第2部:デビスカップ
第5章 赤い脅威


思い上がりのロシア人ども。
2年連続でデビスカップ決勝に到達し、慎重に整えたレッドクレー・コートで実際にボールが打たれる遙か前から、彼らは勝利について語り始めた。そのコートは、世界を圧倒するという雄大な計画の、中心とも言うべきものだった。

そして確かに、合衆国チーム、特にピート・サンプラスは、圧倒されやすかった。

ドイツチームがそうであったように。それが、モスクワの室内アリーナであるオリンピック・スタジアムが、9月下旬のロシア対ドイツ準決勝のために、泥沼のモンスタートラック競馬場に変えられた理由である。それから、滑稽にも、ロシア陣営は泥の上にラインを引き、ネットを張った。そしてサーブ&ボレーヤーのボリス・ベッカーとミハエル・シュティッヒが水浸しのコートに向かい、沈没し、デビスカップにおける彼らの国の希望がダウンするのを待ち構えた。

それは裏目に出そうになった。人を呑み込まんとする流砂にもかかわらず、ベッカーとシュティッヒはアンドレイ・チェスノコフとエフゲニー・カフェルニコフから初日のシングルスを勝ち取り、遅いクレー、泥の上で大きな優勢に立つかと思われた。プレーを始めるにあたり、審判のギルバート Ysern によってコートはプレー不能と見なされていた。明らかに、ドイツ人のパワーゲームをへこませるために改竄されていたのだ。それは、かつてのメジャーリーグ・ベースボールの気味があった。グラウンド整備員は、ビジターのチームに盗塁の名手がいると、ベース間の走路を水浸しにしたり、ホームチームがバントに熟練していたら、ホームベースと1塁の間をずぶ濡れにしたものだった。

国際テニス連盟(ITF)は容赦なかった。ロシアチームに25,000ドルの罰金を科したのだ。実際にYsern は、コートが乾くまで初日のプレー開始を遅らせた。ヘアドライヤーが近くのホテルから借り出され、延長コードが持ち込まれた。もちろん、その効果は最小だったが。

残りの週末、コートはより良い状態だった。しかし不可解にも、ロシアチームもまた、そうだった。彼らは中日のダブルスに勝利し、スコアは2勝1敗となった。それから、ベッカーが背中の怪我で戦線離脱し、代役のブレント・カールバッヒャー はカフェルニコフに敗れた。そして、シュティッヒは9つのマッチポイントを逃し、チェスノコフに敗れ去った。

もう一方の準決勝はスウェーデン対アメリカ合衆国で、アガシの故郷であるラスベガスで行われたが、サンプラスにとって感動的な経験であった。ティム・ガリクソンは、脳腫瘍の闘病生活で上向きな時期にあり、出席する事ができたのだ。そして彼の兄弟で合衆国チーム監督であるトムの招きにより、コートサイドでいささかの時を過ごす事さえできた。サンプラスはシングルス2試合に勝ち、チームは4勝1敗で勝利を収めた。

12月第1週のモスクワには、同じくレッドクレーの継ぎはぎがされた。少なくともアメリカチームは、適正なサーフェスを期待する事はできた。ITFのデビスカップ委員会は全ロシア・テニス連盟に、厳しい警告を与えたのだ。今後も同様の乱暴な真似をしたら、対戦におけるホームコート・アドバンテージを少なくとも1回、あるいは複数回、失う事になる、と。デビスカップを自国で戦う事は最高の利点である。従って、今回はコートが適正なものであろう事は想定できた。

それでもなお、合衆国の陣容がシングルはサンプラスとクーリエ、ダブルスはトッド・マーチンとリッチー・レネバーグと通知されると、ロシアチームは大風呂敷を広げ続けた。クレーは相対的にサンプラスの弱みだったので、カフェルニコフはクーリエ――2度のフレンチ・オープン・チャンピオン――をむしろ警戒していると口走った。さらに、合衆国は事実上ダブルスのポイントを諦めている、とさえカフェルニコフは断定した。チェスノコフは同意し、サンプラスがプレーする以上、自分たちには「五分五分」のチャンスがあると語った。

その時点でサンプラスは、カフェルニコフに対して3勝0敗、チェスノコフに対して1勝0敗であったと指摘しておこう。

元々は、サンプラスはマーティンと組んで、ダブルスのみをプレーする事になっていた。その後、アガシが胸筋を再び悪化させた。まずラスベガスで傷め、そのために準決勝のスウェーデン戦を途中で戦線離脱し、勝利を決するポイント奪取をマーチンに譲らざるを得なかったのだった。サンプラスは、シングルスはクーリエとアガシに譲るべきだというガリクソンの見解に同意していた。この事は、彼がどれほどカップのために助力したいと思っているかを物語っていた。

合衆国のテニス連盟は、火曜日にアガシの棄権を発表した。決勝の始まるたった3日前の事だった。それはガリクソンの楽天主義をへこませた。当初は「最強とも言えるチーム」を持っている事に勇気づけられていたのだが。

