アメリカ版テニス
2007年5月15日
世界中を巡り、ついにサンプラスは祖先の地を訪れる
文:John F.L. Ross, Associated Press Writer


アテネ、ギリシャ( AP )――世界を巡り、大会に出場し、タイトルを重ねてきた中で、ピート・サンプラスは祖先の故国に旅した事はなかった――これまでは。引退した14回のグランドスラム・チャンピオンは、ついにギリシャへとやって来た――テニスと個人的な理由のために。

サンプラスは火曜日、AP 通信に語った。「母の故国で親族と共に過ごすんだ。僕はあちこちに出掛けて、それを楽しむつもりだよ。個人的な旅行であり、もちろん仕事上の旅行でもある。僕はどちらの目的も忘れたくなかった」

「僕はここで先祖の伝統をもっと知るつもりだ」と彼は付け加えた。「初めてここに来て、誇らしく思っているよ」

サンプラスの母親ジョージアは、25歳の時に6人の兄弟姉妹と共にギリシャを後にし、カナダへ、そして次に合衆国へと移り住んだ。

「とても大きなギリシャ系の一族だよ」と35歳のサンプラスは言った。父親のサムは合衆国で生まれたが、彼の父親はギリシャ移民だった。この旅は、奇しくもサム・サンプラスの70歳の誕生日と重なっている。

サンプラスは今週、アテネでシニア大会に出場する。彼が最後にツアーでプレーしたのは2002年で、USオープン決勝でアンドレ・アガシを下した。

「僕はどちらかと言えば、辞めた事を残念に感じている」7月14日、ロードアイランド州ニューポートで「国際テニス名誉の殿堂」に叙せられるサンプラスは語った。

サンプラスは今年、3つのチャンピオンズカップ大会でプレーする――今月ボストンで優勝し、9月にはノース・カロライナ州のシャーロットへ向かう。

「嬉しいね……自分が今でも競い合えると知るのは」とサンプラスは言った。しかし彼は、8回目のウインブルドン・タイトルを獲得するチャンスのためにオール・イングランド・クラブへ戻る事は否定した。「そういう事を試したいとは思わない」

引退してから、彼は家族と共に過ごし――女優の妻ブリジットとの間には2人の幼い息子がいる――ゴルフのハンディキャップを4に下げるべく励んだが、テニスに関する事はしてこなかった。

現役だった頃、サンプラスの克己心と勇気は伝説的だった。彼はかつてUSオープンで、第5セット・タイブレークの最中にコート上で吐いた後、アレックス・コレチャを負かした事もあった。

「競技者として、母親の血を少しばかり引いているんだ。言葉(英語)も話せずに故国を去る、その強靭さ、専心、チャレンジ魂。僕はそんな強靭さを身体の奥に得ているんだ」

しかし彼の慎みは、メディアとの距離をあけていた。

「彼らは僕にコート上でもオフコートでも、僕ではない誰かになるよう望んでいた。それは僕という人間じゃない。僕は人を苛立たせたり不作法だったりした事はない。ただ物事をシンプルに保ち、慎ましやかにしていたんだ。……マスコミ報道や金をもっと得るために、自分の過去を売りつくす気はなかった」

彼のゲームは、ショービジネス的なアピールの不足を埋め合わせて余りあるものだった。彼は6年連続でナンバー1選手となった。

「ナンバー1に到達するのは1つの事だ。だがその座に留まり、自分の世代を支配し、時の流れに持ちこたえる事は、また別物だ。ストレスもあったし、眠れない夜も過ごしたよ」

最も忘れ難い瞬間の1つは、2000年ウインブルドンだった。サンプラスは怪我と闘いながらも、12回のメジャー優勝というロイ・エマーソンの記録を破ったのだ。

「かなり痛かったよ。大会を棄権する瀬戸際だった。(コルチゾン)注射を受けたが、雨で試合が中断して効果が消えていった。僕はただ痛みを、それをくぐり抜けた事を、頑張り抜いた事を覚えている。あの2週間をやり終えた時には、自分でも驚いたよ」



アメリカ版テニス
2007年5月16日
サンプラスとクーリエは、アクロポリスの丘で試合をする
文:John F.L. Ross, Associated Press Writer


アテネ、ギリシャ( AP )――木曜日、アクロポリスの丘の麓に仮設したテニスコートで、ピート・サンプラスは元デビスカップ・チームメイトのジム・クーリエとエキシビション・マッチを演ずる。

14回のグランドスラム・チャンピオンであるサンプラスは、祖先の故国ギリシャを初訪問している。アテネ北部にあるオリンピック・テニス会場で4日間開催されるアテネカップに出場する。

今大会はアウトバック・チャンピオンズシリーズの一環で、合衆国の外で開催されるのは初めての事である。このシニアツアーは、4度のグランドスラム・チャンピオンであるクーリエによって創始された。

「我々はここにいる事にワクワクしている」とクーリエは水曜日に語った。「美しい施設、美しい都市だ」

アテネカップにはパット・キャッシュ、リチャード・クライチェク、ウェイン・フェレイラ、アンダース・ヤリード等も出場する。しかし、マーク・フィリポウシスとマッツ・ビランデルは欠場となった。

クーリエは言った。「選手たちはビッグ・ネームだ。体調も整っている。これはエキシビションではない。我々は真剣にプレーしている」

選手は4人ずつ2つのグループに分かれ、ラウンドロビン方式で対戦する。各グループの勝者は日曜日の決勝戦でプレーする。2位同士は3位決定戦を行う。

出場するには、30歳以上で、グランドスラム決勝進出者か、元トップ5選手か、あるいはデビスカップ優勝チームでシングルスに出場したか、の条件を必要とする。大会組織にはワイルドカードの提供も認められている。

「人々は才能を正当に評価していない」とクーリエは語った。「(チャンピオン)テニス選手たちが、その才能を発揮するために何をしなければならないか、一般大衆が真に理解する事はできないだろう」

アテネカップ大会は7,800席のオリンピック・テニス会場で開催される。そしてロードアイランド州ニューポートの「国際テニス名誉の殿堂」から、期間限定の展示会が催される。サンプラスは7月にアランチャ・サンチェス - ヴィカリオ、スベン・ デビッドソン、ラス・アダムス等と共に殿堂に叙せられる。

サンプラスは2002年USオープンで最後のプロ試合を戦い、決勝戦でアンドレ・アガシを下したが、かつてギリシャでプレーする可能性があったと語った。

「17歳の時、ギリシャのためにプレーするよう話をもちかけられた。僕はプロに転向したばかりで、ドイツにいたんだが、誰かが父にもちかけてきた。それっきりだったけどね」

しかしながら、大会のチケット売上げは、期待したほどではない。

「あまり芳しくはない。準備を始めるのが遅すぎた事が主な理由だ」と、大会会長のコンスタンティノス・マクリコスタスは語った。「だがギリシャの人々は、いつも間際になって事を行うのだ」

アテネは最近、バスケットボールのユーロリーグ最終4戦を開催した。また来週の水曜日には、リバプールと ACミランが対決する(サッカー)チャンピオンズリーグ決勝を開催する。




<おまけの写真>

5月10日、ビバリーヒルズで催されたプレミア試写会「The Wendell Baker Story」にて。


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