ボブ・ラーソンのテニスニュース
2007年8月6日
リチャード・クライチェク、ニューポート・プレビュー(抜粋)


以下は、1996年ウインブルドン・チャンピオンのリチャード・クライチェクとの質疑応答である。彼は8月22〜26日にロードアイランド州ニューポートの「国際テニス名誉の殿堂」で開催される「ギブソン・ギター・チャンピオンズカップ」で、アウトバック・チャンピオンズシリーズの合衆国デビューを果たす。

質問:ウインブルドンチャンピオンとしては、「ギブソン・ギター・チャンピオンズカップ」の芝生コートでプレーする事に、興奮していますよね?

リチャード・クライチェク:
ええ、僕は芝生でプレーするのが好きだ。芝生を本当に心地よく感じる選手はあまりいないが、僕のゲームは芝生に向いていた。僕はサンプラス、ラフター、イワニセビッチ等、素晴らしいグラスコート・プレーヤーの時代にプレーした。今はみんなベースライン・プレーヤーだ。芝生は変化した、と選手たちは僕に言う。より遅くなり、それ故にサーブ&ボレーをするのはさらに難しくなっていると。

残念な事だと思う。僕は対照的な(プレースタイルの)選手を見るのが好きだったからね。ボルグ対マッケンロー、レンドル対エドバーグ、ラフター対アガシといったような。最近のテニスがあまり面白くないという訳ではないが。僕にとって今年のウインブルドン決勝は、これまでの中でベストの1つだった。ナダルはとても見事なプレーヤーだ! 彼はテニスを、新しいレベルのフィットネスへと持っていっている。そしてロジャー・フェデラーは、もちろん見る楽しみを与えてくれる。

質問:1996年にウインブルドンで優勝した時、あなたはセンターコートでピート・サンプラスを破り、恐らくキャリア最高の勝利を挙げました。あの試合について、そして引き続きタイトルを獲得するに至った事について、語ってもらえますか?

リチャード・クライチェク:
僕の子供たち、エマとアレックは今年、ウインブルドンのプレーヤーズ・ラウンジで「(優勝者の)名誉の壁」を見た。こうあった。「1993年サンプラス――1994年サンプラス――1995年サンプラス――1996年クライチェク――1997年サンプラス――1998年サンプラス――1999年サンプラス――2000年サンプラス」。そして彼らは、ピートのために残念がったんだよ!

彼らは2カ月前に、アテネのアウトバック・チャンピオンズシリーズ大会で彼と会い、彼は僕の子供たちと少し打ち合ってくれたんだ。もちろん、子供たちは彼をとても好きになった。ピートは温和で親しみやすい男だからね。僕は言ったよ。「いいかい、ピートはウインブルドン・トロフィーを7つも持っている。僕は1つだ。だから彼を気の毒がらずに、僕のために喜んでくれよ!」とね。

1996年のウインブルドン準々決勝でピートを倒したのは、驚くべき心地だった。だが、もし次のラウンドで負けたら、何の意味もないと承知していた。まだ終わっていなかった。僕は優勝が欲しかったんだ。ウインブルドン優勝は、僕の人生を変えた。僕は入れ墨をするタイプの人間ではないが、ゴランが背中に「ウインブルドン・チャンピオン」と入れ墨をした気持ちを理解できる。それは最高の高揚感なんだ。