アテネ・チャンピオンズカップ
2007年5月16日、水曜日
刺激的な経験
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http://www.athenschampionscup.gr/en/home.html



様々なスポーツの元アスリート、政治家、企業家、ジャーナリストらは今日、ユニークな恩恵に浴した。彼らはテニス史上トップの選手たちと対面したのだ。そればかりか、人によってはテニススターを負かしたと自慢さえできるのだ。少なくともダブルスでは!

水曜日の14:30〜16:00、アテネオリンピック施設内のテニス会場に付属するコートで、初のイベントが「2007年アテネ・チャンピオンズカップ」と並行して行われ、大成功を収めた。

「とても愉快だった。楽しんだよ。本当に特別な経験だった」とピート・サンプラスは述べた。パット・キャッシュが付け加えた。「我々みんなにとって、非常に快い経験だ。各分野のチャンピオンである人々とプレーし、親しく交わるんだ。実際、何年も前に海外の大会で対戦したギリシャのテニス選手に会う事までできた。何人かはとても良いプレーヤーだった」

ウェイン・フェレイラは水曜日の朝アテネに到着し、記者会見には間に合わなかったが、エキシビション・マッチに参加した。大会に出場する8人の選手と補欠のミカエル・ペルンフォースは、すべてのコートに顔を出して参加者全員とプレーした。

このイベントの参加者は、新民主主義党代議士 Kyriakos Mitsotakis、スポーツ大臣 Stavros Douvis、駐ギリシャ合衆国大使 Charles P. Ries、マルコポーロ市市長 Fotis Magoulas、コカコーラ中央ヨーロッパ南東地区会長 Michael Holm Johansen、ギリシャ代表男子バスケットボール・チーム監督 Nikos Filippou、青年スポーツ組織総裁 Vassilis Kikilias、元国際サッカー選手 Vassilis TsiartasTakis Gonias、元国際バスケットボール選手 Takis Koroneos、元国内テニスチャンピオン Fotis Vazeos、ジャーナリストの Rodolfo MoronisGiorgos LiaghasSotiris Kostavaras 等である。

「並はずれた経験だ。決して忘れないよ。サンプラス、クーリエ、キャッシュ、その他の偉大なアスリートと対戦できたんだ」と Kyriakos Mitsotakis 代議士は語った。

合衆国大使 Charles P. Ries は「私がここへ来たのはテニスを愛しているからで、チャンスがあれば必ずプレーするんだ」と言った。

Takis Koroneos にとっても、この経験は興奮するものだった。「驚くべきイベントだ! 自分では良い体調だと思うし、もう少し練習すれば、シングルスでサンプラスを倒す事さえできるかも知れないよ!」

Vassilis Tsiartas は卓抜したプレーヤーであり――よく鍛えている事を証明した。「しょっちゅうテニスをするが、この経験はとても意味があった。サンプラスとプレーする日が来ようとは、想像もできなかったよ!」



アテネ・チャンピオンズカップ
2007年5月17日、木曜日
サンプラスとクーリエがアクロポリスの麓に立つ


これは Iktinus(イクティノス=建築家)も、Kallikrates(カリクラテス=建築家)も、Feidias(フェイディアス=彫刻家)も、あるいは Perikles(ペリクレス=政治家)でさえ想像もしなかったであろう……。
訳注:いずれもパルテノン神殿の建設に携わった。

パルテノン神殿が完成してから2,443年後に、2人の有名テニス選手がアクロポリスの圧倒的な影の真下で技量を競い合うという考えは、決して彼らの心に浮かばなかったであろう。それだけでなく、この経験はアスリートの人生にとっても、胸躍る特別なものとなっただろう。

今朝、「2007年アテネ・チャンピオンズカップ」の並行イベントとして、ピート・サンプラスジム・クーリエはレストラン「ディオニュソス」の駐車場で、数分間ではあるがエキシビション・マッチを行った。このイベントは通行人、とりわけアクロポリスを訪れていた外国人観光客の間にセンセーションを巻き起こした。彼らは即席テニスコートの周りに集まってゲームを見物し、2人のプレーヤーと一緒に写真を撮ったり、サインを貰ったりした。

