チャールストン・ポスト・クーリエ
2007年9月24日
サンプラスはクーリエに辛勝。エキシビションは1,6000ドルの寄付を集める
文:James Beck


日曜日の午後、ピート・サンプラスとジム・クーリエはノース・チャールストン・コロシアムで対戦したが、峠を越えた選手には見えなかった。彼らは全盛期と変わらぬくらいフィットして見え、およそ2,500人の観客は称賛を送った。

現在クーリエはテレビ解説者を務めているが、サンプラスがストレートに放つランニング・フォアハンドについては、自問自答する事になった。そしてサンプラスがサーブの威力を上げ始めると、クーリエは問題の解決法を説く事ができなかった。

グランドスラム・タイトルの記録保持者であるサンプラスは、タイブレークで第1セットを失った後に勢いを増して、長年の相棒を6-7(5)、6-2、10-6で下した。そしてレジェンド・テニスマッチとコート上の式典が終わった直後に街を去った。

エキシビションの真の勝利者は、観客を除けば、16,000ドルの寄付を受け取る MUSC 子供病院だった。当病院は日曜日、イベントから8,000ドル、それと同額を元テニスプロのビル Przybysz が主催するミラクル・マッチ財団から受け取った。

「楽しみを持つのはいいね……。僕は今でもプレーが好きだ」とサンプラスは観客に語りかけた。

14回目のグランドスラム・タイトルとなった2002年USオープン優勝の後、サンプラスは ATP ツアーを去り、テニス界から引退した。そして今年初め、彼は復帰してクーリエが主催するチャンピオンズツアーに参加した。「テニスが懐かしかったよ」とサンプラスは語った。

「我々は優れたレベルのテニスをした」とクーリエは語った。「第2セット、ピートのサーブはただもう見事だった」

サンプラスは第3セットのタイブレークを支配し、自分のサービスポイントでは8本のうち7本を取った。「ピートのサーブには素晴らしいリズムがある」と37歳のクーリエは語った。彼の インサイドアウト・スポーツ&エンターテインメント社は「ミラクル・マッチ・ツアー・イベント」を後援した。

フレンチ・オープンで2回、オーストラリアン・オープンで2回の優勝を果たしたクーリエは、試合を楽しんだようだった。彼は何度も観客とやり取りをしていた。

クレマンズ / クーリエ勝利

サンプラス対クーリエのメイン・イベントより先に行われた有名人ダブルスでは、チャールストン大学男子バスケットボール部監督のボビー・クレマンズとクーリエがチームを組み、サンプラスとマーク・サンフォード知事チームに6-2で勝利した。

前座試合のハイライトは、最後の2ゲームでやって来た。サンフォード知事が10代の息子マーシャルに、自分の代わりにサンプラスのパートナーを務めるよう合図したのだ。コロンビア・ヒースウッド・ホール高校2年生のマーシャルは、すぐに高校テニス選手の技能を垣間見せ、フォアハンドをストレートに放ち、クーリエをパスで抜き去った。しかしクーリエとクレマンズは、次のゲームで首尾良く試合を終えた。



チャールストン大学ジョージ・ストリート・ジャーナル
2007年9月27日
「ミラクル・マッチ」でサンプラスがクーリエを下す
文:Michael Ulmer


9月23日、ノース・チャールストン・コロシアムは素晴らしい雰囲気に包まれていた。ピート・サンプラスとジム・クーリエ、テニス界の2人の偉人が、MUSC 子供病院への基金を募るために「ミラクル・マッチ財団」のテニスツアーでチャールストンにやって来たのだ。

財団は白血病を克服したビル Prybysz によって設立された。白血病リサーチを含む関係組織へ助成金を提供し、さらに病気に苦しむ個人への援助が目的である。

サンプラスとクーリエが素晴らしい試合を演じた他に、チャールストン大学バスケットボール部監督ボビー・クレマンズ、マーク・サンフォード知事が2人の偉人と組んでダブルスを行い、楽しみに加わった。クレマンズはクーリエとペアを組み、サンフォードはサンプラスと組んだ。サンフォード知事は、クレマンズとクーリエが手加減してくれる事を望んでいた。

