ヒンズー
2007年7月2日
フェデラーは超一流、だがサンプラスは芝生の王者
文:Nirmal Shekar


ロンドン:金曜日の夜、第121回ウインブルドン選手権の3回戦を見ていた。大半はベースラインに陣取るロジャー・フェデラーが、堂々たる風采にはおよそ及ばない出来のマラト・サフィンを、センターコートで王者にふさわしく専制的に退けた。この筆者は、避けがたい病――懐古趣味――に打ちのめされ、巻き戻しボタンに手を伸ばした。この病は概して、刈り込まれたイギリスの芝生で行われるスポーツを見て、あまりに多くの夏を過ごした人々を冒すのだ。

1980年7月、ビョルン・ボルグはここでジョン・マッケンローと対決した。彼らが2回対戦した決勝戦の1回目だった。あの5セットの叙事詩を見た者は誰でも、マッケンローが18-16で勝った第4セットのタイブレークを容易に思い出すだろう。

だが私の記憶で鮮明なのは、そしてもっと簡単に思い出すのは、マッケンローの目も眩むような手練による魔法がかったボレーウィナーである。

偉大な左利きの魔術師は、今でもこの辺りにいて、コメンタリー席から我々を楽しませている。しかし彼の息を呑むような妙技によるストローク――ボレー――は、絶滅への道を辿っている。現在、風変わりなプレーヤーがすべてのポイントでサーブ&ボレーをしようとする時、それはまるで退化した痕跡のように見える。

失われた技

ロジャー・フェデラーは教則本のあらゆるストローク――テニスのマニュアルを書いた者には、彼ならではの非凡なショットメイキングを夢見た事さえなかったために、載っていないものもある――を見事にプレーできるが、彼でさえ、4回のうち3回は、大半をベースラインからプレーして優勝した(2003年の初優勝を除く。その年はマーク・フィリポウシスとの決勝戦で、大部分サーブ&ボレーをした)。

そしてまた、フィリポウシスは決勝でフェデラーが対戦した唯一のナチュラル・サーブ&ボレーヤーである。他の2人はアンディ・ロディック (2004、2005年)とラファエル・ナダル(2006年)である。この事は私に、スイスの巨匠がその記録を追う2人の男について考えさせた――ボルグとピート・サンプラスである。

この2人は各々5つと7つのタイトルを獲得するまでに、その時代の最も素晴らしいボレーヤーと対決しなければならなかった。

彼の主要なライバルにネットへ仕掛けてくる者がほとんどいない――そしてこれゆえに、彼自身のボレー技能が一度も真に試された事がない――のは、フェデラーの過失ではない。しかしボルグとサンプラスが、ネットに突き進む数人の有能な対戦相手に対処しなければならなかった事は疑いない。

それを考える一方で、この比較で興味をそそるもう1つの面、これら3人の偉大なチャンピオンが合計で16タイトルを勝ち取る中で、倒してきた選手の能力を考慮しなければならない。

まずボルグのドリーム・ランを検討しよう。1976年、初の決勝戦で、スウェーデン人は史上最も有能なショットメイカーの1人、イリー・ナスターゼと対戦した。

次の2年間はジミー・コナーズだった。タイトル無しでコート去るくらいなら、むしろ遺体袋に収められて去る事を望む男。

そして1979年にはロスコ・タナー。もしアンディ・ロディックのサーブを強烈だと考えるなら、ウッドラケットでタナーがサーブするのを見るべきだった。ギロチンのように落ちてくる途轍もないサーブだった。

最後に、マッケンローがいた。偉大なスウェーデン人は、彼の厄介な左利きのサーブに、1980年は成功裏に対処したが、1981年は不首尾に終わった。

もちろん、これらは決勝戦の対戦相手にすぎなかった。ドローにはサーブ&ボレーをする危険な男たちがいた。マーク・エドモンドソン、ビクター・アマヤ、そして我が国のビジャイ・アムリトラジといった男たちが。そして思い出してほしい。5年のうち3年(1978〜80年)、スウェーデンの氷の男はフレンチ・オープンでも優勝したのだ。

ボルグの決勝戦での対戦相手は、合計で17のグランドスラム・シングルスタイトルを獲得した――ナスターゼが2、コナーズが8、マッケンローが7。

今度はサンプラスについて検討しよう。1993年、初の決勝戦では、偉大な男はジム・クーリエ、4回のグランドスラム・チャンピオンと対戦した。決勝戦の他の対戦相手は、ボリス・ベッカー(6グランドスラム・タイトル)、ゴラン・イワニセビッチ(1)、アンドレ・アガシ(8)、そしてパット・ラフター(2)だった。サンプラスの決勝戦での対戦相手は、合計で20のグランドスラム・タイトルを獲得した。

比較すると、フェデラーの決勝戦での対戦相手が獲得したのは4つ(ナダルが3、ロディックが1)である。

選手は自分の時代に存在するフィールドでプレーするしかないと言うのは容易いが、他方、もし直面した対戦相手を一定の公平さで比較検討しないのなら、ボルグとサンプラスに対して不公平と言えるだろう。

はい、現在フェデラーは非常に支配的で、重要なメジャー・シングルス記録すべてを手際よく破っていく事ができるだろう。ボルグの5年連続ウインブルドン優勝、サンプラスの7つのウインブルドン・タイトルと合計14のタイトル、そして6年連続年度末1位もまた。

しかしこの事は、ボルグとサンプラスがウインブルドンで成し遂げた偉大さを、何も損ねはしない筈だ。

このすべてを経て、我々には単純な疑問が残る。史上最も偉大なウインブルドン(芝生のコート)のチャンピオンは誰なのか?

私の選択は、ピート・サンプラスである。もしサンプラスとフェデラーが、それぞれのピークにウインブルドンで対戦したら、10回のうち7回は前者が勝っただろうと私は考える。

同じくUSオープンでも、サンプラスが優勢(6-4)だっただろう。だがオーストラリアのリバウンドエースでは、フェデラーが10回のうち7回サンプラスを負かしただろう。そしてローラン・ギャロスのクレーでは、スイス人が10回のうち8回勝利しただろう。

間近に迫った職務

2週目の前半、90試合が残っており、天気予報の見通しもやや暗い中で、月曜日の午前11時に全コートでプレーが開始すると、ウインブルドンの役員は職務に追われる。大会組織は、少なくとも女子の3回戦は土曜日に終了する事を望んでいた。だが天候が厳しい状態では、午後7時にプレーを中止せざるを得なかった。

2週目は、天候が許すなら期待に満ちている。しかし雨が降れば降るほど、フェデラーがビョルン・ボルグの5年連続タイトル記録を破るのは止めがたくなる。

アンディ・ロディックやナダルといった選手たちは、バウンドが予想しがたいさらに柔らかいサーフェスでは、偉大なスイス人への挑戦に苦労するだろう。



<関連記事>
スポーティングライフ(イギリス)
2007年7月1日
アナコーン:サンプラスの復帰はありそうもない