ロサンジェルス・タイムズ
2007年7月14日
サンプラスは土曜日にテニス界の名誉の殿堂入りを果たす
14回のグランドスラム・タイトル獲得者は、サンチェス - ヴィカリオ、
デビッドソン等と式典に臨む。
文:Lisa Dillman


ジョン・マッケンローのような冗漫なスピーチではないだろう――その長々しい独白は、テニス界の名誉の殿堂における語り草となってきた。

いや、ピート・サンプラスはコート上の礼儀作法に関して、マックをコピーする事はなかった。そして彼は今、マイクロホンの後ろからでさえ、コピーを始めようとはしない。

彼はそれを短く快いものにしておく。サンプラスが芝生で披露した1ポイントと同じくシンプルに。


「10分足らずだ」ニューポートビーチで火曜日に行われたチームテニス前のインタビューで、サンプラスは語った。「それに取り組んでいる。書き上げて、渡したところだ。妻が手を入れてくれるよ」

彼は専門家に委ねる。彼の妻、女優のブリジット・ウィルソンは、本日ロードアイランド州ニューポートで「国際テニス名誉の殿堂」式典が執り行われる前に、彼が文章を読み上げるのを手助けする。そしてサンプラスの長年のコーチで友人でもあるポール・アナコーンは、紹介役を務める。

「基本的には感謝を述べるんだ。家族に、妻に、これまで手助けしてくれてきたコーチ達に。さらに、自分がどのようにスポーツを受け止めていたか、スポーツが僕にとって何を意味していたかを語る。それが全てだ。僕が望んだ場所に到達するのを助けてくれた人々へ感謝する時だ。それが名誉の殿堂だった」

彼は殿堂入りの素晴らしい一流の人々の主役を務める。同じく名誉の殿堂入りするのは、3度のフレンチオープン・シングルス優勝者であるスペインのアランチャ・サンチェス - ヴィカリオ、スウェーデン人初のグランドスラム大会(1957年フレンチ)優勝者スベン・デビッドソン、50年間テニスを撮り続けてきたカメラマンのラス・アダムス。


35歳のサンプラスにとり、驚異的なキャリアを記念するのは家族とテニス界であろう。それは南カリフォルニアのハードコートで生み出された。変身は、恥ずかしがり屋のやせっぽちな子供――ジュニアの早い段階では、バックハンド両手打ちだった――から、記録的な14のグランドスラム・シングルス優勝者へとだった。

14の中には7つのウインブルドン優勝が含まれていた。芝生での最後の優勝は、2000年のパトリック・ラフター戦、薄れゆく明かりの中でだった。そして最後の大会、2002年USオープンの決勝でアガシを相手に挙げた勝利。その2つが最も忘れ難いものだと彼は語った。

「これほど多くのメジャーで優勝するとは、考えてもみなかった」とサンプラスは語った。彼は19歳の時、USオープンで最初のスラム優勝を遂げている。「子供の頃は、ウインブルドンやUSオープンで優勝する事を夢見る。だが実際に考えてはいない、それが本当に起こるとは……。23歳までに、僕はそれがどういう事か理解した。僕はナンバー1になるんだ、ナンバー1である事を楽しむんだと、本当に思った」

しかし、彼は現実的である。ロジャー・フェデラーが5年連続でウインブルドン・タイトルを獲得した(合計では11)ほんの2日後、フェデラーが自分の史上最高記録を破る事について、サンプラスは「もし」ではなく「いつ」という言葉を用いた。

2人の男は、今年アジアでエキシビション・マッチを計画している。友情の兆しは、 この春、フェデラーがサンプラスにメッセージを送り、一緒にヒッティングする事を頼んだ時から始まった。

「彼はインディアンウェルズへ向かう前に、ロサンジェルスへ来ようとしていた。だから僕は『スケジュールを調べて、君との時間が取れるか見てみるよ』と言ったんだよ」と、サンプラスは冗談まじりに語った。

「彼が立ち寄って、僕たちは2日間ヒッティングをした。ロジャーと打ち合う事だけでなく、少しばかり彼を知る事ができたのは、とても楽しかったよ。

「僕たちは1回のヒッティングの後に、2時間話をした。彼は素晴らしい男で、面白い奴だ。多くの面で子供でもある。彼が僕の記録を破る時が来るが、彼に破られるのならいいと思うよ。僕の意見では、彼はスポーツそのものだ」

サンプラスは自分自身について話す事もできた筈だ。彼は今日、演壇からそれをする。

「日々の生活では子供の世話をしたりしている。今回の事は、すべてを中断して、過去を振り返り、今までしてこられた事を味わう時を僕に与えてくれる」

「時には自分が何者なのか見失う事もある。それを味わう機会になるだろう」



ピークにおいて

ピート・サンプラスのキャリアにおける事実と数字:彼は今日「国際テニス名誉の殿堂」に叙せられる。

・プロ転向:1988年
・引退:2002年
・オーストラリアン・オープン優勝:2回(1994、1997)
・フレンチ・オープン優勝:0
・ウインブルドン優勝:7回 * (1993〜95、1997〜2000)
・U.S. オープン優勝:5回** (1990、1993、1995〜96、2002)
・グランドスラム優勝合計:14回*
・グランドスラム決勝戦績:14勝4敗
・生涯シングルス優勝回数:64回
・生涯シングルス勝敗記録:762勝222敗(0.776)
・ナンバー1在位:286週*
・年度末ナンバー1:6年* (1993〜98)
・生涯獲得賞金:43,280,489ドル*

*:オープン化時代最多(1968〜現在)
**:ジミー・コナーズと並び、オープン化時代最多