ヒューストン・クロニクル
2006年4月7日
サンプラスはフェデラーが追う猟獣の足跡であろう
文:Dale Robertson


グランドスラムの王者はナンバー1を出し抜くサービスゲームと、
攻撃的なスタイルを持っていた

2001年ウインブルドンの4回戦で、10代のロジャー・フェデラーがピート・サンプラスを負かし、サンプラスには神聖なものとなっていた芝生での31連勝を終わらせた日、バトンが渡された訳ではなかった。

19歳で、 フェデラーはテニスの森に迷い込んだ。素晴らしい身体的才能も、彼の集中力を1試合――時には1セット――から次へと保たせる事はできなかった。彼は準々決勝で地元の英雄、ティム・ヘンマンに敗れた。その後、次の7回のメジャー大会では、4回戦を乗り越える事さえできなかった。2003年にウインブルドンで必然的な成功を収めるまでは。

それが、バトンが渡された日である。論議やカウントが始まった時である。3年足らず後、史上最高論議は騒がしくなり、とどろきへと近付いてきた。

スイス人への盛り上がり
そして支持はフェデラーに向かって傾いている。ごく最近、2度のフレンチ・オープン・チャンピオンであり、サンプラスと同世代であるセルジ・ブルゲラは、 フェデラーの方が優れた選手だと言明した。

サンプラスの考えは?

「世代を比較するのは難しい」彼は微妙な言い回しをした。
「僕が全盛期の時に、(ジョン)マッケンロー、(ビョルン)ボルグ、(ロッド)レーバー、そしてロジャーがいなかったのは残念だ。彼らに対して僕がどんな風であったかは、何とも言えない」

ブルゲラのコメントに関して、サンプラスは「皆それぞれの意見を持っている。セルジは彼の意見を言う権利があるよ」と言った。

皆はフェデラーに味方するようだ。彼が今コートにいるからである。そして2003年後半から、前例がないほどライバルたちを押さえ込んできたからである。めったにミスをしないスイス人は、過去11回のスラムのうち7回優勝している。また、過去200試合のうち、12回しか負けていない。1993〜1995年、サンプラスは12回のメジャー大会のうち6回優勝した。だが彼の権勢の間、フェデラーのような頻度で2番手の大会に優勝する事はなかった。

しかし、その事実はフェデラーの優越性を証明する訳ではない。

サンプラスは語った。「ロジャーは皆より頭1つ抜け出している。そして今日、優れた選手はたくさんいる。だが、素晴らしい選手は10年前より少ないように思う。(ランキングで)50〜70位は、恐らく層が厚いだろう。しかし2〜7位は、僕がスラム大会で優勝するために倒さなければならなかった選手たちほどには強くない」

アガシはピートをプッシュした
1995年は、ウインブルドンとUSオープンで優勝し、オーストラリアでは準優勝であった事から、多分サンプラスの最も素晴らしいシーズンと言えるだろうが、2位のアンドレ・アガシもまた、名誉の殿堂的価値のあるゲームの頂点に到達した。

その年、アガシは相当タフで、メルボルンの決勝戦を含め、サンプラスに15敗のうち3敗を与えた。

3位はオーストリアのクレーコートの巨人、トーマス・ムスター、つまり絶好調時のラファエル・ナダルであった。ボリス・ベッカー、マイケル・チャン、エフゲニー・カフェルニコフ、トーマス・エンクイストがトップ7にいて、その時までに4つのスラム・タイトルを獲得していたジム・クーリエが続いていた。

ベッカーは3度のウインブルドン・チャンピオンで、USオープンとオーストラリアのタイトルも獲得していた。チャンとカフェルニコフは、それぞれ過去の、そして未来のフレンチ・オープン・チャンピオンであった。カフェルニコフは後にオーストラリアでも優勝した。

今日、35歳のアガシとスランプ中のレイトン・ヒューイットはトップ10から脱落し、ランキングでフェデラーの近くにいる選手たちは、合計で2つしかメジャー・タイトルを獲得していない。ナダルのフレンチとアンディ・ロディックのUSオープンである。

最も肝心な事に、彼らのいずれも武器を持っていない。ましてやフェデラーの総合的な卓越を無力化できそうな武器などは。「ロジャーは望む限り長く1位でいるだろう」とサンプラスが言うのは、この理由のためである。

記録を追う
サンプラスが*イワン・レンドルと共有する年末1位の記録に並ぶためには、フェデラーはあと4年を要する。
訳注:ピートは6年連続で1位となっており、レンドルとこの記録を共有してはいない。

グランドスラム・レースについては、フェデラーは全豪オープンで7つ目のタイトルを獲得し、24歳になってから約半年後に、サンプラスの記録14の半ばまで到達した。1995年USオープン、26番目のスラム大会で7つ目のタイトルを獲得した時、サンプラスは24歳になってから1カ月目だった。最初の16スラム大会では不首尾だった後、 フェデラーは「27大会で7タイトル」である。

「ロジャーはツアーを引き継いだ」とサンプラスは言った。「彼は良いプレーをしていない時でも試合に勝ち、簡単そうに見せている。彼が合衆国では、受けるべき敬意を得ていないのは知っている。だが僕は彼へ最大の敬意を払っているよ」

しかしながら、そのしつこい疑問に戻ろう。サンプラスがベストのプレーをした時、ベストのプレーをするフェデラーを倒せるだろうか?

はい、もちろん。なぜなら、サンプラスには武器があったからだ。殺人的ファースト・サーブに加えて、相手を苦しめるセカンド・サーブ、さらには、フェデラーの主要なライバルには欠けている攻撃的なスタイル。彼らはステイバックする傾向があるので、ベースラインの後ろに葬られるが。

「ボルグ、レーバー、ロジャーとで、僕は恐らく(史上最高の)トップ2か3に入るだろう」サンプラスはできるだけ率直に答えて、そう示唆する。「1人のナンバー 1を選び出すのは難しいよ」

「僕に言えるのは、僕がベストのプレーをしていた時、対戦しなければならなかった誰に対しても、負けないと感じていたという事だ」

それは確かに、フェデラーが2006年に感じている事である。