テニス・チャンネル
2007年12月3日
サンプラスがサンプラスを語る
文:Steve Flink


いろいろな意味で、ピート・サンプラスはコート上で仕事に向かっていた時と同様の、控えめな、そして物静かな権威をもってインタビューに臨む。何のてらいもなく、気楽に、あっさりと話をする。彼は自分が何者であるか、そして自身と自分の優先事項について何を伝えたいかをよく承知しており、質問には率直に答える。彼は自分自身とその感情を完全にコントロールしており、賢明で真摯な態度が伝わってくる。

私は先週電話でサンプラスと話をした時、これらすべての特質を思い出させられた。私は彼に、韓国のソウル(11月20日)、マレーシアのクアラルンプール(11月22日)、中国のマカオ(11月24日)で行われたロジャー・フェデラーとのエキシビション・シリーズ3試合について、全般的に語ってくれるよう望んだ。フェデラーはソウルで6-4、6-3、クアラルンプールで7-6(6)、7-6(5)の勝利を収め、マカオの最終戦ではサンプラスが7-6(8)、6-4で勝利した。

多くの人がテニス・チャンネルでこの対戦を観戦し、オンライン上で見た人々もいた。私はこの対決をテレビ初放映時に見て、自分の見解を述べた。私が書いたコラムで、読者の反響や情熱をこれほど引き出したのは初めてだった。アジアのステージで2人の偶像的偉人がプレーするのを見て、世界じゅうのファンは喜びに溢れていた。

しかし私は、サンプラス自身に、彼がそれをどのように見たかを正確に語ってもらう時が来たと考えた。彼は年の初めに行った(シニア)チャンピオンズシリーズ・イベント出場への準備よりも、どれくらいトレーニングのレベルを厳しくしたのか? 「もちろんトレーニングを増やしたよ」とサンプラスは語った。「2週間、サム・ケリーとほぼ1日おきにヒッティングをした。そしてセット練習をたくさんした。サムはとても強いボールを打ち、ビッグサーブを持っている。そして僕は、自分の限界とゲームを見いだせるようなペースでプレーしたかった。また、身体をサーブ&ボレーと、そのために必要な方向転換や爆発的な動きに慣らしていった。プレーの前後にはストレッチを入念にして、ジョギングとストレッチでウォーミングアップを行った。それはかつて(現役時代に)真剣に準備や集中をしていたのと近いものだった。ロジャーに対していいプレーをしたかったが、同時に自分の身体が5日間で3試合するのに持ちこたえられるようにしたかったんだ。身体がとてもよく持ちこたえたのは嬉しい驚きだったよ」

エキシビションに向けて、彼の期待はどんなものだったのだろうか? 「僕は自分のゲームがどの辺りにあるのか分からなかった」とサンプラスは答えた。「恥ずかしい思いはしたくなかったし、そうなるとは考えていなかった。競い合えると感じなかったら、僕はロジャーとの試合を引き受けなかっただろう。もし(試合の1つで)1セットを取れたら、それは僕にとって大きなボーナスだと考えていた。ロジャーに勝つ事は考えていなかったよ。これらのエキシビションにあたり、彼は僕を6-2、6-2で破ると予想していた人もいた。僕はただ彼に対して上手く競いたいと望んでいた」

ソウルでは、サンプラスは第1セットで4-2とリードしたが、 フェデラーは挽回してスムースに勝利した。サンプラスは散発的に素晴らしいテニスを披露したが、安定せず、その対戦では普段の試合勘を欠いていた。彼はどのように感じたのか? 「僕は自信に欠けていた」と彼は語った。

「しばらく本格的な試合をしていなかったので自分のゲームと戦っていただけでなく、自分がどの辺りにあるか少し不安だった。そして僕はロジャーがもたらす素晴らしいものに対処していた。その組合わせが僕を居心地悪くした。また、時差ぼけで身体的にもあまり良い気分じゃなかった。あそこには前日に到着したんだ。それで僕は少し元気がなくて、リズムを掴んだとは感じられなかった。ボールはまあまあ上手く打っていると思ったが、少し不安になりすぎていたようだ。そしてロジャーと対戦していたため、僕は攻めすぎていた」

