AP通信
2007年2月6日
サンプラスはボストン開催のシニアツアーのみ、参加を確約している


ボストン――ピート・サンプラスがボストンで最後に競技テニスをプレーしたのは、1999年のデビスカップ準々決勝、対オーストラリア戦だった。彼が出場したダブルスチームは、合衆国にとって唯一の白星を挙げた。

記録である14のグランドスラム・シングルス・タイトルの獲得者は、2002年以降初めてとなる大会に戻ってくる。3カ月後の5月2〜6日に、ボストン大学で開催されるアウトバック・チャンピオンズ・シリーズに参加するのだ。30歳以上の選手たちが対戦するシリーズで、他の5大会のいずれかに参加を公約する前に、彼はそこで自分がどのように感じるか知りたいと考えている。

「どんな具合か見てみたいんだ」サンプラスは月曜日の電話インタビューで語った。「たくさんの大会と契約したいとは思わない。その週を、プレーを、どんな風に楽しむか知りたい。自分が100パーセント確かでないものを、確約したくなかったんだ」

彼の大会参加は、先週の火曜日に発表された。

ボストンはツアー第2戦の開催地で、シリーズ中、他のサーフェスで行われるものよりも、サンプラスはハードコートを好んでいる。彼はデビスカップでアレックス・オブライエンとチームを組み、5セットでの勝利を挙げた際に、街を楽しんだと語った。オーストラリアは準々決勝に4勝1敗で勝ち、決勝でフランスを負かした。

現在35歳のサンプラスは、2002年9月のUSオープンでアンドレ・アガシを破って優勝した後、引退した。当初、彼は大会テニスと練習の厳しいルーティンを懐かしいとは思わなかった。

「初めは楽しむんだ。リラックスし、テニスについて気を揉まなくていいのは心地よいよ。メジャー大会で勝とうとするストレスは去った。楽しかった。今までするチャンスのなかった事を、あれこれやったんだ」

その1つがゴルフだった。

「2年ほど経つと、朝に目覚めた時、もう少し何かをして、満たされる必要があると感じるようになった。起きてゴルフをするのは楽しいよ。だが、もう少し規律だった生活が懐かしくなるんだ」

彼が戻る理由の1つは、シリーズの共同開催者ジム・クーリエとの関係である。クーリエはジョン・マッケンローと共に、ボストンで男子8人のフィールドに立つ。賞金総額は142,000ドル。

第2シーズンを迎えるシリーズの参加資格は、グランドスラムのシングルス決勝に進出したか、トップ5にランクされたか、あるいはデビスカップの優勝チームでシングルスをプレーしたか、である。

「ある意味で、彼に戻ってきて、定期的にプレーしてほしいと思う」月曜日の夜、ニューヨークでレンジャーズのホッケーゲームを観戦した後、マッケンローは語った。「まあ、言わばある意味で、彼が既に成した事をしまっておきたいと思うのは分かる。だが誰もそれを奪う事はできないんだよ」

通常のテニスツアーには戻らないが、再び競い合う準備はできている、「かつてほど真剣ではないが」とサンプラスは語った。

「彼は今でも大方の男を倒せるだろう――ウインブルドンにおいては。だから、そうしたいという誘惑があるだろう」とマッケンローは語った。「彼は正しい。彼はこれらの男と向かい合える。だがそれは彼の判断する事だ」

昨年、サンプラスは幾つかのエキシビションとワールドチームテニスでプレーした。

「僕はかなり上手くボールを打ち、より大きいラケットと新技術のストリングスを使ってきた。それらは全盛期の頃よりも、上手くボールを打てるようにしてくれたよ」

4年半で初めて、大会の中でファン自身がそれを判断するチャンスが得られるのだ。

「今でもプライドがあるし、いいプレーをしたい、勝ちたいと思うよ。コートへ踏み出すたびに、ビッグショットを打ちたい、ビッグサーブを打ちたいと思うんだ」

シリーズは6つの都市で開催される――3月にフロリダ州ネイプルズ、5月にボストン、8月にロード・アイランド州ニューポート、9月にノース・カロライナ州シャーロット、10月にダラス、11月にヒューストン。

サンプラスは286週ナンバー1在位記録を持つが、7月にニューポートで「国際テニス名誉の殿堂」入りを果たす。