ボブ・ラーソンのテニスニュース
2007年9月26日
パリセーズ・チャンピオンシップの初戦でサンプラスは勝利する


ノースカロライナ州シャーロット――水曜日、ピート・サンプラスはアウトバック・チャンピオンシリーズ・テニスサーキットに帰ってきた。ティム・ウィルキンソン・シグナチャー・ テニス&複合スポーツセンターで開催されるパリセーズ・チャンピオンシップの初日夜、スウェーデンのミカエル・ペルンフォースに6-0、6-2で勝利した。この大会は創設3年目のアウトバック・チャンピオンシリーズ、30歳以上のチャンピオン・テニスプレーヤーが競い合う、世界を股に掛けたテニスイベント7大会の5戦目にあたる。

36歳のサンプラスは1986年のフレンチ・オープン準優勝者、44歳のペルンフォースに対して、ほとんど苦労しなかった。エースとフォアハンド・ウィナーの嵐を浴びせかけ、22分で第1セットを勝ち取った。第2セット第1ゲームでペルンフォースはようやく1ゲームを取ったが、その後は7ゲーム中6ゲームを失った。

「私がどれほど良いプレーをするかは関係なかった。彼はあまりにも良すぎた」とペルンフォースはサンプラスについて語った。「彼の打つボールは非常に速い。彼はテニスプレーヤーとして、ただもう私より優れている。私はとにかくボールを打ち、愚か者に見えないようにと望んでいたよ」

サンプラスは5年間、競技テニスから遠ざかっていたが、今年5月にボストンでアウトバック・チャンピオンズシリーズにデビューした。彼はボストンで無敗だった。ラウンドロビンマッチ3戦に全勝し、決勝戦ではトッド・マーチンを下した。5月にはチャンピオンズカップ・アテネでも、ラウンドロビンに3戦全勝し、決勝ではマーチンを下して優勝した。

アウトバック・チャンピオンズシリーズ2大会で無敗にもかかわらず、最新のスタンフォード・チャンピオンズ・ランキングでは、サンプラスはマーチンに400ポイントの差をつけられている。マーチンはボストンとアテネで準優勝した他に、8月に開催されたロードアイランド州ニューポートのギブソン・ギター・チャンピオンズカップで優勝し、2000ポイントを獲得してランキングでサンプラスの上位に就いた。1600ポイントのサンプラスは2位につけ、ジョン・マッケンローが1400ポイントで3位につけている。

1250ポイントで4位のウェイン・フェレイラは、スウェーデンのアンダース・ヤリードを6-2、6-4で破り、水曜日のナイト・セッション開幕戦に勝利した。フェレイラは3月にフロリダ州ネイプルズで2007年アウトバック・チャンピオンズシリーズの第1回イベントに優勝したが、金曜日の夜にサンプラスと対戦する。今大会最大の注目カードの1つである。彼らは ATPツアーで13回対戦し、フェレイラはサンプラスを6回破っている。2人はチャンピオンズカップ・アテネのラウンドロビンでも対戦したが、その時はサンプラスが接戦を制し、6-3、7-6(1)で勝利した。

ヤリードに対して、フェレイラはベースラインから攻撃的にプレーし、ポイントの大部分を支配した。一方ヤリードは、南アフリカ人のリズムを崩そうと、技巧的なスライスやドロップショットを駆使した。

「ウェインは今晩、私よりずっと良いプレーをし、彼をブレークするチャンスがなかった」とヤリードは語った。「ここには多くの素晴らしいチャンピオンがいる。本当に良いプレーをしなければならない」

フェレイラは語った。「気分がいいね。体調もいいし、僕は大いに練習をしているよ。昨年はこれらの男たちと、このシリーズを大いに楽しんだ。我々はとても上手くやっているが、大会のテニスはタフだよ」



シャーロット・オブザーバー
2007年9月26日
シニアサーキットにも世代間のギャップが存在する
文:Rick Bonnell


36歳のサンプラスは、44歳のペルンフォースを問題にしなかった

審判に自分自身のサーブがアウトだと申請する羽目になった時、その者は打ちのめされている。

水曜日、ミカエル・ペルンフォースはピート・サンプラスに立ち向かおうとして、そこまで死にもの狂いになっていた。第1セット5-0ダウンの場面、サンプラスがリターン・ウィナーを放った後で、彼は自分が打ったファーストサーブはアウトだと申し立てをしたのだ。

予想どおり、ペルンフォースの申し立ては聞き入れられず、パリセーズで開催されている男子シニア・テニス大会の初日夜、試合も6-0、6-2で失った。
パリセーズで行われているシニア・テニス大会の試合で、ピート・サンプラスがボールを打つ。

サンプラスは年齢的(36歳)にはシニアかも知れないが、ペルンフォース(44歳)から見れば、子供である。元世界ナンバー1のサンプラスは、ペルンフォースの現役時には想像もしなかったレベルのパワーとスピンでプレーする。

「ここで私は、1ゲーム勝ち取るにも苦労し、愚か者のように見えている」と ペルンフォースは虚しく笑いながら語った。

「彼は(普段よりも)少しペースを落とす事もできるが、それでも何ら変わりはない」とペルンフォースは言った。「なぜならこの男は、ボールに途轍もないスピンをかけるからだ」

サンプラスとペルンフォースは8歳しか違わない(サンプラスが10代でツアーに参加した頃、ペルンフォースは2度サンプラスを破っている )が、これは世代間のギャップになる。この30歳以上のサーキットにおける若手プレーヤー――サンプラス、ジム・クーリエ、トッド・マーチン、ウェイン・フェレイラ等――は、ボールを激しく叩く事に慣れている。