2日後のクアラルンプールでは、サンプラスはもっとフェデラーを押し込み、両セットともタイブレークまでもつれ込んだ末に敗れた。その戦いを思い出してサンプラスは語った。「それほど神経質にならなかった。僕はいいスタートを切った。速いコンディションで、彼は僕のサーブをリターンするのに苦労していた。僕はバックコートでリズムを掴むのに苦労していたが、前の試合よりも気分良く感じていた。不安感は消えていった。僕にとってソウルはまず挑戦の端緒を開くもので、クアラルンプールではボレーをほとんどミスせず、サーブもかなり上手く打てた。あちこちで幾つかチャンスもあった。セットを取れたら素晴らしかっただろうが、そうはならなくても、僕は彼と相対していると感じられたよ。ソウルでは、僕はいわばヘッドライトを浴びた鹿みたいだったけどね。クアラルンプールでは7-6、7-6で負けたが、サービスゲームは失わなかった。だからマカオでの試合に気分良く向かう事ができたよ」

マカオでは、サンプラスはすべてのシリンダーをフル稼働させた。またしても非常に速いコートだったが、ずば抜けたサーブを放ち、2試合連続でサービスゲームを失わなかった。彼はブレークポイントに直面する事さえなく勝利を記録した。そしてマレーシアでと同様に、1回もダブルフォールトを犯さなかった。サンプラスは振り返った。「ロジャーと試合のためにウォーミングアップしていて、『うわーっ、このコートは速い!』と言ったのを覚えているよ。あのコートでスライスを打つと、ずっとスライスし続けるんだ。4分の3のスピードでサーブを打っても、エースを取れるようなコートだった。僕たちは互いに、何らかの創造性を加えるには、コートがもう少し遅かったらいいのにと望んでいたと思うよ」

サンプラスは言葉を切り、そして言った。「僕はいいサービスを打ってスタートを切り(彼は最初の3回のサービスゲームで7本のエースを放った)、ロジャーもそうだった。そして僕は『僕たちがこれを続けるなら、タイブレークに入り、何だって起こりうる』と考えていた。僕がフォアハンド・リターンで攻め、タイブレークのセットポイントをものにした時は、とても幸せに感じたよ。『僕は目標を成し遂げてこのコートを去る事ができる』と考えていたんだ。第2セットでは4-4で彼がフォアハンドをミスし、僕はブレークポイントでいいプレーをした。それから僕がサービスゲームを決めたんだ。最後はすべてがかなり速く進んだ。サービング・フォー・マッチで僕はエースを炸裂させ、何本かサービスウィナーを打ち、そして勝利していた。観客は大興奮だった。あの試合は、僕にとっては自信がすべてだった。なんの不安も感じなかった。コートを去る時は良い気分だったよ」

マレーシアと中国では、サンプラスはほぼ非の打ち所のないサービスを披露しただけでなく、完全に自分の快適な領域を見つけて、サービスをまとめ、そしてボレーで見事なまでにそれをバックアップした。彼はサーブの後に素速く前へ詰め、ファーストボレーはしばしば息を呑むようだった。さらに、彼はその戦術を変えることなく、ファースト・セカンドサーブとも滅多にステイバックしなかった。シニア大会では、彼はもっとそれを織り交ぜてきた。しかしフェデラーに対するサーブでは、容赦なく攻撃する必要がある事をはっきりと認識していた。最近のフェデラーは、主な対戦相手とコート後方からパンチを交わす事に慣れてきていたのだ。

「人生のこの段階でサーブ&ボレーをするのは身体に応える」とサンプラスは説明する。「だから他のイベントでは、両方のサーブでこれほどにはサーブ&ボレーをしない。何回かボールを打って、タイミングを見つけるのが好きだ。だがロジャーと対戦する時には、一貫して中へ詰めて行動を早める必要があると承知していた。サーブ&ボレーは技のようなものだ。タイミングとリズムを掴むには時間がかかる。だがクアラルンプールの試合で、ついに僕はロジャーに対してそれを見いだし、それからはマカオの試合を通してかなり自然なものとなった」