「これはまさにワクワクするような光景だ。初めて両親の故国に足を踏み入れ、そして2,500年の歴史を持つ記念碑の麓でテニスをしていたんだからね。分かるかい、僕がどんな気持ちか……」とサンプラスは述べた。

「正直に言うと、日曜日にはアクロポリスを訪れて、遺跡を巡るガイド付見学ツアーに参加したいくらいだよ。ジムと僕は少しプレーして、我々を見たり写真を撮ってもらうためにここに来た。皆さんに楽しんでもらえたと思う。そして僕は、この思い出を今後ずっと大切にするよ」と、名高いギリシャ系アメリカ人のテニスプレーヤーは続けた。彼は冗談を飛ばす事も忘れなかった。「もちろん、セメントのコートは少々でこぼこだったけどね。でもそれはオーケイだ……」

アテネに到着した月曜日の夜から、史上最高と見なされるテニスプレーヤーは絶えず、そして果てしない愛と称賛をギリシャ国民から受けてきた。スポーツファンからも、そうでない人からも。

「天にも昇るような心地だ。まるで何年もギリシャに住んでいたように感じているよ。あらゆる場所でプレーしてきたが、いつもギリシャの人々は僕を応援してくれた。全世界、特にメルボルンでは、彼らのサポートは途方もなかった。ギリシャ人は繋がりが強く、互いをサポートし合い、相手を素晴らしい心地にさせるという資質を持っている。いつでも、どこでも、彼らがギリシャの、そしてギリシャ系の運動選手をどれほど誇りに思っているか分かるんだ」

ピート・サンプラスは AOSC オリンピック・テニスセンターの優れた施設について、手ばなしで称賛した。「テニスコートも他の設備も最高のレベルだ。2004年アテネ・オリンピック大会も主催した。将来いつか、ここで素晴らしい ATP 大会が開催される可能性は充分あると思う」


クーリエ:「祝福を感じる!」

ジム・クーリエは、今日の経験にひたすら魅了されていると述べた。「僕は非常に幸運だ、祝福されていると言ってもいい。この刺激的な経験は、決して記憶から消えないよ。アクロポリスが投げかける影の下でプレーするという恩恵に浴するアスリートは、そうはいない……」

サンプラスとクーリエは数分間、1対1のプレーをした。その後、彼らは最も熱心な1人のサポーターと対面した。10歳の! そのファンとは、他でもない Stefanos Kommatas、 Peristeri Palaskas スポーツクラブの運動選手だった。数カ月前、ノルマンディーのアンフルールで開催された10歳以下の大会で、Stefanos は3位になったのだ。

「こんなのは夢に見た事もないよ」と小さなテニス選手は言った。彼はサンプラスとクーリエにとって立派な対戦相手であると証明してみせたのだ!




アテネ・チャンピオンズカップ
2007年5月17日、木曜日
アテネ市市長:「ピート、君の起源である村を訪問しなければならないよ」



Kotzia 広場にあるアテネ市役所は、木曜日の活動でピート・サンプラスジム・クーリエが2番目に訪問した場所だった。2人のテニスプレーヤーはアクロポリス正面での試合後、スポーツ大臣 Stavros Douvis、「アテネ・オープン」大会会長 Konstantinos Makrykostas、「国際テニス名誉の殿堂」委員会会長 Chris Clouser に伴われて市役所に向かい、アテネ市市長 Nikitas Kaklamanis と会見した。

市長は2人のアスリートに記念品を贈り、短い話し合いの機会を持った。サンプラスとクーリエは、アクロポリスの麓でプレーした事、どこでもギリシャの大衆が歓迎してくれる様に魅了されたと語った。

会話の最中に Kaklamanis 氏は、サンプラスに自分のルーツを知るよう熱心に勧めた。「君は Selacia を訪れ、母親の生まれた場所を見て、親族と会うべきだ。そこでこそ、君は本物のギリシャを真にかいま見る事ができるのだよ」と、アテネの市長はギリシャ系アメリカ人のプレーヤーに語った。

