第5部:ウインブルドン
第18章 4-ピート?


サンプラスはハードコートがお気に入りのサーフェスだと断言する。しかしフレンチ・オープン準決勝で敗れた後は、芝生がかなり魅力的に映っていた。

ウインブルドンが目前に迫っていた。オール-イングランド・ローンテニス&クリケット・クラブの清浄な芝生で、サンプラスは3回のディフェンディング・チャンピオンであり、連続21試合の勝利者である。ハードコートに関するナンセンスは余談として、彼は自分の領分に戻るだろう。

路上の土産物売りは機敏で、記念Tシャツの準備に余念がなかった。ピート・サンプラスの「4 - ピート」――もしくは「4 - ピート?」。

ウインブルドンを論じる事は、フレンチでカフェルニコフに敗れた後、すぐにサンプラスの精神を快活にした。

「僕は今のところ、精神的にも肉体的にも休息を必要としている。調子を上向きにし、希望を持って『4 - ピート』に挑むために」と彼は語った。「それは僕が試みなければならない事だ。できる限り立ち直ろうとする事」

クイーンズ・クラブの大会を欠場し、サンプラスはデレイナと共に自宅へと戻った。彼は翌週までタンパに留まり、ハードコートで練習した。自宅近くのサドルブルック・リゾートには、彼が自由に使える一級品のグラスコートがあるにも関わらず。速いコートのタイミングを取り戻すためには、ハードコートが必要だった。それが完了した後、サンプラスはグラスコート特有の、早めのバウンドに対処し始めるのだ。

「ロンドンに戻って、オール・イングランド・クラブの門をくぐると、その感触と良い思い出が甦る」と彼は語った。「そして前へと進みたいなあ」

サンプラスは遠征先で習慣を重んじる人間である。彼は食事と宿泊場所に心安さを切望する。ウインブルドンの2週間、彼はそんな居心地良さをセント・ジェームズ・コート・ホテルに見いだしてきた。彼は毎年フラットを賃借し、そして籠もる。

セント・ジェームズは自宅のように感じる、完全に荷ほどきする気になれる数少ない場所の1つだと彼は語った。もちろん、彼がそれほど快適に感じる理由の一端は、しばらくの間そこに滞在するだろうと知っているからだ。

96年ウインブルドンの最中、サンプラスは籠もり、サッカーに熱中しようとした。正直なところ息抜きとして。だがヨーロッパ選手権は、イギリスの他のテレビ番組よりは良かった。サンプラスはイギリスのテレビ番組には関心がない。従ってサッカーは、少なくともそれとは異なっていた。

「だんだん好きになってきたよ」と、サンプラスはウインブルドンの最中に言い、1つの試合――イングランド - オランダ戦――は特に刺激的、あるいは少なくとも興味深かったと付け加えた。「5分ごとにスコアが変わるみたいだった。見ていて楽しかったよ。でも座って試合全部を見るのは厳しい。合衆国で見慣れているのとは違うスポーツだと思う」

サンプラスはイギリスに来るとすぐに、アナコーンの助けとシュナイダーの監視の下で、芝生への順応を開始した。それが自分のゲームにどれほど有益かを悟るにつれて、真価を認めるようになったサーフェスだ。

そして、ローラン・ギャロスで過ごした辛い2週間の骨折りを払い落とす時、それは全くもってサンプラスには歓迎される順応である。クレーコート・テニスに比べ、芝生のテニスには魂のこもった何かがある。彼はそれを吸収していった。

順応を手助けしてもらうために、サンプラスはトッド・マーチンを練習パートナーに選んだ。サーフェス、この2カ月間の状況を考えると、完璧な選択だった。マーチンは優れたグラスコート・プレーヤーで、サンプラスとガリクソン一家の良き友人でもあった。マーチンは技能と親密さにふさわしいタッチをもたらしてくれた。サンプラスはこのウインブルドンで、双方ともを必要としていたのだ。

セント・ジェームズが彼には心安いように、オール・イングランド・クラブにも同様のものがあった。我が家へ戻ってくるようだ、サンプラスが大会前の練習を本当に楽しく感じるまでに、とアナコーンは語った。

「ピートは自分のしている事に心地よさを感じる必要があるタイプの選手だ」と、アナコーンは「ニューヨーク・タイムズ」紙に語った。「練習の中でさえ、クーリエのようにこつこつ骨折って努めるタイプではない。もっと芸術家タイプで、だから芝生での準備は彼に適しているのだ。反復的なものではないから」

つまるところ、サンプラスはウインブルドンで心安らかであるという事だ。その安心感は彼の成功に基づいているとはいえ、必ずしもそれに依存している訳ではない。

勝とうが負けようが、サンプラスは大会と結びついてきた。もしウインブルドンが恋人だったら、彼らは深い絆で結ばれた関係だっただろう。

96年ウインブルドンのドローが発表された時、その確かな感情は少し揺らいだ。サンプラスは再び厄介なドローを引き当てたのだ。

彼の道のりはフレンチほど厳しくはなかったが、それでも信じがたいほど険しいように見えた。1回戦の対戦相手、デビスカップの同僚リッチー・レネバーグは危険な存在だった。予想される2回戦は、危険度という点では跳ね上がった。サンプラスはきっとマーク・フィリポウシスに遭遇するだろう。オーストラリアン・オープンで彼を倒した男。

