロスでちょっとヒッティングをした事がある。彼はとても良いゲームを持っていて、かなりのパワーと良い心構えもあると思うよ。我々は彼ら若手を見守り、まずはトップ40、30に入る事を期待すべきだろう。メジャーで優勝するには、かなり特別な存在でなければならない。トップ10に居続けるには、長い期間にわたって本当に優れていなければならないんだ。

アイズナーはビッグゲームを持っている。彼にとっての課題は、健康を保ち、自分のゲームを把握しようする事だ。ヤングについては、僕は彼のプレーをあまり見た事がないんだ。マックランについては、彼とは1回ヒッティングをした事があるだけだ。

よく分からないな。僕は多分これらの予測には向いてないのだろう。とにかく、特別な運動選手であり、動きに優れている事が必要だと思う。楽しみな若手グループだが、誰かが大躍進してトップ10に入れるか、メジャータイトルを争えるかは、見ていこう。

サム・ケリーあるいは他のいずれかには、動きに関する身体能力があると思いますか?

ピート・サンプラス:
何とも言えないね。彼らは当面ロジャー、ナダル、そしてジョコビッチといった偉人たちと対戦する事になる。今のところ、この1〜2年ではそれは起こらないだろう。彼らにもう2、3、4年ほど猶与をあげようよ。ツアーで経験を積み、そういった試合で勝つためにしなければならない事を学ぶためにね。

見てみよう。予測は難しいよ。僕が18、19の頃、僕がテニス界で特別な何かをするとは誰も思っていなかった。僕自身でさえ、自分が何をしていく事になるのか知らなかった。全てはただ起こったんだ。だから予測は難しいよ。だが間もなく分かるだろう。

あなたはロジャーとかなりの付き合いを持ちました。オフコートでの彼について、何に最も驚きましたか? そしてコート上では、彼のゲームのどんな要素に最も驚きましたか?

ピート・サンプラス:
まあ、コート上では特に驚きはなかったよ。彼とは一度対戦した事があったが、もちろん当時より優れていた。アジアツアーより前に、ロスで彼と少し練習した事もあったしね。テレビで見るものが、アジアで経験する事になるものだと思っていたよ。

彼はビッグなファーストサーブを持っている。素晴らしい動きをする。彼がやってのける壮観なショットは、小さく払うようなクロスコートのバックハンドだね。彼のバックハンドに深くていいボレーを打っても、その小さく払うようなショットで僕を出し抜くんだ。

それ以外には、彼のゲームは動きに基づいている。基本は強烈なフォアハンドで、堅実なバックハンドもある。低い弾道のバックハンド・スライスも打てる。もし望めば、前へ詰める事もできる。だがコート上では、新たに驚く事はなかったよ。

オフコートでは、僕たちはアジアで一緒に夕食をとり、宣伝活動などをこなした。初日の夜、彼は僕に電話で共に過ごさないかと誘ってくれた。僕はちょっと時差ぼけ状態だったが、彼の部屋へ行ってお喋りをしたよ。彼の友人たちもいた。僕たちはゲーム、彼の世代、僕の世代についてなど2〜3時間ほど話をした。そして、お互いを心地よく感じ、ちょっとふざけ合ったり笑ったりしたよ。

多くの人は知らないかもしれないが、ロジャーには子供っぽいところもあるんだ。さっきも言ったように、ちょっといたずらっ子みたいなね。悪戯ではないけど、まあ言わばおふざけが好きなんだよ。子供みたいなんだ。アジアでの試合の前に彼が飛び跳ねていたように、こういった事をするんだよ。だがひとたびコートに出ると、彼は別の一面、言わばもっと真剣な一面を見せる。

彼はリラックスした穏やかな人間で、何事にも慌てたりしない。基盤がしっかりしていて、ガールフレンドのミルカとも良い関係のようだね。そしてテニスに関しては全てを備えている。彼は本当に素晴らしいプレーヤーで、優れた見通しを持っている。勝っても負けても、有頂天になりすぎたり落ち込みすぎたりはしない。ちょうど言わば僕が持っていたような心構えを備えているんだ。ひたむきな集中心。ただ競技の場に臨み、そして勝つ。

ファンの間では、あなたとロジャーについて多くの論議がされています。その1つは、あなたの時代にはもっと厳しいフィールドがあったという事です。少なくともそう論じられています。あなたはそれに与しますか? あなたの世代はフェデラーの世代よりも、もっとタフで、選手層が厚かったと思いますか?