自分のゲームを高める事に喜びを見いだした他に、サンプラスはクアラルンプールとマカオでは観客の熱狂に勇気づけられ、彼らのエネルギーに感謝した。「クアラルンプールでは、観客は11,000人くらいで、賑やかだった。僕たちに大喝采を送ってくれ、いいプレーに熱中していた。マカオの観客もほぼ同じくらいで、僕たちの試合のチケットを手に入れるのは最も困難だったと言っていた。あそこでは大きな出来事だったんだ。マカオでは大きなエネルギーに満たされ、そして彼らは年がいった男の方を少しばかり応援してくれていたように感じた。良い感じだった。時にはちょっときまり悪いくらいだったよ。ロジャーを気の毒には思わなかったが、僕は彼の立場を経験してきたし、自分が相当の本命だと、皆はどちらかと言えばもう一方を応援するものなんだ。そしてロジャーには偏った応援は必要なかった。本当に必要なかった。彼に何度もその話をしたよ」

すべての経験が、サンプラスが寿いだものだった。彼はそれを「僕は大いなる刺激を得た」と語る。「楽しかったし、そのためも準備も楽しんだ。かつての頃のようだった。アジアでの報道は信じがたいほどだった。家に帰って、妻にちょっと皮肉っぽく言ったよ。『僕はここからどこへ行くのか?』ってね。とてもエキサイティングだった。それは競い合ったもので、若干の愉快なシーンもあったが、僕たちは真剣に取り組んでいたよ。激しくプレーし、ロジャーと僕は100パーセント打ち込んでいた。妻は試合を TiVo で録画していたが、クローズアップでは、ロジャーはいつもと同じ表情をしているのが見られた。恐らく僕たちは一心不乱というほどではなかっただろうが、僕はすべての経験を心地よく感じた。そして2セットを取ったのにはワクワクしたよ。双方にとってユニークな意味でやりにくい状況だったが、僕たちは上手くそれに対処していると思った。僕は5年間プレーしておらず、そしてロジャーは世界最高のプレーヤーだ。ロジャーは誰とでもエキシビションをできた筈だが、親切にも年配の男にチャンスをくれ、僕に彼と対戦する機会を与えてくれた」

全体を通して、サンプラスは競技の場以外でフェデラーと過ごす時も楽しんだ。「ロジャーと親しく付き合うのは、素晴らしい経験だった。彼は一緒にいて楽しい素晴らしい男だ。僕たちは2人の子供がするみたいにじゃれ合っていたよ。来年もアジアで再びやれたらいいね。だがそれは彼次第だ。たくさんの思い出を得て、たくさん写真を撮って、そしてロジャーをもっと知る事ができて良かったよ」

2007年USオープンの最終日に、サンプラスとフェデラーが3月にマジソン・スクエア・ガーデンで対戦するという発表がなされて以来、アメリカの熱心なファンはその機会を待ち焦がれてきた。企業のある者たちは、ガーデンでのエキシビションは実現しないかも知れないと言う。2人のプレーヤーがそれをしたくないからではなく、ニューヨークでこれほど大規模な一夜のイベントを行う事につきまとう経費と関わる理由のためである。いずれにせよ、サンプラスは今後2年ほど、自分をプッシュするあらゆる機会を生かしたいと望んでいる。

「僕は今でもプレーを楽しんでいる」と、彼は会話の終わりに言った。「ロジャーとの試合は、とても満足のいくものだった。僕は今でも現役の誰とでも競い合えると思っている。誰をも負かせると言っているのではないよ。ハードコートか他の速いコートでなら、僕は少なくとも誰に対しても渡り合える、かなり巧みにサービスゲームをキープして、あちこちで若干のウィナーを放てるだろうという意味だ。この1年ほどの間、僕は競い合えると感じてきた。来年もさらにエキシビションで若手とプレーしたいと思う。ブレイクであれ、ロディックであれ、あるいは他の誰かであれ、競技の場に出て、自分の状態がどの辺りにあるかをテストするために。彼らがそれをしたがるかどうかは分からないが、僕がまだ競い合える間に行うのは楽しみだ。年齢を重ねるにつれて、窓は徐々に閉じられていくからね。1〜2年はまだできると思う」

反論の余地なく、彼はフェデラー戦での活気あるプレーでそれを証明した。そして彼がこのインタビューを終わらせ、息子を学校へ連れて行くために去っていった時に、私はもう一度思い出させられた。彼が新しい挑戦に臨むと心を決める時、目標を見いだして全力で追い求める時、すべてを賭ける時、ピート・サンプラスは必ず成功へのあらゆる可能性を自身に与えるのだと。

彼は常にそうしてきた。そして常にそうするだろう。