デイリー・プログレス
2007年7月21日
JPJ アリーナでテニス界の巨人が激突
文:Jeremy Borden



ピート・サンプラスは引退しても、太鼓腹が赤と青の格子縞ショーツに垂れ下がる Hertz のコマーシャルに出る事はありそうになかった。

礼儀正しい拍手喝采、そしてクスクス笑い(大半はサンプラスの対戦相手、ジョン・マッケンローに向けて)を送りながら、シャーロット市のテニスファンは、引退してなおアスレティックなサンプラスを一目見る機会を得た。金曜日のジョン・ポール・ジョーンズ ・アリーナは、黄金色の堅木を Smurf ブルーのテニスサーフェスに換えていた。

会場は「サービング・アップ・エース」エキシビションに向けて、親しみやすい雰囲気を作り出していた。そしてファンは、2人の史上最高のアメリカ人テニス選手が披露するものを、気に入ったようだった。

両プレーヤーともスムースに動き、巧みなボレーを打ち、しばしば大仰な振る舞いで長いラリーを終わらせた。そしてファンは、望んだ通りの長い試合を堪能した。サンプラスはいつでも試合を意のままにできるように見えたが、最終セットまで戦い抜き、試合は6-3、6-7(5)、10-8でサンプラスが勝利した。最終セットは、10ポイント先取のタイブレークだった。

そこにいるのはマッケンローだった。テニスの技量と同じく癇癪で知られる左利きの専門家は、ラインを睨み、審判にばか笑いし、審判の白髪をさらに白くさせていた。マッケンローが困難な戦いをするのは、初めから明らかだった。36歳のサンプラスはマッケンローより12歳も若いのだ。

「(マッケンローの)ファンは――独特の集団だ」と、サンプラスのファンであるビル・ファリスは言った。「もし彼がラインについて何かしないと、ファンは失望するのだろう」

だが両プレーヤーとも、楽しませるだけでなく勝負するつもりでいたのは確かだった。マッケンローは断固として、そして明らかな渋面で、サーブを打つ時には審判の指示通りお喋りを止めるようファンに求めた。

恐らく彼の心には、シニアツアーでサンプラスに負けた2回の敗戦があったのだろう。さらに両者が現役だった頃の、3回の敗戦も頭を占めていたのかも知れない。サンプラスはある1ゲームで、彼ならではの冷静さとビッグガン・サーブで0-40から盛り返し、自分のサーブを見せつけた。

1990年USオープンの名高い対戦では、伸び盛りのサンプラスからマッケンローが1セットを奪ったが、結局は敗れた。その試合と2人の偉人を覚えている者は、記憶が甦った――サーブの時速は数マイル減じ、髪の薄くなった箇所は1ミリほど広がってはいたが。

だが、そこにいるのはピストル・ピートだった。グランドスラム優勝の史上最高リーダーは、物思わしげにストリングスを見つめ、冷静な表情は、それが何であれ、サンプラスが意図する事を意味ありげに瞑想しているようだった。マックは時折ののしり、時折ラケットを投げつけた。

「我々はビッグサーブを見たいんだ」と、19歳のトーマス・マートはサンプラスについて語った。「そして、あなたが年齢の事を考えているのなら、彼はそれほど年を取っていないよ」