ピート・サンプラス:
どちらの世代がより強かったかは、何とも言いがたい。ロジャーにはなくて、僕が対処しなければならなかったのは、異なったプレースタイルだね。現在は皆が似通ったプレーをする。彼はそれを他の人よりも上手くやるんだ。僕の世代では、アンドレのような素晴らしいベースライン・プレーヤーだけでなく、サーブ&ボレーヤーにも対処しなければならなかった。クライチェク、イワニセビッチ、ベッカー、エドバーグ、シュティッヒといった。僕はこれら複数のグランドスラム優勝者と対戦していた。現在は、グランドスラム優勝経験者はごくひと握りだ。

何とも言えないね。だが現在のトップ40プレーヤーは、厳密に技術革新ゆえに、恐らく僕の世代のトップ40より優れているだろう。

それは主にストリングス、それともフレームですか?

ピート・サンプラス:
両方だと思う。つまり、僕は今ルキシロンといったストリングスと、より大きいラケットを使っているが、まるでズルをしているみたいだよ。現在得られるパワーとコントロール力が、10年前にもあったら良かったのにと思うよ。

だが、どちらの世代がより優れていたかについては、何とも言いがたい。つまり、現在のプレーヤーは素晴らしいと思うよ。もしかしたら、90年代に僕が対戦していた、例えばジム、マイケル、シュティッヒ、ボリスよりは少し劣るかも知れないが。もちろん現在は現在の素晴らしいプレーヤーがプレーしている。だが先ほど言ったように、グランドスラム優勝者はひと握りしかいない。

あなたはマジソン・スクエア、ガーデンでロジャーと試合を行う事になっています。あそこには途方もないスポーツの歴史、そしてマスターズ開催という優れたテニスの歴史があります。自国のスポーツの聖地、ガーデンでプレーする事について、どう思いますか?

ピート・サンプラス:
うん、ワクワクしているよ。子供の頃、ニューヨークで開催されたマスターズを見たのを覚えている。歴史的なイベントだった。人々はそれを愛していた。16歳の時、レンドルの家に滞在していて、彼がその週プレーするのを見た。5セットの末ベッカーに負けたが、僕にとってはスリルに満ちたものだった。観客は試合に夢中だったよ。歴史的な建造物だ。

僕は楽しみにしているよ。チケットの売上げも順調だ。ワクワクするね。人生のこの段階で、ニューヨークで満場の観客を前にプレーするのはエキサイティングだよ。たくさんの素晴らしい試合が行われた。僕は1年のところでマスターズに出られなかったんだ。90年にはフランクフルトに移動したからね。

90年代半ば、ナイキカップの時に1回あそこでプレーしたよ。エキシビションでプレーするのを楽しみにしている。ロジャーがここにいた時にも話したよ。彼は合衆国で1年に4回プレーするが、今回はアメリカのファンに我々双方を見てもらうチャンスだ。彼のもうちょっと愉快な一面、面白い面、同時に競い合う一面をね。

レンドルが飼っているジャーマン・シェパード犬から、どうやって生き延びたのかい?

ピート・サンプラス:
あれは12月に自転車を漕いでいる時だったよ。25マイルを自転車で走り、後ろからは彼のトレーナーが車で伴走していた。僕は、僕は本当にこれをしたいのか?って感じだった。6頭のジャーマン・シェパードだった。瞠目すべき経験だったね。決して忘れないよ。チャンピオンであるためには何が必要なのかを学び、もしチャンピオンになれたら、どんな屋敷に住む事ができるのかを知ったよ。かなり印象的だった。決して忘れない経験だね。当時の世界最高プレーヤーを見る事で、僕の目を開かせたんだ。楽しかったよ。

グレッグ・シャルコ:ピート、時間を割いてくれてありがとう。

ピート・サンプラス:どういたしまして。