ヒンズー
2007年11月28日
かつてのチャンピオンと郷愁を味わう
文:Rohit Brijnath


サンプラスがチャンピオンの繭から出てくるのを見るのは喜ばしい

先週クアラルンプールで私の眼前にいた男、ロジャーから髭剃りを借り、Warney からは植毛アドバイスを受ける必要のあるこの男は、どうもピートのようだ。

以前と同じ丸めた肩。以前と同じネットへの静かなステップ。以前と同じ耳障りなバックハンド。だが、いいや、うまい物真似ではあるが、ピートである筈がない。

この男は微笑んでいる! これまでピートが一度だって、最後のポイントが終わるまでに微笑むのを見たか? 待て、彼は審判をプレーに引き込んでいる。ラッキーボレーの後にジグを踊っている。

ピートが、踊る? ウインブルドンのお茶くみ女性合唱団で歌うマッケンローのようなものだ。彼はロディックの物真似をし、そして観客はにっこり笑う。間違いなくこの男はそっくりさん、コピーだ。ピートは観客を喜ばせようとするような宣伝マンではなかった。

だがそれはピートだ。彼がボールをトスする瞬間に分かる。そっくりさんにあのサーブを真似る事はできない。彼はゆったりと身体を巻き戻し、すべてがオイルのように滑らかで、筋肉が躍動する。そして手首がしなり、ボールが後方の壁に突き当たる。フェデラーの信じられないという表情が、無味乾燥に時速217キロを計測するスピードガンよりも多くを物語っている。

ピートが2002年USオープンの後にテニス界を去ってから、5年が経っている。しかしあの独特なアクションは、筋肉の記憶に刷り込まれているのだ。どうやって、と誰かが尋ねる。あなたは今でもそれが出来るのかと。そして彼はゆっくりと答える。「分からないよ。ある男たちは、ただ力強い腕と生来の才能に恵まれているのだと思う。サーブについては、僕はあれこれ考えない。ただ自然にサーブを打つんだ。トスを上げて、ライン目がけて打つ」

私はこの新しい、くつろいだ、構えない、陽気なピートが好きだ。かつての整然とした、性急で、無口なピートが好きだったのと同じく。彼が現役時に自制を保ち、自分の使命にすべてを捧げた場合に限り歴史は作られうるのだと理解する運動選手であった事は素晴らしい。今は違う。彼は自由で、義務はすでに果たされた。そしてこんな風に人々が彼と会えるのは喜ばしい事だ。チャンピオンの繭から抜け出した人間と。

数カ月前に催された「名誉の殿堂」式典では、彼は現役時に纏っていた鎧を脱ぎ捨て、スピーチの最中に何度も言葉に詰まり、感激の涙を止める事ができなかった。世界ナンバー1の座は慎重を要する地位である。そしてピートは決して自分の多くをさらけ出さなかった。今、彼はもっと多くを差し出す。そしてフェデラーへの言葉は価値あるものだった。これは非凡な才能を見極める偉大さだからだ。

彼は、フェデラーには彼と同様に「特別なギア」があると確証した。そして付け加えた。「彼の軽くさっと打つバックハンドは、正直に言って、見た事もないものだ。素晴らしいショットで、僕にはなかったものだよ」

彼はフェデラーのしなやかなゲームを称賛するが、並はずれて際立った彼を描写するのに1つの単語を使った:高潔。アメリカ人はそれを持っていた。スイス人もまた。近代スポーツの大半は、そうではない。

彼は我々のためにフェデラーを分析してくれた。「まず第一に、彼は強烈なファーストサーブと優れたセカンドサーブを持っている。ロジャーはコート後方で素晴らしい動きを見せ、ボールをとてもクリーンに打つ。基本的には、彼はフォアハンドを打つ機会を待っているが、恐らくテニス界で最も強烈なフォアハンドを持っている。そして彼の動きは世界最高だ。彼が走りながらできる事、彼は望むなら前へ詰める事もできる。彼にできない事は何もない」

サーブ&ボレーについて尋ねられた時、彼の口調は悲しげに聞こえた。「(今日のプレーヤーは)より強烈なサーブを打ち、ボレーの正しいテクニックを身につけない。サーブ&ボレーを覚えるには時間がかかる。いわば長いプロセスだ。現在の選手たちは大きいラケットを用いて、ただベースラインからボールを強打する」

フェデラーは語った。サンプラスは今でも速いコートではトップ5の資質を備えている。そしてピートの内部のごく小さな、好奇心の強い部分は、戻る事を切望しているに違いない。ほんの数日間、例えばクイーンズで、彼が誰であったかを若いプレーヤーに思い出させるために、と。

彼はその何人かを倒すだろう。しかし概して言えば、彼の脚はあまりにも遅く、ゲームはあまりにも速く、そして彼の肺はあまりにも疲れている。

彼はカムバックにノーと答えた。ノーと言い続ける筈だ。

彼は勝つためにだけプレーしたのだ。そして今、彼はセカンド・ベストだろうから。