テレグラフ(イギリス)
2003年8月24日
サンプラスは私のアイドル、レーバーに並んだ
文:ジョン・マッケンロー


ピート・サンプラスが引退する決心をした事に、少し驚いたのを認めなければならない。しかし私は引退にさして重きをおいておらず、自分の引退も発表しなかった。厳密に言えば、私はまだ引退していない。しかしサンプラスのように、高みにおいて退くチャンスはなかった。USオープン・チャンピオンとして --- 1年遅れではあるが。

明晩フラッシング・メドウの特別なセレモニーで、史上最高の1人のキャリアに公式に幕が降ろされる。それによって、マイケル・チャンからは注目がそれてしまう。初めてではないが、おそらくこれが最後だろう。気の毒なチャン。彼は今年お別れツアーなるものを続けているが、サンプラスとその同世代、ジム・クーリエとアンドレ・アガシの陰で、全キャリアを過ごしてきたように見える。

私はドン・バッジ、フレッド・ペリーあるいはルー・ホードのプレーを見た事はない。しかしオープン時代最高の選手たちを見るか、あるいは対戦してきた。そして私にとっては、その時代の最も偉大な選手として、サンプラスは私のアイドル、ロッド・レーバーと肩を並べている。

2度の年間グランドスラムを達成し、同じ左利きでもあるレーバーより上に誰かを据えるのは好まない。しかしサンプラス --- 14回のスラム優勝者 --- は、少なくとも力量に関してはオーストラリア人と同等であった。

実際、もし彼らがお互いの全盛期に対戦できたなら、間違いなくサンプラスの方がより頻繁に勝っただろう。彼はあらゆるショットを持っており、世間の評価よりずっと優れたアスリートだった。最初は、彼のボレーは他の要素ほど良くなかったとしても、終えるはるか前には、少なくとも同じくらい良くなっていた。メンタル面も同様だった。彼は進化するためには何が必要かを知っていた。

イワン・レンドルのように、彼は精神的に非常に強くなる事を学んだ。彼の最も素晴らしい特質の1つは、自分のリズムでプレーする能力であった。彼はめったに自分の快適なゾーンから追い出される事がなかった。大した偉業である。

それは彼の最後の試合、昨年のUSオープン決勝の時に最も明白になった。初めの2セット間、彼はアガシほどの経験豊かで有能な者を、動かない彫像のように見せた。同じくアンディ・ロディックが昨年のUSオープンで証言したように、彼は対戦相手を無力にできた。

彼のボディ・ランゲージは当てにならなかった。時に彼の頭はうなだれ、うつむいてコートを歩き回った。どう見ても打ちのめされたプレーヤーのように --- 彼は決してそういう立場にならなかったが。流れが最終的に自分に来るまで、彼は踏みとどまる能力を持っていた。肉体的に苦しんでいた時さえ、並はずれたサーブで常に盛り返す事ができた。

彼とボリス・ベッカーは、好調時にはウインブルドン史上最も破りにくい男であったに違いない。彼らは素晴らしいファーストサーブを有していただけでなく、セカンドサーブでも攻める勇気を持っていた。

サンプラスと対戦した時、「どうやって彼はこんなビッグサーブをこれほどライン際に打ち、しかも回転を混ぜ合わせられるんだ?」と考えたのを覚えている。1ゲームの中で、彼をブレークできるほどのポイントを取るのは非常にむずかしかった。それは全く敵わないとまでは言わずとも、確かに圧倒されていると感じるほどのプレッシャーとなるのだ。

ウインブルドンは肉体的にも精神的にも、サンプラスにとって完璧な場所だった。世界最高の --- 認めよう --- テニス・スタジアムにおける、見識ある観客の前での静かな舞台。そこで彼がこれほど多くの成功を収めたのはもっともな事だ。彼がウインブルドンでプレーしていた時、外へ出かけたりしたとは思わない。それを退屈とでも何とでも呼ぶ事はできる。しかしそれは有効だった。オフコートで面倒事がないというのは、対処すべき問題が1つ少ないという事なのだから。

テニスの人気が他のスポーツから脅かされていた時期に、サンプラスのようなタイプの人間がテニス界を支配していたのは、不運なタイミングであった。1対1のスポーツでは、ひたすら強烈な個性を求められる。そしてファンと触れ合うというのはピートのスタイルではなかった。

しかし、それは彼の落ち度ではなかった。テニスそのものが総体的に大衆を遮断し、そして代償を払ったのだ。選手たちはメディアのためにもっと時間を取らなければならない。アメリカでは、レーシング・ドライバーはレース直前でもインタビューを受ける。命の危険がかかっているというのに。コートに出ていく以外に何も危険な事をしないテニスプレーヤーは、当然インタビューを受けられるはずだ。

まだあと2〜3年できるのに、いまピートが去るのを見るのは残念でならない。私はもう彼と対戦せずにすむのだが。つまるところ、彼はまだ32歳だ。私には驚きである。テニスはサンプラスの人生そのものだったのだから。それは彼ほど優れたプレーヤーでも、勝利のチャンスを掴める位置に立つには、途方もない努力と計画を要するという事を示している。

彼は人生で初めて、テニスより惹きつけるものを持っている。すなわち、彼の新妻と最初の子供。彼はテニスに同じほど傾倒したくなかったし、できないとも感じたのだろう。私はその立場を理解できる。

私に子供ができた時、まだ再び1位になる事を望んでいた。しかしひどい父親や夫になる危険を犯してまで、そうしたくはなかった。双方に申し分ない方法でやろうとしたが、うまくやってのけるのは非常にむずかしかった。よく言うように、スポーツマンが30歳に達すると、レベルを保つには倍の努力が必要になるのだ。

サンプラスほどまでに誰かがテニス界を支配するとは、当面は考えにくい。とはいえ、何人かは複数回グランドスラムで優勝するだろう。

たとえば、きっとウインブルドンの新チャンピオン、ロジャー・フェデラーはするだろう。そしてファン・カルロス・フェレロ、彼はウインブルドンでは優勝しないかもしれないが、フレンチでは2〜3回勝利を収められるだろう。同じくロディックが間もなくメジャーで勝ち始めると思う。彼は今回にでも優勝できるだろう。イギリスのティム・ヘンマンを除き、誰よりもタフな初戦ではあるが。実はこの2人は対戦するのだ。

偶然にも、ウイリアムズ姉妹が2人とも欠場し、女子シングルスにも新しいチャンピオンが生まれるかもしれない。2人のベルギー人、キム・クライシュテルス、ジュスティーヌ・エナン・アルデンヌのいずれかが有望な候補だが、ジェニファー・カプリアティにとっても、自国のグランドスラム大会で優勝するこれほどのチャンスはないだろう。

肩の傷害についての噂には根拠がない。そして彼女にはエナン(今年、彼女は疲れ切っているかもしれない)に勝ち、初のUSオープン決勝に進むだけの欲求とゲームがあると思う。そこではクライシュテルスが、徹底的な審査を提供する事を期待する。