会見が終わり、Kaklamanis 氏は述べた。「世界的スポーツの偶像的存在とも言える1人と会うのは非常に楽しい事だ。彼が自分はギリシャの血統だと語った時、私は特に嬉しかった。彼の動きや仕草に注目すれば、それは非常に明白だ。彼の物腰はすべからくギリシャ人だよ」



アテネ・チャンピオンズカップ
2007年5月17日、木曜日
第4試合:サンプラス def. フェレイラ 6-3、7-6



ピート・サンプラスウェイン・フェレイラ戦で抜群のレベルを少しばかり披露し、「アテネ・チャンピオンズカップ」で彼の初登場を待ちかねていた観客に報いた。

ギリシャ系アメリカ人のテニス選手は、南アフリカ出身の対戦相手に2セット(6-3、7-6)で勝利した。試合では両選手の見事なプレーが繰り広げられ、明らかにサンプラス贔屓とはいえ、興奮した観客は2人のアスリートへ惜しみない喝采を送った。

フェレイラは素晴らしい意気込みで試合を始め、第1ゲームを簡単に取った。しかしサンプラスは素早く反撃した。ペースを掴んで5-2とし、そのまま第1セットを6-3で取った。フェレイラは避けようと試みはした……テニス史で最も成功した選手の正確無比なフォアハンドを。しかしサンプラスの優勢は歴然としていた。

第2セットに入るとフェレイラは上手く対処し始め、スコアで先行した。彼は見事なサーブで1ゲームのリードを着実に保ち、多くのエースを放った。サンプラスは一貫してネットへ出たが、フェレイラは位置どりも良く、対戦相手が少しばかり気を緩めたのにつけ込んだ。

フェレイラは5-4、6-5とリードを保ち、セットをものにするチャンスがあった。しかしサンプラスの考えは違った。スコアを6-6とし、タイブレークに持ち込んだのだ。その時点で、サンプラスは彼の名声を証明した。目を見張るスマッシュで3-0とし、7-1のスコアで一流ぶりを断固として裏付けた。試合全体でサンプラスは21本のエースをマークした!

ピート・サンプラス
「時差ぼけで少し疲れている。ウェインは僕に多くのトラブルをもたらしたけれど、競い合うのはいいね。実際のところ現役時には、ウェインは対戦成績で優ってたんじゃないかな。ついに自分の故国でプレーできて、興奮しているよ。ここでそれを成就して、素晴らしい気分だ。土曜日には母の生まれ故郷も訪問するかも知れない。興味深いだろうね。アテネから2時間半の所なので、ヘリコプターで向かうかも知れない。

今夜のゲームに関しては、我々は共にかなり良いプレーをしたと思う。非常に高いレベルだったし、両者ともかなり速いサーブを打った。ウェインはとても良いプレーをした。第2セットはどちらが取っても不思議ではなかったよ。雰囲気はとても心地よくて、ファンもそれを楽しんでくれたようだ。僕はここでプレーする事を楽しんだよ。

コートに関しては、少し速い方だね。サーブが良ければ、多くのポイントを勝ち取る事になる。明日は雨の予報だが、ギリシャの神様がそれを許すとは思わないよ。

『名誉の殿堂』入りはとても名誉な事だ。だが、ただ1人の最も偉大なテニスプレーヤーが存在するとは思わない。10年ごとにその時代を支配した男がいる。僕は90年代のプレーヤーで、ロジャー( フェデラー)は00年のプレーヤーだ。ただ1人の男を史上最高と指名するのは不当だ」

ウェイン・フェレイラ
「このアリーナは傑出している。観客とコートが近くて、とてもいいね。素晴らしい施設を備えていて、第2アリーナがあり……。素晴らしい大会を主催するためのものが整っている。気温は日中でもそれほど高くない。オーストラリアン・オープンやUSオープンの最中はとても暑いよ。我々はそれに慣れているから、問題はないが。

