OC レジスター
2006年8月8日
年を重ねたサンプラスは、今でもクーリエを支配する


月曜夜のピート・サンプラスとジム・クーリエの対戦は、エキシビションというよりリバイバルの感があった。

伝説的選手たちはハードコートに戻ってきた。1人は以前よりも髪が薄くなったようだった。両者とも以前より老けて見えた。両者とも以前よりのろのろとプレーした。しかしホーム・デポセンターで始まる最後の試合を午後8時30分過ぎまで待っていた者たちは誰も、偉大な男たちを彼らの過去と比べるために来たのではなかった。

これは、かつてテニスがそうであったものを思い出す事、親友同士の火花を見る事であった。グランドスラムのタイトルを勝ち取っているアメリカ人を。激戦の末に銀のトロフィーにキスをし、世界最高のライバル関係の中で輝いていたアメリカの男たちを。

今週の WTA ツアー、JPモーガン・チェイス・オープンの開始イベントとして、ナフタリンの臭いをさせてコート上をよろよろする、サンプラス vs クーリエのようなライバル関係を。

この女子大会の最大の呼び物が、引退した2人の男たちになるかも知れないとは、妙な話だ。だが、それは別の問題である。

月曜日の夜、ビッグネームの男たちはショーを提供し、64分でサンプラスが6-1、6-4の勝利を収めた。

サンプラスは2003年に引退して以来、5月に初めてラケットを握ったばかりだったが、今でも強力なサーブと強力なセカンドサーブ、急速に回転するフォアハンド、スライス、ドロップショット、リターン、その他すべての武器を有していた。そしてクーリエは、かつてそれらが自分を痛めつけたのを思い出していた。

2人が観客の前で最後に試合をしたのは、1999年、フロリダのキービスケーンだった。彼らにとって、月曜日の夜は、クラシックなロックバンドが同窓会コンサートで再会したかのようだった。

そしてエキシビションには、ローリング・ストーンズのお別れツアー的な特質があった。引退した2人は、18のグランドスラムを含め、合わせて87のテニス・タイトルを獲得していたのだ。

「僕も大いに試合を楽しんだよ、負けたって事以外はね」クーリエはくつろいだ様子で語った。

恐らく彼はサンプラスのファーストサーブ、時速125マイルでコートを越えて炸裂するエースは、好きではなかっただろう。あるいは、白いナイキから欺くように放たれるサンプラスのスライス・ボレーは。あるいは、ファーストセットでサンプラスが5-0とリードした事は。「瞬きする間もなく、それは起こったんだ」とクーリエは言った。

「ピートがそんな風にプレーすると、彼を倒すのは難しいよ。彼は上手くサーブを打ち、上手くリターンをしていた。その2つが合わさると、彼は、うん、ピートだ」

女子プロテニス大会のための、この「最高のテニス祝典」である開始イベントは、クーリエが穏やかな形式でのリベンジを日没に――少なくともレジャー施設のプールサイドでの余興として――図る機会を提供した。20回におよぶ彼らのプロ対決で、クーリエは16回サンプラスに敗れていたのだ。

過去数カ月の間、2つのフレンチ・オープンと2つのオーストラリアン・オープンを含む23タイトルを獲得し、2000年にラケットを置いたクーリエは、この鳴り物入りのリベンジ・マッチのため、自分にトレーニングを課したとの話が浮上していた。

一方、同じインターネット情報源は、世間を騒がすテニス試合への、サンプラスのやる気なさげなアプローチを伝えていた。

クーリエはこの試合への準備に細心だと書く者がいる一方、ロサンゼルスのサンプラス邸の外で張っている聞き込み屋たちは、世界じゅうのウェブサイトを賑わわせた。彼の世代の最も偉大なテニス選手――762勝222敗のキャリア記録を有し、1993年から1997年まで(訳注:サンプラスが1位にいた最後の年は2000年)、ATP 記録である286週間トップにランクされ、64のシングルス・タイトル(内14のグランドスラム)の優勝者――は即興でやろうとしている、というレポートで。

結局のところ、現在サンプラスは週に3〜4日プレーするだけで、ウィルソンのボール缶よりほんの少し大きい次男のおしめ替えに時間を使い、この夏、ワールド・チーム・テニスのニューポートビーチ・ブレーカーズの一員としては、彼の偉大さを大して披露しなかった。

サンプラスは土曜日には35歳になるが、乳母車を押して現れはしなかった。彼は試合前に興味深いストレッチを行い、Geritol(訳注:マルチ・ビタミン剤の商品名)を摂取した。

クーリエは木曜日に36歳となるが、より活発に見えた。しかしサンプラスは彼をコーナーからコーナーへと振り回した。息を切らせての豪打がワイドに、あるいはネットの中に、あるいはスタジアム・コートの隅に置かれているランドローバーのサイドパネルに飛んでいくまで。

第2セットでは、教科書通りのスマッシュをネット中央に引っ掛けた後、クーリエはラケットをボールボーイに渡した。敗戦――それが再び起こった。

20回の対戦中、グランドスラムの決勝戦で相まみえたのは1度だけだった。1993年ウインブルドンの時で、サンプラスは芝の上でクーリエを7-6、7-6、3-6、6-3で破った。

月曜日の夜の試合は、物の数にも入らなかった。これらのプレーヤーの伝説的な存在感は、永遠であると証明する事以外には。



*この試合の様子を伝える「YouTube」の映像リンクはこちら。

http://www.youtube.com/watch?v=3H9azeZOvCM&mode=related&search=
http://www.youtube.com/watch?v=VowUAgIG1Xw&mode=related&search=