オレンジ・カウンティ・レジスター
2007年10月26日
サンプラスは適度にテニスへと戻る
文:Janis Carr


14回のメジャー・チャンピオンは、エキシビション・サーキットを楽しんでいる。
ジム・クーリエとの対戦で、彼は日曜日にアナハイムを訪れる。


ピート・サンプラスは途方に暮れ、少し元気がなかった。

銀行には何百万ドルもの預金があり、履歴書にはテニスの試合に明け暮れたキャリアが記されていた。しかし今、父親である事とゴルフのハンデを下げる以外に、すべき事はあまりなかった。

31歳で引退する事、それは人によっては夢の人生である。しかしサンプラスにとって、それは空気の抜けたテニスボールを打つ事にも似て、とるに足らないものだった。

彼の父や祖父は、家族を養うために生涯働く男だったのだ。祖父は年老いるまでコックとして働き、父親のサムはスペースシャトル計画の機械エンジニアとプロジェクト・マネージャーとして働き、58歳で退職した。

36歳のサンプラスは、2002年USオープンで優勝した後に引退した。そしてゴルフ、旅行、ゆったりした朝には「すぐに飽きた」と語った。

「引退した頃は、心地よかったよ」と彼は付け加えた。「でも大して何もせずに3年が過ぎて、僕は落ち着かなくなり、退屈するようになった。自分がまたプレーしたくなるかどうかは分からなかった。それから機会が訪れたんだ」

その機会はプロ選手を疲れさせる厳しい日程の旅行、あるいは練習スケジュールを厳守するというプレッシャー、ダイエット、目覚まし時計などとは無縁にプレーするチャンスだった。

そこで1年前に、サンプラスは世界チームテニスで少し、そしてエキシビションで何回かプレーした。しかし落ち着かない気分は静まるどころか、テニスボールを打つ事は彼の競争心をかき立て、そしてフォアハンドを研ぎ澄ますばかりだった。

今や名誉の殿堂入り選手はエキシビションを定期的にこなし、かつての偉人や今日のスターと世界じゅうでプレーしている。サンプラスはアナハイム・コンベンション・センターの競技場で日曜日の夜に行われる、元メジャー・チャンピオンのジム・クーリエとのエキシビション・マッチに備えている。

試合の興行収入は、オレンジ・カウンティ赤十字社と、山火事の犠牲者への援助に役立てられる。イベントの主催者はオレンジ・カウンティの消防士に敬意を表し、彼らとその家族をイベントに招待する。

「これらの試合をする事は、僕の生活にバランスを与えてくれる」とサンプラスは語った。彼は来月アジアで、世界ナンバー1のロジャー・フェデラーと3度対戦する。「体調を整える良い機会だし、再びテニスボールを打つ事を楽しんでいるよ。以前のような激しさやプレッシャーを抱えてそれをする必要がないからね」

サンプラスは自分の意志で引退した――記録となった14回目のグランドスラム・タイトルを獲得した1年後に――ので、スポットライトから追い出された運動選手につきまとう悪魔には直面しなかった。

ジェニファー・カプリアティは最近「ニューヨーク・デイリー・ニューズ」とのインタビューで、怪我で辞める事を強いられて以来、憂鬱と闘い、自滅的な考えに追い立てられてきたと語った。

「プレーをやめた時、それは全てがぼろぼろに崩れ落ちてきた時だった」カプリアティはそのように語ったと伝えられた。

「もし私に(テニスが)ないなら、私は誰? 私は何者なの? 私はこのために生きていた。私は自問しなければならなかった。『ジェニファーって誰? これが今なくなってしまったら、どうなるの?』と。残りの人生を、テニスと共に送る事はできないの?」

サンプラスには、そういった心をかき乱す疑問はない。彼は自分が誰かを知っている。彼はピート・サンプラス、元テニス・チャンピオン、夫であり2人の幼い子供の父であり、そしてパートタイムのプレーヤーである。彼はまた、兄のガスと共にスポーツ・マネージメントの会社を始めた。

サンプラスは19歳で1990年USオープンに優勝し、カプリアティのように若い年齢で成功を経験した。しかし突然スポットライトの中に押し出されて、退却する羽目になった。カメが甲羅の奥へさらに縮こまるように。そして翌年タイトル防衛に失敗した時には、実際に解放感を表明した。

「とても若い時にあのような大躍進をすると、たくさんのミスを犯すものだよ」とサンプラスは語った。「多くの人々が僕のところに来て、楽しくない申し出をした。僕は20代で、目隠しをつけてテニスだけに焦点を合わせていた。たくさんの人が僕を利用した」

「お金を追うのではなく、スケジュールを賢明に調整する必要がある。僕はメディアや注目される事、要求に対する準備ができていなかった」

サンプラスは若いプレーヤーに自分の経験を伝えて、ツアー活動の初期に直面した問題を回避する手伝けをしたいと語った。しかし彼は自分自身を、コーチというよりも助言者として捉えている。

サンプラスはライアン・サッチャーという、北ハリウッド・ハーバード - ウェストレイクに住む17歳の高校生に目を注いできた。彼は USTA 少年18歳の部でナンバー1にランクされている。サッチャーは多くの可能性と才能を持つ賢い少年で、ATP ツアーへではなくスタンフォード大学へ進む予定だという。

もしサッチャーがプロへの道にトライするのなら、その場に行くとサンプラスは語った。

「僕は年若い子供の助言者となりたい……提供できるものが大いにあると思う」

それまでは、彼のコンサルティング・ビジネスは息子たち、4歳のクリスチャンと2歳のライアンに限定される。