南フロリダ-サン・センテナル
2003年5月20日
サンプラス --- 控えめなチャンピオン
文:Dave Hyde


アスリートの引退物語を書く秘訣は、その選手の個性がすぐ分かるような、効果的なシーン、あるいは感情を露わにした場面を思い出す事である。

たとえばジョン・マッケンローの場合は、リプトン・チャンピオンシップ大会で、観客席でタバコを吸っているファンに止めるよう言った物語だ。「君は気分が良くなるだろうよ」マッケンローは叫んだ。「オレもそうなりたいんだよ」

それがマッケンローの逸話であった。

マルチナ・ナブラチロワは、機知に富んでいて強情だった。ウインブルドン記者会見での、タブロイド紙の男性リポーターとのやり取りが思い出される。「あなたはいまでもレスビアンですか?」男が尋ねた。「あなたはいまでも二者択一論なの?」ナブラチロワはすぐ切り返した。

スポーツの偉人の思い出を語る時、個性はそれを豊かにする。それが目立つほど、思い出すのは容易だ。特にテニスのような個人スポーツの場合は。

しかしピート・サンプラスはいま、まさに象徴的に、静かに、控えめにコートを去ろうとしている。彼が見え透いた引退興行あるいは宣言を避けている事に対し、ある者は「退屈」という、うわべだけのレッテルを貼りたがった。

彼はコーチを通して、ウインブルドンを含む3大会を棄権した。いま、彼の心はテニスになかった。おそらく永遠に。ロサンジェルス・レイカーズの試合のコートサイドで、サンプラスは別れとも受け取れる話をしただけだった。彼が身につけていたのは、普段着のジーンズと野球帽だ。

フェアウェルツアーもない。カーテンコールもない。たいていの偉人たちが少なくとも1回はする「辞めるのか、辞めないのか」のゲームもない。それがピートだ。控えめ。慎み深い。彼のゲーム以外、すべてがまったくもって正常だ。サンプラスの物語は、そのように書かれるべきではなかったのか?

彼は初歩的なスポーツファンのお気に入りではなかった。そういうファンは、スポーツに興味を持つきっかけとして、ジミー・コナーズの振り上げる拳、ウィリアムズ姉妹の父親、あるいはアンドレ・アガシの髪型の変遷を必要とした。

サンプラスは上級のファンのためにあった。才能を堪能し、自制を理解し、長期にわたる卓越を賞賛する人々のためにあった。

優秀さは、メディアや主観がどう言おうと、常にそれ自体興味深い。個性はそれに風味を添える。それは否定できない。

しかしサンプラスの卓越したテニスは、プレーそのものが人の目を引きつけた。もじゃもじゃ頭の20歳のアガシを破ってUSオープンで優勝し、19歳で国際舞台に躍り出た時から。

彼は「退屈」というレッテルにただ肩をすくめ、スターと見なされる事には、なんとか折り合いをつけた。アガシに比べて堅物という評価は必然的だったが、そこから得るものもあった。

彼が決してしなかった事は、自分自身、あるいは自分が信じるものから、脇に逸れる事であった。

2000年に7回目、そして最後のウインブルドン・タイトルを獲得した時、サンプラスは珍しく感情を露わにし、観衆の間を駆け上り、両親と抱き合った。両親はめったに彼を見に来る事がなかったのだ。

彼の両親は、世間の注目を尊重してはいたが、望んではいなかった。そして明らかに、彼らの息子もそうだった。

昨秋、14回目のメジャー優勝すなわち5回目のUSオープンタイトルを獲得し、サンプラスは偉大なチャンピオンに値するものを手に入れた。さらなる輝かしい日。人々が彼に声援を送る最後の機会。

「おとぎ話の結末のようだ……辞めるにはいい時なのかもしれない」その後、彼は語った。

そして彼は辞めたように見える。彼がスポーツ界から去ると、チャンピオンは、伝説的な人は、こう振る舞うべきだという規範は、もはやあまり見られなくなる。スポーツ界はしたい放題、言いたい放題になる。

それはしばしば非難されるアスリートだけの事ではない。メディアもだ。最も大声で叫んだり、最も大きいスキャンダルを持ち込むコーチについて、喋りまくるような者を歓迎するメディア。

ファンもだ。数年前に自分の妻を殴ったニュージャージーのディフェンス、ジェイソン・キッドに大はしゃぎした、ボストンでの最近の例を見れば明らかである。

このようなスポーツ界では、サンプラスのように慎み深く、品位のある者は、むしろ奇妙なほど革新的にさえ思われる。

彼は自分の引退を銘記すべく、祝祭を挙行する権利のある者だった。しかし彼は、デニス・ロドマンが自分の入れ墨に注目する事を願うように、彼のテニスの美点に注意を払ってくれる事を望んだ。もしそれに気づかなかったのなら、何かを見落としたのだ。

ここに逸話がある。1996年のリプトン大会終了後、ボールボーイとボールガールは、お気に入りの選手は誰かと尋ねられた。

「多分サンプラス」と少年は言った。「ええ、サンプラス」と彼女は同意した。「彼は決して悪い言葉を言わないし、しょっちゅう私たちにありがとうと言ってくれる」

偉大な人々は、ほんの小さな事をするだけでも賞賛される。しかし、実際それをするのは、最高の人々だけだ。今日、我々はそういう1人を失ったのだろう。