ガリクソンは語った。「正直言って、アンドレが参加するのを望んではいたが、期待していなかったよ。準決勝以降、彼の調子が良くないのは明らかだった。さもなければ、彼はプレーしていただろうからね」

アガシは過去13試合、デビスカップのシングルスで勝っており、1981〜82年のマッケンローの記録に並ぶ。全体では22勝4敗だった。ロシアの監督アナトリー・レペシンは、アガシが――チームメイトをサポートするために顔は見せたが――出ない事になって「ホッとした」と語った。

ロシア人がクーリエを警戒しても不思議はない。彼は幸運のお守りさながらだったのだ。彼のデビスカップ・シングルスの成績は9勝5敗でしかなかったが、彼がチームに加わると、合衆国は7勝0敗だったのだ。また、遡って1992年の決勝でスイスのヤコブ・ラセクを破って優勝を決めて以来、7連勝を遂げていた。

サンプラスは数週間前に1位の座を再び確定していたが、アガシの棄権を受けて素速く(シングルスに)焦点を合わせた。デビスカップでの彼の成績は大したものではなく、1995年のワールドグループ戦まで5勝5敗だった。スタートは1991年、フランスとの決勝戦で、2敗を喫して悪名高いデビスカップ・デビューとなった。95年に4勝を挙げ、理屈の上では良くなってきていた。しかし、カップでの有用性に関しては未だ証明されていないという事実が、依然としてあった。

モスクワ到着時にサンプラスは語った。「僕はとにかくクレー用の靴を履いて、コートに出てプレーするだけだ。願わくば、レッドクレーでマジックを披露できるといいね。コートスピードはかなり遅くて、僕にとっては都合が良くないが。でも、条件は両者とも同じだ」

そして、サンプラスを使えるとあって、ガリクソンは彼をシングルとダブルス両方に出す事を目論んでいた。それはもちろん、クレーコートではかなり進取の気性に富んだ考え方と言えるだろう。

ガリクソンは語った。「我々には様々なオプションがある。だが、両方をプレーするかどうかは、ピートしだいだと彼に言ったよ。ダブルスのペアを変える事ができるし、もし必要とあらば、ピートを加える事もできる筈だ」

当初サンプラスは、そのアイディアを気に掛けていなかった。「自分が続けて3日間プレーするのが、どの程度エキサイティングかは分からないね。シングルをプレーするつもりだから、ダブルスはプレーしない方がいいなあ。シングル2試合の間に1日の休養があれば、肉体的にはよりいいだろう」

このように、決勝戦が近づくにつれて、奇妙な雰囲気が蔓延していった。合衆国は30回デビスカップで優勝しており、どの国よりも多かった。ロシア・ソビエトのチームは、一度たりとも決勝進出した事さえなかったが、合衆国は58回目の決勝戦だった。ロシアチームは、1994年にスウェーデンに負け、今回は2度目の決勝戦だった。

サンプラスは世界1位で、クーリエは8位だった。カフェルニコフは6位だったが、チェスノコフは91位辺りを彷徨っていた。他のロシア選手、ダブルス専門のアンドレイ・オルホフスキーについては、まあ、恐るるに足らずと言えば充分だった。

それでもなお、アメリカ陣営は慎重に話をし、ロシア陣営は、うむ、彼らはただ語りまくっていた。

カフェルニコフはプレー開始の前日に語った。「クレーを選んだ事は、我々にかなりのチャンスを与えてくれる、合衆国チームに対してデビスカップを勝ち取る、恐らく唯一の機会だろう。我々にとって大きな利点だ」

一方、サンプラスの魂の奥深くでは、何かが起こっていた。感情の豊かな交錯が。

1つにはガリクソン――コーチのティム――の事があった。イリノイ州の自宅に戻ってから、彼の病状は悪化していた。そして監督のトムは、カップ獲得への努力を共に保とうとしながら、この1年間、同じく日々の苦しみに対処してきたのだった。

1つには名誉回復という問題があった。サンプラスが何と言おうとも、敵対的な雰囲気の下で自国のためにプレーするというプレッシャーに押し潰された、1991年リヨンの亡霊は、彼につきまとった。それ以降、彼にデビスカップでの奮闘はなく、せいぜいが、そこそこ程度だった。

ついに、それは部分的に回復した。サンプラスはアガシから1位の座を取り戻していたが、それは、ATP ツアー・コンピュータの気まぐれなポイント・システムによりその座を失ったように、取り戻したに過ぎなかった。デビスカップにはポイントが付かなかった。名誉だけである。1年を終えるのに、これ以上良い本質的な事柄があるだろうか?

「この状況の重要性は、ピートが何者であるかを真に知らしめる時であったという事だ」
カリフォルニアのジャーナリスト、マーク・ウィンタースは語った。ウィンタースはサンプラスが9歳の天才児だった頃から、彼について書いてきたのだった。

ウィンタースはつけ加えた。「いいかい。このデビスカップは、ピートのカップなんだ」