テクノロジーが進歩して、テニスはより一面的になっている。我々の時代に比べ、大いに変わってきた。テクノロジーのせいで、僕はテニスを見るのがあまり面白くなくなっている。テニスはこの4〜5年で信じられないほど変化した。現在は戦略がない。正直に言うと、悪くなってきたと思う。

恐らく1つの解決法は、皆がもう一度ウッドラケットでプレーする事だろう。我々はそれについて考えるべきなのかも知れない。面白いだろうね、それは皆を同レベルに導くだろうから」

「アテネ・チャンピオンズカップ」第1日目の最終試合は、文化大臣 Giorgos Voulgarakis、スポーツ副大臣 Giorgos Orfanos、スポーツ大臣 Stavros Douvis、駐ギリシャ合衆国大使 Charles P. Riesらが観戦した。



アテネ・チャンピオンズカップ
2007年5月18日、金曜日
第7試合:サンプラス def. キャッシュ 7-6、6-2


熱狂的な観客を前に、ピート・サンプラスは2セットでパット・キャッシュを退け、彼が支配したかつての10年間を彷彿とさせた。しかし、印象としては、彼の足元をすくったのはオーストラリア人の対戦相手だった。キャッシュは第1セットでの戦いぶり、そして気合いともに壮観だった。彼は観客席にヘッドバンドを放り投げ、右に左にと気前良くテニスボールを分け与えてファンに報いた。

サンプラスは「キラー」サーブを放つべく強い決意でコートに入った。そしてきっちりと実行した。3連続エースを決めてキャッシュに反応する暇を与えず、あっという間に1-0とした。サンプラスのサーブは時速204キロにも達した。だがパット・キャッシュは機知と経験を結集して答えを見いだし、1-1、2-2、3-3と追いすがった。

しかし伝説的アメリカ人が頻繁にネットへ詰め、ドロップショットでポイントを決め始めると、キャッシュは審判に「賄賂を使う」以外になすすべもなかった。

ファンは彼のユーモアセンスを楽しみ、拍手喝采を送った。42歳のオーストラリア人は盛り返して4-4まで均衡を保った。やがて41分が経過すると、2人の選手はタイブレークに突入したが、そこでキャッシュは決定的なミス(ショットをネットに掛ける)を犯し、サンプラスが放ったいつもの、阻止できないサーブにより、ギリシャファンのご贔屓へとセットは渡った。

第2セットでは、サンプラスはなぜ彼がかつてほぼ無敵とされたかを観客に披露すると決めた。返球不能なバックハンドで、彼はキャッシュのサーブをブレークした。天気予報が外れて嵐は上空に訪れなかったが、ピート・サンプラスの表情には訪れた。手の付けられないフォアハンドの大洪水を起こし、もう1ゲームをブレークして4-1とした。

大会一のショーマンとして、キャッシュは偉大なる対戦相手の前に平伏し、試合を代わってくれるようボールボーイに促した。だがそれも効き目はなかった。既に結果の見えていた試合の結末を変える事はできず、サンプラスは間もなく6-2として2セットで試合に勝利し、大会成績を2勝0敗とした。これは、彼が日曜日の決勝戦でプレーするためには、明日は「昔なじみ」のジム・クーリエを倒さねばならない事を意味する。

ピート・サンプラス:
「キャッシュはとても経験豊かなプレーヤーだ。彼のサーブをブレークするのは本当に難しかった。彼はリターンも良かった。そして42歳になっても動きが素晴らしい。サーブもとても良いが、僕も第2セットではいいサーブを打ち、早い時点でブレークする事ができた。ファンとの関係については、彼はカリスマ的な男だとを認めざるを得ないね。今でもとても良いプレーをし、同時にエンターテイナーだ」

パット・キャッシュ:
「ピートと対戦したのは初めてだった。彼は僕のいちばん好きな選手なんだ。僕もこれから彼のお気に入りになると思うよ! 僕はベストを尽くしたが、彼は明らかにもっと優れていた。あまり彼を良く言ってないと思うかい? 冗談だよ。最も重要なのは良いテニスをする事だ。そして今晩、少なくとも第1セットはそうだったと思う。

