ザ・サンデー・タイムズ(イギリス)
2003年6月22日
王者の道の終わり
文:Andrew Longmore


ピート・サンプラスは独占インタビューで、彼はウインブルドン最後の試合をすでに終え、USオープン・タイトルの防衛さえしないかもしれないと明らかにした。


ラケットは遊戯室の、ビリヤード・テーブルの隣に置かれている。テレビのそばにはトロフィーとビデオが、きちんと整理されている。キャリアが終わったイメージである。

ピート・サンプラスはコート上では爆発的なプレーをし、コート外では慎重だったが、テニスに全く関わらない生活を送る事はないだろう。しかし先週「ザ・サンデー・タイムズ」の独占インタビューで、7回優勝のチャンピオンは、最愛のウインブルドンに戻る事はないだろうと、初めて認めた。

「テニス界最大の大会、ウインブルドンとUSオープンがやって来る。もし僕の中に何かあったら、充分な挑戦の動機になるだろう。でも何もない。他の男がトロフィーを掲げる時だ。僕が辞めているのは95パーセント確かだ」

サンプラスはテニスに戻る見込みが低下した瞬間を、特定もできる。2カ月前、彼はビバリーヒルズにある自宅の練習コートに戻った。季節は春で、彼の内部の時計は、最愛の時へのカウントダウンをしていた。

彼はコーチのポール・アナコーンに電話をし、再びボールを少し打ってみたいと言った。それは昨夏の終わり、劇的に、そして感動的に5回目のUSオープンで優勝して以来、初めての事だった。

彼は思い出す。「ウインブルドンでプレーしたいと望むなら、体調をテニス向きに整えなければならないと分かっていた。僕は決定を延期してきたが、何かが戻って来るだろうという希望で延期していたんだ。僕は激しい練習に戻るだろうと思っていた。ウインブルドンは僕にとって、大きな意味を持つから。

2日間、僕たちはなにがしかの良い練習をした。だが3日目、およそ半時間の後、ポールに呼びかけて『ちょっと座ろう』と言った。彼は何が来るか知った。僕は『これが現実だ。僕はできない』と言った。僕はただ、自分の心がテニスにない事を知った。身体ではなく、ただ起きて練習に行く気持ちが湧かなかった。僕はボールを打つ事 --- バックハンドやフォアハンド --- は楽しんだ。その気にならないのは、しなければならないと分かっている他のたくさんの事、ドリルやフィットネスだった」

「僕はただ、いるべき地点 --- 練習やトレーニングをやろうという気持ちの状態 --- にいなかった。去年、2番コートで(ジョージ・バストルに)あんな風に負けたのは、僕の望む去り方ではなかった。あれより悪い事なんて考えられなかった。でもそれさえも、戻る気になるのに充分ではなかった」

「そして、ウインブルドンでプレーしないんだという事が、本当に僕の胸を打った。自分がどういう状態かという現実を、認めなければならなかった。それはとてつもない事だった。ウインブルドンが僕にとって意味する事ゆえにね。子供の頃から、プレーするのを夢見た場所だった。優勝を夢見た場所だった。ただのテニス大会ではない、僕の人生の一部になっていた。長い間そうやって過ごしてきた後、あそこでプレーしないと決める過程はとても辛かった」

2週間、サンプラスは自分がプレーしない事は分かっていた。ただ誰に、どのように話すべきか分からなかった。彼はモチベーションを確かめるため、さらに1つテストをくぐり抜けなければならなかった。

昨年のクリスマス、BBCが編集したウインブルドン優勝のビデオを、彼の兄がプレゼントしてくれていた。クーリエ、イバニセビッチ、ベッカー、ピオリーン 、イバニセビッチ、アガシ、ラフターの7回である。

ある晩遅く、息子のクリスチャンが眠りについた後、彼は初めてビデオをセットした。アンドレ・アガシとの決勝戦を見たいと思った。それは彼がグラスコートの上で、完璧に達した時だった。

