テニス・グランド・スタンド(オランダ)
2008年2月13日
サンプラスは戻ってくるだろうか?
文:Mike McIntyre



ピート・サンプラスが2002年USオープンの決勝戦でアンドレ・アガシを破ると、すぐさま引退論議が始まった。ピートは最高の時に辞めるのか、あるいは自身が既に樹立した記録に追加しようとし続けるのだろうか? その決定が公式に発表されるには1年を要したが、私は常にピートは正しい決定をしたのだろうかと考えてきた。確かに、彼はツアー最後の年には苦闘していた。彼のモチベーションはさほど高いように見えなかった。ウインブルドンの2回戦でノックアウトされたのは、テニス界にとって大いなるショックだった。にもかかわらず、フラッシングメドウでの2週間にわたる活躍は、彼が今なお高いレベルで継続するに足るものを有していると、明確に示していた。その間に、彼は若き承継者アンディ・ロディックを、そして恐らく最大のライバルであるアガシを打ち負かしたのだ。

しかしサンプラスはチャンピオンとして去る事を選んだ。そして彼の決断を責める事は誰にもできなかった。彼には共に過ごすべき新しい家庭があった。32歳の肉体は、ツアーでの長い年月に疲弊しきっていた。さらに、可能な限りのメジャー大会における成功を味わった後、彼はキャリアを終えるべき時だと感じていた。サンプラスは引退に満足するのだろうか、と考えた者は多かった。当時、もし1〜2年後に、まだ高いレベルで競えるだけ若い間に彼がカムバックを決めたとしても、私は驚かなかっただろう。多分、ロジャー・フェデラーが頂点を極める前に、彼はもう1〜2回ウインブルドンで優勝する事もできた筈だ。しかし、サンプラスからの囁きは聞こえてこなかった。彼は人付き合いを避けて家族と時を過ごし、テニスコートではなく、ゴルフコースで自分のゲームを磨いていた。

再びテニスコートでピストル・ピートを見るまでに、ほぼ4年の月日が流れていた。それはごくシンプルに始まった。2006年4月6日、若いアメリカ選手ロビー・ジネプリとのエキシビション・マッチだった。サンプラスはジム・クーリエやジョン・マッケンローといった仲間の引退選手を相手に選ぶ事もできた筈だ。その代わりに、彼は現役選手を相手に自分を試す事を選んだ。疑いなく興味深い選択だった。エキシビションではジネプリが6-3、7-6で勝利したが、サンプラスは長い中断後の、そしてずっと若い相手に対しての出来に、満足していたに違いない。

話はサンプラス / フェデラーという世代対決へと進んでいった。それはすぐには実現しなかったが、その間にサンプラスはワールド・チーム・テニス、そしてシニアツアーのアウトバック・チャンピオンズシリーズへの参加と、手を広げていった。多くの人々が、サンプラスは今でもコート上で重要な技能を残していると語った。ジョン・マッケンローは、サンプラスはウインブルドンの芝生でならトップ5の脅威になり得るだろうとさえ述べた。

2007年秋に話を進めよう。サンプラス / フェデラーによるエキシビション対決の話は、アジアでの3試合のツアーへと実を結んだ。サンプラスは対決に向けて練習に精を出してきた。そしてフェデラーはテニス・マスターズカップと長いシーズンを終えたばかりだったが、それでもなお明らかに圧倒的な優位に立っていた。フェデラーはまた、ただ観客を楽しませるために、おざなりのプレーをするタイプの競技者とは思えない。私は彼が、自身が追うグランドスラム・タイトル記録を有するサンプラスを倒せると示したがっていた事に疑いを抱かない。

3試合はすべて非常に競り合ったものだった。韓国のソウルで行われた初戦は、フェデラーが6-4、6-3で勝利した。2日後、スコアはさらに競り合ったものになった。7-6、7-6で、フェデラーが再びストレートセットで勝利を収めた。シリーズ最後の試合は、最も注目に値した。7-6、6-4というストレートセットで、サンプラスが勝利したのだ。明らかに彼のサーブ&ボレーゲームは、フェデラーに何らかの挑戦をもたらした。36歳のピート・サンプラスが、26歳のロジャー・フェデラー相手にこれらの試合を接戦にできたという事実は、信じがたい事だった。サンプラスは自分の成果にかなり満足しつつアジアを後にしたに違いない。彼はまた、他の現役 ATP トップ選手たちに対して、どのくらいやれるだろうかと思いを巡らしていたかも知れないではないか? 彼の一部は、少なくとも一瞬は、本当の大会で現役プレーヤーに対していかに持ちこたえ得るかを考慮したに違いない。

さて我々は今、2008年シーズンの初頭にいる。最近のエキシビションからの回復に休息をとる代わりに、サンプラスは来週サンノゼの SAP オープンで(負傷したマラト・サフィンに代わった)トミー・ハースと対戦する予定になっている。再び現役プレーヤーに対して自身を試すのだ。サンプラスは現役プレーヤーに対するこの、あるいは将来の試合で何を成し遂げたいと望んでいるのか、私は考えずにはいられない。彼は現在のビッグネームをもう1人倒せるかどうか、知ろうとしているのか? 長いシーズンの終わりにフェデラーと行った対決は、ただのまぐれ当たりだったのかを知ろうとしているのか?

フェデラーとのエキシビション・マッチは、もう1回ニューヨーク市のマジソン・スクエア・ガーデンで3月に予定されている。これはサンプラスが現在のナンバー1と自国で対戦する、またとない機会である。だがそこから、彼はどこへ向かうのか? なぜ彼は、今でもシニアツアーでスポーツに手を出す同世代人とではなく、現役プレーヤーと試合をし続けるのか? 

私の意見では、唯一の現実的で合理的な答えは、サンプラスが ATP ツアーへの復帰に向けて計画的に準備しているというものである。全面的な復帰ではなく、そして恐らく限定的なスケジュールでさえないだろう。しかし確かに、彼は現役の挑戦者に対する自分の反応を測ろうとしている。その考えは彼の頭に植え付けられていたに違いない。そしてフェデラーに対する最近の成功によって、さらに助長されていったに違いない。彼は繰り返し否定しているが、もしサンプラスが彼の最終目標、ウインブルドンでオール・イングランド・クラブへ復帰する準備のために、6月のクイーンズクラブ大会でワイルドカードを求め、そして与えられたとしても、私は少しも驚かないだろう。

フェデラーやジョコビッチと対決するところまでは行かないかも知れないが、彼は得意のサーフェスで他の誰に対しても良い勝負ができるはずだ。年齢やフィットネス・レベルを考えると、試合を3あるいは4セットに制限し、長く消耗する5セットマッチは避けねばならないだろう。しかし今でも健在の強烈なサーブと好調なネットゲームがあれば、彼がベスト16入りを果たすのも可能だろうと私は確信する。

体調を保ち、現役プレーヤーと楽しみたい、という願望以上の何かが進行中なのだ。サンプラスは念頭にあるものを示唆するような公式発言をしていないが、もしこの夏ウインブルドンのセンターコートでもう一度ピストル・ピートを見かけても、驚かないでほしい。もしこれが実現したら、あらゆる年代と経歴のテニスファンは、まさに楽しみを経験する事になるだろう。