サンプラスはスタートこそあまり良くなかったが、第2セットではゲームを向上させて見事なリターンも放った。ピートはいつもパワフルなプレーをするが、返球が難しかったよ。ボレーも幾つかミスをしてしまった。それで、審判に金を渡して僕をサポートするよう頼まなければならなかったんだよ。これも上手くいかなかったがね。

僕は常に観客と楽しみを分かち合おうとしている。テニスの問題点の1つは、ファンとの交流があまり多くないという事実だ。もちろん、普通の状況ならこんな事はしなかっただろう。対戦相手に対する敬意が欠けていると言われるからね。だが、ピートは快く受け止めてくれたと思うよ。彼はリラックスし、それを楽しんでいた」



アテネ・チャンピオンカップ
2007年5月20日、日曜日
第12試合:サンプラス def. クーリエ 6-2、6-4


天候のため昨夜の試合は順延となり、今日の第1試合に持ち越された。ピート・サンプラスは体調も素晴らしかったようで、6-2、6-4でジム・クーリエに勝利した。

同胞のアンフォースト・エラーに利して、「ピストル・ピート」は37歳になる対戦相手のサービスゲームをただちにブレークした。そして絶妙なテクニックとバラエティに富んだ果てしない「武器弾薬」で、相手を「罠にかける」ために突き進むばかりだった。テニス界の「ミダス王」は、一連のドロップショットと底知れないショットの数々を駆使して早いリード(0-4)をとり、観客を沸かせた。
訳注:ミダス王。ギリシャ神話に登場する、触れたものすべてを黄金に変える能力(ミダス・タッチ)で知られる王。

クーリエは徐々に出来を上げていき、連続エースで2-5までギャップを縮めた。とはいえ、第1セットではサンプラスが争う余地もない支配者だった。最後はエースを決めて、18分で6-2(セット1-0)とした。

第2セットに入るとクーリエは目立ってエラーを減らし、サンプラスは相手の強力なサーブに手こずっていたため、彼が勝利をものにする事も可能かと見えた。

しかし、36歳のアメリカ人が14ものグランドスラム・タイトルを獲得したのは、運だけではなかった。全くもって! 一流ぶりを示す卓抜したバックハンドで、彼は3-4で「騎手帽を被る爆撃機」のサービスゲームをブレークした。そこからは、勝利は時間の問題に過ぎなかった。

クーリエは、カムバックの余裕はないと悟ってボールボーイの手助けを求め、サンプラスにも彼自身のボールボーイを雇わせる事になった。ファンが未来のテニススターに声援を送った後、サンプラスは統治権を取り戻し、4-6として2セットで試合を決めた。

ジム・クーリエ:
「まあ、負けるのは愉快じゃないが、ピートに対するもう1つの敗北というだけさ。以前に経験した事がない訳じゃない。彼はサーブが良かったし、速いコート、僕のファーストサーブが100%じゃなかった事などもあって、トラブルに陥った。彼が優れたサーブでアドバンテージを得ると、厳しいよ。

ピートとは子供の頃からの長い付き合いだ。我々は同じ訓練キャンプに参加した事があるが、朝6時から練習をした。まあ、ピートがベッドから出るのは最後だったよ。早起きとは彼のような奴の事じゃないね! ダブルスで組んだ事もある。オーストラリアンやフレンチ・オープンで一緒にプレーしたよ。デビスカップでは……我々は多くの思い出を共有している。

この数日で楽しく感じたのは、子供たちとプレーするイベントだった。僕が子供の頃には、こういうものはなかったが、もし憧れの選手とプレーするチャンスがあったら、ビョルン・ボルグとしてみたかったな。ロジャー・フェデラーは最も完成されたテニスプレーヤーだと思う。ピート・サンプラス、ロッド・レーバーと共に、彼らは史上最高のトップ3を形成している。