「私がこの試合でお飾りにならないよう願うよ。このメンバーとプレーするなんて、想像した事もなかった。最も大胆な夢、あるいは悪夢でもね。ジム・クーリエのような男は倒せないよ」とサンフォードは語った。「基本的には、我々はここで、ミラクル・マッチ・ネットワークと子供病院を通じて、信じられないほど重要な事を支援しようとしているのだ。よって私については些かお粗末で、不面目なものがあるが、それは非常に、非常に重要な目的のためだ」

クレマンズ監督にとっては、その試合は夢の実現であった。

「ブロンクスで育ち、ゴルフやテニスには馴染みがなかった。だが大学を卒業した後、私は本当に夢中になったよ。しょっちゅうテニスをするし、試合も見ている」とクレマンズは語った。「ボルグ - コナーズ - マッケンローの時代は忘れないよ。そしてこの男たち(サンプラスとクーリエ)と一緒にいられる事も。私は少し神経質になっているが、楽しみたい。それは尊い目的のためだ。ここは私にとって重要な都市であり、さらに、このイベントに参加できる事は格別だ」

サンプラスはしばらくゲームから離れていたが、クーリエの呼びかけで復帰を決めた。

「この1年ほど、僕はかなり上手くボールを打っていると思う」とサンプラスは語った。「今でも上手くサーブ&ボレーができる。だが動き、そして以前ほど鋭さがないのは、年齢に伴うものだね。でも、それはそれとして楽しんでいるよ。かつてのような訳にはいかないが、今でもそこそこのプレーをしている」

復帰はしたが、サンプラスは引退生活を楽しみ、息子と時間を過ごしているようだ。

「5歳の息子はテニスが好きで、楽しんでいるよ。でも僕の言う事には耳を貸さないんだ」とサンプラスは語った。「彼のテクニックについて少し教えると、彼は僕にいなくなってほしがるんだ。それは来るべきもののサインだと思うよ」

クーリエは試合でサンプラスに負けたが、レベルの高いテニスだったと考えていた。「ピートは非常に高いレベルのプレーをした。驚く事ではないが。僕のサーブは、第1セットでは僕をゲームに繋ぎ止めたが、第2セットではファーストサーブのミスが増えてしまった。彼はサーブのミスもなく、第2セットでは素晴らしいサーブを打っていたね。僕はそれを叩く事ができなかった」とクーリエは語った。

「タイブレークは賽を振るようなものだが、彼は僕より少しばかりいい目が出たね。我々みんなが年齢と抗うのは動きだ。どうやってボールを打つかは忘れない。練習をする限り、それは失わないよ。僕たち2人は体形を整え、プレーに適した体重も保っている。だから動きはそれほど問題ない。だが恐らく3〜4年経つと、それについて考えなければならないだろう」

試合の後、 Prybysz は短いスピーチを行った。「サンプラスとクーリエは、コート上でもコート外でも正真正銘のチャンピオンである事を示してくれた」と彼は語った。



スター・コミュニティ新聞
2007年9月23日
ピート・サンプラスはサンフランシスコの「シュートアウト」で、熱心なファンを喜ばせる
文:Robert James Hughes


サンフランシスコのデジャ・ブルー・アリーナで土曜日、世界で最も成功した男子テニスプレーヤーのピート・サンプラスと、世界男子プロテニス選手会 ATP ツアーの現役選手ロバート・ジネプリのエキシビション・マッチが行われた。この試合は、3年目を迎える「アメリカン・テニス・シュートアウト」の呼び物だった。

満席のアリーナ観客はサンプラスの伝説的サーブを見る機会を得たが、さらにイベントは寄付金を募り、モーリン・コノリー・テニス財団に収益を寄贈した。同じく国内ジュニア・テニスリーグにも寄贈される。

サンプラスは2002年USオープンの優勝により、記録である14回目のグランドスラム・タイトルを獲得して、5年以上前にゲームの頂点を極めて引退した。

ピート・サンプラスはロバート・ジネプリにサーブを放つ。
サンプラスとモーリン・コノリー・ブリンカー・テニス財団会長・共同創設者のナンシー・ジェファート。