マリーン・インデペンデント・ジャーナル
2007年9月10日
サンプラスはティブロン・エキシビション・マッチで短気になる
文:Dave Albee


彼の頭頂部には普通より早めのはげが進行しているかも知れない。そして彼のテニスゲームのタイミングはずれているかも知れない。だが36歳になったピート・サンプラスが、今でも相手に勝ちたいと思っているのは間違いない。

主審のラリー・マクミューレンは、それを知るべきだ。

ティブロンで日曜日に行われたアルムニ・レジェンド・カップで、サンプラスはくつろいだエキシビション・マッチを楽しんでいたが、引退した14回のグランドスラム・シングルス優勝者は、第1セットの第7ゲームで苛立ちを感じた。対戦相手――才能ある19歳のサム・ケリー――がバックハンドをライン沿いに打ち、線審がそれをインと判定した時だった。サンプラスの考えでは、そのショットはインというよりもミル・バレー(カリフォルニア州マリーン郡にある渓谷)に近かった。そこでマクミューレンにオーバールールを求めた。
日曜日にティブロン・ペニンシュラ・クラブで行われたサム・ケリーとのエキシビション・マッチで、ピート・サンプラスは笑顔を見せてサービス・モーションに入る。

彼はしなかった。

「ばつが悪いのかい? あなたは恥じ入るべきだ」と、サンプラスは真剣になって言った。それからピストル・ピートは主審の椅子下方のサイドラインへと歩み寄り、タオルで身体をふいて鬱憤を晴らした。

「僕はあまり怒る方じゃない。だがあれには腹が立った」と、サンプラスはマクミューレンにきつく言った。

そこにポイントがある。サンプラスはテストを受けるためにティブロンへやって来たが、代わりに短気(testy)になったのだ。

「あそこには敬意ってものがないね」と、後にサンプラスは冗談を言った。

彼は戯言を言っているのではない。

日曜日、サンプラスの次の相手、ロジャー・フェデラーは黒のウェアを着て、満員の観客とテレビ視聴者を前に、USオープンでアーサー・アッシュ・コートのステージに立っていた。サンプラスは白いシャツと白いダスティ・ベイカー(大リーグのシカゴ・カブス監督)サイズの リストバンドを身につけ、ティブロン・ペニンシュラ・クラブのスタジアム・コートに現れた。観客は施設の収容人員2,000人よりは1,000人に近かった。

残念な事だ。オークランド・レイダーズは恐らくプロ・フットボールで最悪のチームだが、それでも日曜日には満場の観客を引き寄せる事ができる。一方、恐らく過去最も偉大なテニスプレーヤーのサンプラスは、テニス狂が集まる地域でその場所を満たす事ができなかった。

まあ、彼らはエキシビションを見逃したのだ。

その問題あるコールの後、サンプラスはそのゲームを勝ち取るために9本のセットポイントを逃れようと努めた。結局、彼は第1セットを6-4で失ったが、次のセットはタイブレークを7-2で制し、7-6で勝ち取った。だが最終セットの10ポイント・タイブレークは、6フィート6インチのケリーが 10-6で勝利した。

「楽しかったよ。自分の半分の年齢の人と対戦するほど素晴らしいチャレンジはないからね」とサンプラスは語った。「彼は世界の48位で、今後さらに良くなっていくだろう。そのレベルでプレーするのは、自分が良い状態を維持するための大きな挑戦だ」

公平に見ても、今年ケリーはトップ25の選手(ジェームズ・ブレイク、トミー・ハース、ミカエル ユーズニー、ホアン・モナコ)を何人も倒してきた。そしてサンプラスは2002年に競技テニスから引退して以来、恒常的にプレーや練習をしていなかった。妻である女優のブリジット・ウィルソンと共に2人の息子を育てながら、彼はゴルフにいそしんできた。テニスに最適な体調という訳ではなかった。

「僕は古いおんぼろトラックみたいなもんだ」とサンプラスは自嘲ぎみに言った。

もしそうなら、見た目はは少し錆びつき、タイヤはすり減っているかも知れない。だがモーターは今でもそれなりに回転し、勢いもある。サンプラスのサーブには鋭さが残っており、フォアハンドにもキレがある。彼はエキシビションのシングルス試合の後、スタンフォード大学のアシスタント・コーチに任命された TPC プロのブランドン・クープと組んでダブルスに臨み、ケリーと24歳のパブロ・ピアーズ・デ・アルメイダのチームと対戦した。サンプラスとクープは両セットのタイブレークを12-10、10-3で制した。

オーケー、確かにサンプラスはウインブルドンに出場できるほどではなかった。彼はボールに追いつくために唸り、1回はサービスリターンをふかして、ボールはスタンドを越えて茂みへと飛んでいった。

それはその日のマリガン(ゴルフの非公式試合で、最初のティーショットに限り許される打ち直し)だと見なしてほしい。

「時々、自分に驚く事がある」とサンプラスは言った。「同時に、今日みたいにかなり(ショットを)ミスする事もある。今や僕は年を取ったという感じだね」

充分に年の行った、しかしながら、コートの比類なき王者と対決するほどに。26歳のフェデラーは、サンプラスのグランドスラム・タイトル記録にあと2つまで迫る男だ。11月20日に韓国のソウルで始まる試合を皮切りに、彼らは5日間で3回のエキシビション・マッチを行う。彼らは合衆国でもエキシビションを行おうと話し合っている。2人がアジアで対戦して、サンプラスが「クリスマスのお小遣い」と呼ぶものを得た後に。

「予想がつかないよ」とサンプラスは語った。「最初の数ゲームでは、僕は檻に入れられたライオンのようなものだろう。自分のサービスゲームをキープするよう努めるよ。だが彼と練習した(今年の初めに2日間、ロサンジェルスのサンプラスの自宅で)時は、自分のサービスをキープできた――彼と競い合えるといいね。決まり悪い思いはしたくないな。場に臨み、そして上手くプレーするよう望むよ」

日曜日は明らかに、サンプラスは対戦相手に対して充分上手くプレーした。フェデラーが全力を尽くす事に、ケリー は自分のクリスマス・ボーナスを賭ける気でいるのだから。

「もしピートが彼にそうさせなかったなら、驚くだろうね」とケリーは言った。1995年にサンプラスがボリス・ベッカーをウインブルドンで破り、同じ年のUSオープン決勝戦でアンドレ・アガシを下した時、彼は(カリフォルニア州)サンタロサに住んでいた。

それはもちろん、サンプラスがトレーニングに努め、大学の学生たちと週に2〜3回以上の試合をし始めると想定した場合である。

「精神的にはいい感じだよ」とサンプラスは語った。「肉体的にも問題はない。だがテニスに関しては、まだそれほどキレがない」

それが、サンプラスがティブロンでプレーする事にした主な理由である。初開催されたアルムニ・レジェンド・カップではスタンフォード大学が決勝で UCLA(カリフォルニア大学ロサンジェルス校)を6-1で破り、優勝した。

競技的な環境でケリーと競う事は、サンプラスがフェデラーと対戦する「本当のテスト」に向けて、どの辺りに位置しているかを判断するテストだった。

日曜日、サンプラスは自分をどの程度と採点したのか?

「7.5だね」と彼は10段階評価で答えた。「それで言うと、線審は2くらいだったね」