「僕は何かを捜していた。ビデオを見る事が、自分を発奮させるのか知りたかった。それで僕は座って、アンドレ戦と、少しだけ最後の決勝、ラフター戦を見た。好奇心があった」

「だけど実際は、僕のプレー・試合に臨む心構え・集中を見て、そのためにどれだけの事をしてきたか分かっているだけに、より遠いものに感じただけだった。違う時代の事のように思えた。僕の時は過ぎ去った事を、さらに明確にしただけだった」

他の人々に対してそれを認める事 --- サンプラスが「引退のプロセス」と呼ぶものの一部 --- は、より大きい問題だった。彼は妻と家族に話し、何をすべきかエージェントと話し合った。結局、そのニュースが漏れた時、サンプラスはコートサイドに座り、ロサンジェルス・レイカーズがサンアントニオ・スパーズに負けるのを見ていた。

「ぞっとするような日だった。みんな僕のところにやって来て、ニュースについて質問し続けたからね。みんな僕がプレーすると考えていたが、しないと言った事で、僕が何をくぐり抜けてきたか、理解したのだろうと思う」

「僕は何も言うべき事がなかったから、みんな長い間、僕から何も聞いていなかったんだ。しかしウインブルドンが近づいてきた以上、はっきりさせるべき時だった。もし出場したら、自分自身と大会を騙している事になる。それでラケットは棚にしまわれた。大体そんなところだった」

つまり、15年で初めて、ウインブルドン史上最も偉大なプレーヤーは、欠場する事になる。多分ベル・エアー・カントリークラブの、ゴルフコースにいるだろう。そこで彼は普段、アナコーンや新たに友人になった俳優のグループと、1ホール1ドルか2ドルを賭けてゴルフを楽しんでいる。

好奇心から、夜遅く彼はテレビのスイッチを入れるだろう。旧敵アガシの勝ち上がりをチェックし、彼自身がかつて知覚していたいちずな集中を、レイトン・ヒューイットの中にかいま見るために。

彼はアメリカのテレビ局から、ウインブルドンでの解説を頼まれた。しかしそのような即席の、そして明らかな転身を丁寧に辞退した。彼の魂の大部分は、まだコートの上にあるのだろう。

それでも、次の2週間の間、グラスコート・プレーヤーのふりをしている規格品のベースライン・プレーヤーの継承に、首を振る事もあるだろう。心が何を語ろうとも、彼の本能は、31歳にして、明日にでも彼らの大部分を負かせる事を思い出させるだろう。「僕は誰かがステイバックしているのを見ると、舌なめずりしたものだった」

「現在の世界トップ10をご覧よ。僕のゲームはまだ、これらの若い男の何人かとやれると思う。サーブで相手をコートから追い出せるような者は誰もいない。そして正直言って、リターナーを大して気にした事はなかった」

「昨年の決勝戦(ヒューイット対デビッド・ナルバンディアン)は、今後やって来るものの兆しだった。ティム・ヘンマンはいる。彼は数少ないナチュラル・サーブ&ボレーヤーの1人だ。だがもし彼が決勝にいないなら、再び2人のベースライン・プレーヤーの決勝になるだろう」

「ロジャー・フェデラーは、芝に適した良いゲームを持っていると思う。そしてアンディ・ロディックにも能力がある。しかしすべての試合で、良いサーブを打つのはむずかしいよ」

「僕があれほどたくさん勝てた理由の1つは、他の多くの人たちほど苦労しないで、ウインブルドンで高いレベルのプレーができたという事だった。僕はサーブ&ボレーで、ある程度の選手たちをコートから追い出す事ができた。そして僕の評判も助けとなった。それは疑いない。だが今年は、誰が2週間ホットでいられるかがカギだと思う」

彼は間をおき、彼自身の欠場について考える。「僕はいつでも、今年も、10年後も、いつだってウインブルドンにいないのを寂しく思うだろう。でもただ別れを告げるために、戻ってプレーする事はしない。人々はマイケル・ジョーダンと、彼が何事にも競争心を抱く事について話す。だが僕はそのようには感じない。僕はテニスにおいては競争心が強かった。そしてそれが、フェアウェル・ツアーなどをしたいと思わなかった理由だ。僕がゲームをする唯一の理由は勝つ事だから。