フェレイラがスウェーデンのアンダース・ヤリードに6-2、6-4で勝利した試合では、違いはさほどまで顕著ではなかった。しかし相違は確かにあった。

サンプラスは金曜日の夜と土曜日の午後にラウンドロビンで再びプレーするが、彼らのゲームにおける相違は進化であるというペルンフォースの結論に同意する。

「ジムや僕はコンディション調整にも大いに取り組んだし、より大きくて力強い」とサンプラスは語った。

サンプラスが現役時にツアーで使っていた旧式の道具をついに手放した事も、妨げとはなっていない。彼は今、より大きいサイズのラケット、ボールをコート内に保持するハイテク・ストリングスを使っている。それにより、サンプラスは今まで以上に強烈なバックハンドを打てるようになったとクーリエは語った。



シャーロット・オブザーバー
2007年9月27日
チャンピオンたちは払った犠牲を思い出す
文:Rick Bonnell


サーブ、ピート・サンプラスは知っていた。ランニング・フォアハンド、サンプラスは知っていた。デート、サンプラスは知らなかった。そこでプロキャリアの初期、彼は「ライフ101(学生生活を描いたアメリカのドラマらしい)」を学ぼうと、相棒のジム・クーリエに目を向けた。

初めてのデートのために「服選びを手伝おうと、ピートの部屋へ行ったのを覚えている」とクーリエは語った。「彼に言ったよ。『食事の支払いをし、女性のためにドアを開ける事を覚えておけよ』ってね」

「もしナンバー1になりたいのなら、ダンスパーティーに行く事で悩んだりはできないよ。16、17、18歳の頃に、他のすべてを脇にどけなければならない。なぜならそれが、優れた選手になる方法だからだ」
早めにシャーロット到着し、ピート・サンプラスとジム・クーリエはコートの感触を確かめる。

彼らは共に、たいそう優れていた。クーリエはサンプラスに先行して世界トップのシングルス・プレーヤーになり、約1年間その栄誉を担った。その後、サンプラスは前例にないほどツアーを支配し、連続6年間(1993〜1998年)トップの座を保った。

現在、36歳のサンプラスと37歳のクーリエはメインツアーから引退し、サウス・シャーロットのパリセーズ開発地区における今週のアウトバック・チャンピオンズ大会に向けて、男子8人によるフィールドの呼び物である。

何についてであれ、どうやったらそれほど上手くなれるのか? どうやってそれほど圧倒的でいられるのか? そして、それほどの名人になるためには、どんな生活を見返りにするのか?

「最も重要なもののために、すべてをセーブするんだ」テニス・ランキングの頂点で過ごしたスパルタ式方法について、サンプラスは順序だてて語った。「僕はパーティーに出なかった。外出もしなかった。女の子を追いかけたりしなかった。いずれにせよ、僕はどちらかと言えば控えめな性格だから、それは有効だったよ」

それはテニスが最優先の生活で、その逆はなかった。引退に関して最良の事は、パスタ、チキン、魚の摂生以外にまで食生活を広げられる事だと、彼はかつて冗談を言った。彼のパレットには多くの色がなかった。トレーニングに有効なものは何であれ、異議を唱えずに受け入れた。

「お腹が空いていなくても食べる。喉が渇いていなくても水を飲む。さらに、疲れていなくても眠るんだ」とサンプラスは語った。「僕はいつも、最大限の休養がとれないと、準備が整っていないように感じていた」

それは、ナンバー1の座は狭い岩棚であるという、2人が抱いていた不安定な気分を物語っている。その気分を述べるために、両者とも「狩り立てられる」という言葉を用いた。

クーリエは友人から送られてきた、地球儀のようにペイントされた子供用ボールを思い出す。添えられたカードには「この記念品を楽しんでくれ。君は(地球の)頂点に立っているのだから」と書かれていた。

「だがそれは、あまり愉快ではなかったよ」とクーリエは言った。「なぜなら、常にそれを防衛しようとしていたから」

個人スポーツにおける支配は、コート上でもコート外でも、ある種の奇妙な相互作用を助長する事を両者は学んだ。

ナンバー1である事は、対戦相手から何か違ったものを得る事を意味したとクーリエは語った。彼らは最高のプレーをしようと奮い立つか、あるいはボールを打つ前に、負けるだろうと気力を挫かれているかのいずれかだった。

サンプラスの思い出は、より試合間の時に関するものだった。テニスのスケジュールは、1年のうち11カ月間ロードに出る事になっている。ナンバー1である事は、サンプラスと同僚との間にある種の障壁を築き、普通の友情を育む妨害となった。

皆に対して「自分自身を開けっぴろげにする事ができなかった」と、サンプラスは自分のガードを下げる事について語った。

しかし彼らが頂点から退いた時、両者とも心地よく変化した。クーリエはキャリアの後期になって、それが順位を上げるかどうかに関わらず、自分のゲームの向上に全力を注ぐ事を学んだ。サンプラスは、ナンバー1からトップ5まで下がる事は、解放感に等しかったと語った。

「6年連続ナンバー1になって(ジミー)コナーズの記録を破ると、僕は『その男』である事に倦んでいた」とサンプラスは語った。

そこで彼らは先に進んだ。クーリエはビジネス界に入り、パートナーとしてシニアツアーを運営している。サンプラスは家庭を持ち、この秋にはロジャー・フェデラーとエキシビションを行う。14のグランドスラム・タイトルという彼の記録を破る最右翼の男と。サンプラスはフェデラーに自分自身を見ている。さらに穏和で、卓越に邁進する謙虚な男に。

「人々はもっと派手さを欲している。我々は MTV エンターテインメントの時代に生きているんだ」とサンプラスは語った。「だが僕たちは共に、どうやって物事をシンプルに保つか、人々に感じよく接するかを理解していると思うよ」