最も重要なのは、人々をテニスコートに連れて来る事ではなく、彼らがプレーするようにさせる事だ。早い時期に彼らを惹きつける事が重要だ。そうすれば才能ある子供たちがもっとテニスに関わり、そして良いアスリートになる。

ここにはその目的のために使える素晴らしいコートがある。この施設は、テニスのプロモーションをさらに行うための貴重な資産だと思う。大会についてだが、来年もここに戻ってきたい。いつかは僕も勝たなくっちゃね!」

ピート・サンプラスは、決勝戦の後にコメントを出す。



アテネ・チャンピオンズカップ
2007年5月20日、日曜日
サンプラスが「2007年アテネ・チャンピオンズカップ」で優勝
第14試合: サンプラス def. マーチン 2-1(6-3、1-6、TB:10-6)


試合は――雨による中断を含めて――4時間以上かかった。ピート・サンプラスは6-3、1-6、10-6(タイブレーク)でトッド・マーチンという障害に打ち勝ち、「2007年アテネ・チャンピオンズカップ」のタイトルを獲得した。

ネットへ詰めるスピードを最大限に生かし――少なくとも対戦相手よりも頻繁に――ピート・サンプラスはマーチンのサーブスゲームをブレークして3-1とし、早い段階で勝利への意志を見せた。マーチンは多数のアンフォースト・エラーを犯したが、「雨の神」が今回は彼の側についたようだった。そして審判は試合を中断しなければならなかった。

およそ100分ほど待機した後、タイトルを目指して2人の競争者は再びラケットを握った。ただちに「ピストル・ピート」は轟音を響かせ、4-1とした。マーチンにできたのは、ギャップを縮めて5-3にする事だけだった。決定的な場面でサンプラスがまたしてもエースを決めて6-3とし、争う余地もない第1セットの支配者が誰であったかを確かなものとした。

大半のファンはカメラを構え、サンプラスがトロフィーを掲げる写真を撮ろうとしていたが、マーチンは同意しなかった。彼はペースをつかみ、断固としたエースを打ち、同胞を完全に支配して、第2セットを6-1で楽に取った。

突然、37歳のアメリカ人は良い気分でいるように見えた。一方サンプラスは――恐らく先に行われたクーリエ戦の影響で――少し疲れているようだった。

タイブレーク「ロシアン・ルーレット」の重大な時を迎えた。サンプラスは素早く3-0としたが、マーチンには何の影響も与えなかった。彼は伝説的な対戦相手が放った連続スマッシュを見事に返球し、3-4と逆転した。追い詰められたサンプラスは「弾丸を込め」、4連続エースを撃って7-6リードとした。

マーチンは反撃を試みたが、母親の故国で勝利するというサンプラスの欲求は、あまりにも明白だった。彼は手のつけられない2本のフォアハンドを放ち、セット2-1で優勝に達した。そして36歳になっても、真に卓抜したテニスプレーヤーである事を証明した。

ピート・サンプラス:
「難しい試合だった。第2セットではリターンが上手くいかなかった。拙いプレーをしたというよりも、僕の出来は望んだほどじゃなかった。逆にタイブレークでは何本かエースを打つ事ができて、ペースを取り戻すのに役立った。雨による中断と遅れは理想的ではないが、我々テニスプレーヤーはこういう事に慣れているし、対処の仕方も学んできたよ。

ギリシャで開催される大会でタイトルを獲得するのは、僕には本当に特別な事だ。残念ながら、天候のために母の出身地を訪問するチャンスは得られなかった。だが少なくとも両親は Selacia とトリポリスを訪問する事ができたよ。
訳注:トリポリス。ギリシア共和国のアルカディア県県都。ペロポネソス半島中部の低い高原に立地。

いずれにしても、僕は妻や子供たちと一緒に、またギリシャに来るつもりだよ。アクロポリスを訪れたいんだ。大会のプロモーションをしていて、遠くから見とれただけだったからね。それほど離れてはいなかったが、近くでもなかった。