僕は何年にもわたり、バーを上げてきた。そして過去2年間、同じ高さに触れるのはむずかしかったが、まだある一定の基準に達すると思っていた。昨年のUSオープン前、僕はもう1回メジャーで勝って、皆に僕がそれをできる事を、皆が間違っている事を証明したかった。優勝した時、空っぽになったような気分だった。証明すべき何も残っていないと悟ったからだ。だが翌日というのは、終わりを告げるのにふさわしい時ではなかった。いまが多分ストップする時だと思った。でも僕は100パーセント確かだとハッキリさせたかったんだ」

「僕は引退して、6カ月後には再び戻って来るというような事はしたくなかった。良いところは、球団のオーナーとかチームマネージャーとか、誰にも報告する必要がないという事だ。僕は僕自身のボスで、僕自身の決定を下せる」

統計値は議論の余地もなく、サンプラスのテニス界における地位を定義する。彼は歴史上及ぶ者のない、14のグランドスラム・シングルス・タイトルを勝ち取った。誰よりも長く(286週)1位の座につき、そして誰よりも多くの賞金(4,400万ドル、あるいは2,600万ポンド弱)を得た。ウインブルドンにおける彼の記録 --- 70試合中63勝(1993年から2000年までの、54試合中53勝を含む)--- は、右に出る者がいない。

それでもなお、ステファン・エドバーグ --- 選手としても人間としても、彼自身のイメージと重なる男 --- がサンプラスを、彼がこれまでに見た最も偉大なプレーヤーだと最近名前を挙げた事は、サンプラスにとって同じくらい多くを意味するであろう。

ウインブルドンでは、その絶対的な真実を思い出させる必要さえないだろう。サンプラスはそれを、とても簡単な事のように見せた --- 誤らせるまでに。「人々は僕を誤解していた。僕がテニスに注がなければならなかった努力の量を過小評価していた」

「テニスそのものは、僕にはかなり易しいものだった。だが6年あるいは7年間、僕は負かすべき男で、その代償に僕から多くを失わせた。アンドレが33歳で、まだあそこにいるのを見るのはいいものだし、彼がうまくいくよう願っているよ。だが僕はずっと、彼より多くの燃料を燃やしてきた。サーブ&ボレーヤーはベースライン・プレーヤーより、良い体調でいなければならない。腕、背中、肩 --- 動きはより爆発的だ。短距離走者とマラソン走者の相違のようなものだ」

時おり、コートへ戻る曖昧なアウトラインが、現実的な会話の中に忍び入る。彼は最終的にモチベーションに見切りをつける前に、もう2カ月くらい猶予を取ると言う。USオープンと、タイトル防衛の見込みは、最後のチャンスになるだろう。長くなるほど、車輪には錆が浮いてくるだろう。

「僕は満足している」と、彼は穏やかに言う。「キャリアの最中、そのように感じた事はなかった。もう責任を持たなくていい事を、心地よく感じている。旅行、練習、空港、プロのテニス選手のライフスタイル。それは決して悪い生活ではない。しかし厳しい生活だ。

僕には生後7カ月の子供がいて、彼はいま微笑んでいる。彼の成長を見るのはとても楽しいよ。家で日常生活を送る事、夜は自分のベッドで眠り、朝には朝食を作る、それは僕が一度もした事のなかったものだ。再びラケットを握るまでには --- たとえ軽いヒッティングでも、しばらく時間をおくだろう。そもそも、ラケットのストリングスは全部はじけて切れちゃったよ」

彼の知りたい事が1つだけある。なぜ選手はもう、ロイヤルボックスにお辞儀する必要がないのか? 私は笑って言う。多分それは、彼がそこにいないからと。

「そうだね」と、彼はその意見を面白がる。「王様はいなくなった」