シカゴ・トリビューン
2003年5月16日
ピート・サンプラスの粋な去り方
By Melissa Isaacson


彼は引退というアイディアを、心地よく受け止めた事はなかった、そして多分、それは変わらないだろう。

しかし、ピート・サンプラスは常に、彼の内なる時を、どんな専門家あるいは対戦相手より、ずっとよく理解していた。そしていま、彼が自分の方法、自分の時と、そう、彼自身の表現でキャリアを終わらせようとしているのを、我々は見守っている。

史上最高のテニスプレーヤーの1人にとっての終わりは、今週サンプラスがウインブルドン欠場を表明した事で、見えてきたようである。

彼は今年、予定されていたすべての大会を欠場していた。だからサンプラスがウインブルドンに出ない事の意味も、見失うべきではない。それは単に、彼が14のグランドスラム・タイトルの半分を勝ち取った場所だからではない。

これは14年間で、彼がオール・イングランド・クラブの神聖なグラウンドに入らない初めての夏になる。そこはサンプラスの最高の時と、そしてついに最悪の時をきわだたせた場所だった。

かつてこれほど、1つの大会とサーフェスが、1人の選手とその技量にふさわしい例はなかった。そう言えるほど、芝のコートはサンプラスを暖かくもてなした。彼の威圧的なサーブと優美なボレーは、人々とその場所に受け入れられた。ある意味、それは分かちがたく結びつき、彼がそこで負けるのを想像する事は、不可能であるようにさえ思わせた。

しかし、パトリック・ラフターを下し、2000年に最後のウインブルドン・タイトルを獲得した後、2001年には、彼は4回戦でロジャー・フェデラーに5セットで敗れた。そして昨年2回戦、ほとんど無名のジョージ・バストルへの敗戦は、あまり知られていない外のコートで起こった。それはサンプラスの実績に対する、侮辱のようにさえ見えた。

テニスの冴えは、突然ウッドラケットと同じくらい旧式に見え、サンプラスの終焉は、男子テニスの悲しむべき事情を反映しているようだった。それでも、31回目の誕生日を1カ月後に控え、サンプラスに引退するつもりはなかった。その秋のUSオープン3回戦、サンプラスにフルセットで敗れてなお、グレッグ・ルゼツキーが口にしたほのめかしも無視した。

「彼はネットに出るのに1歩半遅くなっている……彼はもう以前と同じプレーヤーではない」と、サンプラスが次の試合に勝つ事に、ルゼツキーは疑いを表明した。「僕が意味するのは、彼は過去の偉大な選手だって事だ」

ルゼツキーは正しかった。そして多分、心の奥深くではサンプラスもそれを知っていただろう。しかし本当に偉大な人々とは、もはやかつてのような高いレベルで能力を発揮できなくなった時さえ、勝つ事を可能にできる人なのである。

それはまさに、決勝への感動的な道のりにおいて、サンプラスがやってのけた事である。そして決勝で、彼は長年のライバル、アンドレ・アガシを破り、5回目のUSオープン・タイトルを獲得した。

「USオープンのようなメジャー大会で、アンドレのようなライバルに勝つ……おとぎ話の結末みたいだ。辞めるにはいい時なのかもしれない」当時サンプラスは語った。

しかし、彼は我々以上に、不確かだったのだ。

サンプラスにとって引退とは、1つの終結宣言で成立するものではなかった。我々がいま見ているように、少しずつ進行する事で、彼が宣言をせずとも、最終的に決定そのものが形作られていくのだ。

彼は常々、技量の衰え云々ではなく、これ以上プレーしたいという気持ちがなくなった時に辞めると発言していた。しかし彼はいま、ウインブルドンを棄権してみて、自分が昨年の秋に、完璧な大団円を創造したのだという事に、驚いているかもしれない。

その過程の随所で、自分が何を創造してきたか、きっと彼は知るだろう。

それは、初のグランドスラム優勝がどれほど特別なものかもろくに知らなかった、痩せっぽちの19歳のサンプラスが、1990年USオープンで優雅さと力を発揮し、ぼさぼさ髪の20歳のアガシをストレートセットで下した事である。

またそれは、昨秋のUSオープン準々決勝で、31歳の彼が19歳の新星、アンディ・ロディックを下し、アメリカ男子テニスの未来に、一夜のにぎにぎしいラケットさばきではなく、長きにわたりムラのない高水準を持続する事で、偉大な選手は生み出されると示した事である。

それは、ウインブルドンでリターナーのほぼ全員を、楽々と打ちすえた事であり、きわだった精神の強靭さである。

そして何よりも、去り行くために要求される意志の力。それらを創造してきた事を、きっと彼は知るだろう。