全体的には、僕は良い状態で、今でも高いレベルで競っていると思う。『国際テニス名誉の殿堂』に選出された事については、名誉に感じているよ。全キャリアを通じて自分がしてきた事を振り返り、その意味を味わえるのは、そして他の人々が自分の価値と捧げたものを評価してくれると知る事ができるのも、本当に大きな名誉だ。僕のキャリアで最も胸に迫ったのは、最後のUSオープンでのアガシ戦、そして最後のウインブルドンだった」

トッド・マーチン:
「第2セットでは、僕はとても良くやったと思うよ。残念ながら、タイブレークについては同じ事を言えないけどね! ピートはタイムカードと同じなんだ。彼とだと、各ゲームの始まりは仕事日の始まりみたいだ。

普通はタイムカードを押して入り、仕事をして、何をしたか査定して、タイムカードを押して出る。ピートとだと、ゲームに入る、彼はエースを4本打つ、タイムカードを押して出る、そして次のゲームを始める、となる。1ゲームでいいプレーするだけでは不充分で、次のゲームではさらに良くなければならないんだ。

我々は皆とても良い気分で、そしてとても良いレベルで競い合った。この大会のおかげでテニスを続ける事ができ、とても幸せだ。たとえ少しばかり低いレベルでもね。僕は現在、コーチとしての役割を楽しんでいる。そして今は、シャワーを浴びて、アクロポリス訪問に間に合わせたいのさ」



アテネ・チャンピオンズカップ
2007年5月20日、日曜日
「心から皆さんに感謝します」



「2007年アテネ・チャンピオンズカップ」は、トロフィー授与式と温かいスタンディング・オベーション……エキサイティングな決勝戦の最後まで残った元気なファンからの、で幕を閉じた。

スポーツ副大臣 Giorgos Orfanos、スポーツ大臣 Stavros Douvis、「アテネオープン」大会会長 Konstantinos Makrykostas、「国際テニス名誉の殿堂と博物館」会長 Chris Clouser らは、申し分のない、そして成功を収めた大会に貢献してくれた全員へ祝辞を送った。特に選手、スポンサー、ボランティア、そして観客へ。

ピート・サンプラスはアテネでの滞在を通じて二度目になるギリシャ語の言葉を口にし、皆に「 efharisto (ありがとう)」と言った。そして観客から送られる心からの称賛を楽しみながらコートを去った。


スケジュールと結果
ラウンドロビン・グループ

グループ A

ピート・サンプラス 4勝0敗
ジム・クーリエ 1勝2敗
パット・キャッシュ 0勝3敗
ウェイン・フェレイラ 2勝2敗

グループB
マグナス・ラーソン 3勝1敗
リチャード・クライチェク 1勝2敗
トッド・マーチン 3勝1敗
パット・キャッシュ 0勝3敗

1日目 2007年5月17日(木曜)
*TB=タイブレーク
3:00 PM
ラーソン def. ヤリード
7-6(3)、6-4
クーリエ def. キャッシュ
6-4、5-7、10-7(TB)
8:00 PM
マーチン def. クライチェク
6-2、6-3
サンプラス def. フェレイラ
6-3、7-6

2日目 2007年5月18日(金曜)
3:00 PM
フェレイラ def. クーリエ
6-2、6-1
マーチン def. ラーソン
4-6、7-5、10-4(TB)
8:00 PM
サンプラス def. キャッシュ
7-6、6-2
クライチェク def. ヤリード
7-6、6-3

3日目 2007年5月19日(土曜)
1:00 PM
フェレイラ def. キャッシュ
6-2、6-1
ラーソン def. クライチェク
6-3、7-5
6:00 PM
マーチン def. ヤリード
8-6(ゲーム)*雨のため。

4日目 2007年5月20日(日曜)
11:00 AM
サンプラス def. クーリエ
6-2、6-4
12:00 PM
ラーソン def. フェレイラ
6-4、7-5
2:00 PM
サンプラス def. マーチン
6-3、1-6、10-6(TB)