それは始まりに過ぎなかった。

運命の巡り合わせは、128人の選手から成るドローの上半分に、熟達したサーブ&ボレーヤーを勢揃いさせていた。下半分には、第2シードのボリス・ベッカーを除けば、ベースライン・プレーヤーが集まっていた。3回のウインブルドン優勝者であるベッカーは、芝生での実績を考慮されてランキングより4つ上にシードされていた。

トップシードのサンプラスが決勝戦に進むためには、1991年のチャンピオンであるミハエル・シュティッヒ、2回の準優勝者ゴラン・イワニセビッチ、そして強力なリチャード・クライチェクを含む群れから抜け出さなければならないのだ。

4回目のタイトルは、容易ではないだろう。しかし当時、96年のサンプラスにとって、容易なものがあっただろうか? 他方、ティム・ガリクソンが究極の戦いに敗れるのを見た後で、どんなテニスの試合がそれほど重要な事に見えうるだろうか? 確かにサンプラスは、総体的な物の見方を心に秘めていた。これが2週間を通してどう揺らぎ溢れ出すかは、何とも言いがたかった。

最終的に、サンプラスは喪失について話す事が可能になっていた。HBO テレビがガリクソンの感動的な追悼番組を纏め、その中でサンプラスは心を開いた。

「僕は(フレンチ・オープンの)すべての試合でティムの事を考えていた」と、サンプラスは HBO のフランク・デフォードに語った。

「(彼の死は)多くの事に僕の目を開かせた。本当に辛く、耐え難いものだった。ティムは素晴らしい人間で、何も悪い事はしていなかった。それでも彼は連れ去られた。なぜそんな事が起こったのか、僕には分からない」

彼の精神状態とウインブルドンに向けた試合経験の欠如という条件の下では、サンプラスに賭けるのは恐らく賢い選択ではなかった。賭け屋の間では優勝候補だったが。

多くの者はベッカーを優勝候補と考えていた。95年決勝ではサンプラスに敗れたが、今期のクイーンズ大会では力強い勢いでタイトルを勝ち取っていたのだ。フレンチ・オープンの驚くべき準優勝者であるシュティッヒも、多くの支持を集めていた。そして彼の大会前のパートタイム練習パートナー、イワニセビッチもまた。

サンプラスの側には歴史が――遠くで、手招きしていた。彼は近代において4年連続でウインブルドンに優勝する2人目の男になろうとしていた。ビョルン・ボルグが1976〜80年に5年連続優勝を遂げていた。

Tシャツの売り手は結果を待ち受けていた。

サンプラス - アガシのライバル関係が復活するのは、もっと長く待つ事になるだろう。アガシは恋人のブルック・シールズと結婚予定を発表した今年前半から、ショッキングなスランプのまっただ中で、予選上がりで281位のダグ・フラックに1回戦で敗れた。フラックは、アガシより278位も下の選手だった。

アガシはジッパー・フロントの長袖ナイキシャツでプレーしたが、彼の主要なスポンサーにとっては元気のない広告塔となった。フラックが4セットの勝利で灯を消すと、少なくともナイトシャツの趣きにはふさわしかった。

「僕は試合を取りこぼしてしまった」とアガシは語った。「自分が望んでいたほどクリーンにボールを打っていなかった。もっと良いボールを打っていた事もあるさ、間違いなく」

「自分のゲームがおよそ(トップの)レベル近くでない時は、確かに失望する。一度はそのレベルにいて、それから突然、自分のゲームが少し落ちていくと、さらに多くのフラストレーションが伴う」

アガシのスランプは、1995年USオープン決勝戦まで遡るのではないかとサンプラスは考えていた。もしかしたら、サンプラスに第1セットを与えたあの22本のラリーにまで。

「驚きだ」とサンプラスは語った。「彼はいわば僕と同じで、メジャー・タイトルに重きを置いているだろうからね。今、彼の心はあるべき所にないようだ。このところ彼と話をしていないけれど」

「だが僕たちは皆、彼には戻ってくる才能があると知っている。彼は心持ちを正して、努力を始める必要がある。(彼がメジャー大会で負けるのを見るのは)ちょっと奇妙な感じだった。僕は彼をベストの1人だと思っているからね」

サンプラスは、(ジョー)フレーザーを失った(モハメド)アリのような響きで続けた。「アンドレは僕のゲームに多くをもたらしてくれるんだ。彼は僕をより良いプレーヤーにしてくれた。彼はテニス自体にも多くをもたらしている。世界中でとても人気があるし、テニス界(がさらに良くなる)には彼が必要だと思う。彼はこの大会に賑わいをもたらし、彼がいなくなると、その賑わいは去ってしまったようだ」

「もし準備が上手くいかず、戦う用意ができていないと、勝利はないという事を示しているんだ」

アガシが負けた後、実際にイギリスのある新聞は、ウインブルドンが「公式に終わった」と手加減なしの宣言をした。

そしてチャンピオンシップが進行する限り気懸かりがあるように、アガシも気懸かりだった。

「アンドレ・アガシが着ていたシャツは、彼を幽霊のキャスパーのように見せた」と解説者のバド・コリンズは語った。「そして今のところ、それはテニスにおけるアンドレそのもの――幽霊だ」