レジェンド・エンクワイラー
2008年3月9日
サンプラスとマーチンは素晴らしいショーを披露する
文:CHRISTA TURNER


Rawalnda ハーキュリーズは、とにかく全力でテニスボールを打ちたかった。それが彼女自身もボールを追いかける事を意味しても。

「テニスについては少ししか知らないの」とハーキュリーズは語った。「ボールを打つ事もほとんどできないわ」

土曜日の午後、彼女と2人の姉妹ブリアナとセイシェルは、コロンバス地域テニス協会(CORTA)ブロック集会の主催により、コロンバス市民センターの駐車場で1時間ほどスポンジ製テニスボールを打って過ごした。

ピート・サンプラス対トッド・マーチンのエキシビション・マッチに向けたイベントとして、CORTA のメンバーとボランティアはテニス指導法「クイック・スタート」方式を用い、 数百にわたる区域の若者に小さな即席コートでプレーするチャンスを提供した。

セイシェル・ハーキュリーズはガールスカウト、テニスキャンプ、そして母校のクラブビュー小学校でテニスをしたと語った。

ハーキュリーズ姉妹はサンプラス――かつての世界ナンバー1テニス選手―― について何も知らなかった。しかし母親のマリリン同様、彼女たちはしきりに試合を見たがっていた。

「これは一生に一度の機会ですもの」とマリリン・ハーキュリーズは言った。「私は一度もプロの試合を見た事がないのです」

セイシェル・ハーキュリーズが付け加えた。「きっとワクワクするわ」

サンプラスとマーチンはその期待に応え、市民センターで約1,500人の観客を前に楽しいショーを披露した。エキシビション・マッチは優れたテニスと共に、プレーヤー間の愉快な実況放送をも提供した。

トッドは鈍いスタートを切った後、あるポイントで主審のマイクを取り上げて、「夜が明ける前には、僕はいいショットを打つよ」と観客に語りかけた。彼はそれを実行し、第1セットでサンプラスをタイブレークにまで押しやり、7-6(3)で失った。

サンプラスは試合を大成功か大失敗というスタイルで始め、2本のダブルフォールトとエース、返球不能のサーブを混ぜて第1ゲームをキープした。第1セット後半では両プレーヤーとも調子を取り戻し、長いラリーが続いた。サンプラスはあの強烈なサーブのおかげもあって、7-6(3)、6-4でエキシビション・マッチに勝利を収めた。彼はその夜に放った多数のうちの1本、エースで試合を締めくくった。

サンプラスとトッドは、この試合をより大きな目的の準備運動と捉えていた。マーチンは水曜日に大会でプレーするのだ。

「彼のパワーに対応できるなら、僕はかなり良い状態という事だ」とマーチンは語った。

サンプラスは現在の世界ナンバー1選手ロジャー・フェデラーと、ニューヨークでエキシビション・マッチが予定されている。その試合は月曜日にマジソン・スクエア・ガーデンで行われる。サンプラスは、試合の目標は競い合ったものにする事だと語っている。

サンプラスは語った。「僕は今でもプレーを楽しんでいる。今でも競争心がある。トッドは僕のトップ・ライバルの1人であり、良い友人だ。今でも良いプレーをしたいと思っているよ」

36歳のサンプラスは記録的な14のグランドスラム大会優勝を遂げたが、引退して5年になる。ゲームから去ったのは正しい決断だったと彼は語った。グリーンベイ・パッカーズのクォーターバック、ブレット・ファーブの引退記者会見を聞いて、それを再確認したと語った。

「それはまさに僕が感じた事だった」とサンプラスは言った。「僕はまだプレーできると感じていた。だが肉体的には疲れてくるんだ。僕は望んだすべてを勝ち取り、そして自分の意志で辞めたよ」

マーチンは試合前に子供たちが即席コートでプレーしているのを見て、何かしら「素晴らしい」ものに気付いたと語った。サンプラスも同様の考えを示した。

「僕がここに来た事で、子供たちがテニスをしたいと望み、この地でテニスが盛んになるきっかけになるといいなあ」とサンプラスは語った。

コロンバス州の男女テニスプレーヤー、ショウ高校のテニスチームは共同して、ブロック集会の指導で CORTA を手助けした。

「彼らはゲームを指導し、そして子供たちとプレーをしてくれました」と、CORTA 委員会メンバーのシェリル・スミスは語った。「我々は子供たちに、テニスをほんの少し経験する機会を与えたかったのです。きっと彼らは『テニスが好き、プレーしたい』と言うでしょう」

「クイック・スタート」方式では、90フィートの代わりに32フィートのコートを採用し、より小さいラケットとスポンジボールの使用を特色としている、と CORTA のニタ・ペリーは語った。

「ヨーロッパでは誰もがミニコートで成長しました。スポンジボールから低圧縮のボールへと移行していきます。そして11〜12歳になると、彼らは通常のコートでプレーが可能になっているのです」

幼い子供たちの多くは、サンプラスが19歳で1990年USオープン優勝を遂げた時には生まれておらず、テニス界における彼の名声を知らなかったが、大人は承知していた。

「私の年代にとって、サンプラスはまさに『男子チャンピオン』でした」とスミスは語った。「我々が見ていたのは彼でした」

土曜日の夜はテニスファンに、テニス界の歴史的な偉人の1人とじかに会うチャンスを与えたのだった。