ヒューストン・クロニクル
2006年3月13日
サンプラスは「リバー・オークス」に否と言えなかった
文:Dale Robertson


引退した偉人には、クラブを初訪問した際の楽しい思い出がある


ピート・サンプラスはどこででも、競技へのカムバックを始められた筈だ。「リバー・オークス・カントリークラブ」が(彼の招聘に)成功したのは、その……ゴルフコースゆえであった。

まあ、それは大げさかもしれない。実のところ、サンプラスはリバー・オークスの提案すべてが気に入った。しかし、はにかみ屋で無名の17歳だった彼を IMG がここに派遣した時、彼にはクラブ初訪問で楽しい思い出ができたのは確かだ。

「古い木のスタジアムと、この素晴らしいゴルフコースを覚えているよ」サンプラスは語った。

何年も前にそのスタジアムはなくなり、近代的なコンクリートと金属の構造物に取って代わった。だが「リバー・オークス」のレイアウトは、サンプラスが覚えているものより立派になるばかりだった。契約の一部として、4月6日には、恐らくロビー・ジネプリかテイラー・デント相手に3セットマッチをした後、34歳のサンプラスは大会スポンサーと一緒に1〜2ラウンドする事になる。

サンプラスはかつてデントと練習し、ATPツアーで1回対戦した事もあった。2000年のシンシナティでは、2つのタイブレーク・セットで彼が勝った。ジネプリと対戦した事はないが、ヒッティングをした事はある。

2002年USオープンで優勝して以来、ゲームに戻るという最初の試みを受け入れるまで3年半の間、真剣にテニスボールを打った事はないとサンプラスは語った。

「再びそれに関して真剣になる必要がある」と彼は言った。「再び身体をテニス向きに戻し、腕をサーブに耐えられるようにしなければならない。この何週間か、週に3〜4回ヒッティングをしてきた」

「ボールを打つ事よりも、スタートとストップに慣れる事だ。すぐに身体を痛めるのは嫌だからね」

今年、ヒューストンのテニスコートでサンプラスを見るのは、今回だけではないかもしれない。彼は「ワールド・チーム・テニス」でプレーする予定だからである。ウェストサイド・テニスクラブで、彼がヒューストン・チームと対戦する可能性があるのだ。そして11月には、ジム・クーリエ主催の「スタンフォード ・フィナンシャル・カップ」大会でプレーするためにリバー・オークスへ戻ってくるのも「全く不可能という訳ではない」。

サンプラスは彼が暮らすロサンジェルス地区、あるいはアリゾナ州スコッツデールで、秋に彼主催のシニア大会を行おうとしている。だが、もし今年が不可能なら、彼はヒューストン大会に出場する可能性がある。

「昨年、少しばかり退屈になったんだ」と彼は語った。「競い合いを求める僕の血潮が、再び湧き出ている」

「でも僕はコート上でなにがしか楽しみたいだけだ。これはカムバックではない。『未だ引退中』のカムバックだよ」