第4部:フレンチ・オープン |
第17章 履歴書のギャップ |
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サンプラスはフレンチ・オープンで優勝する事ができるだろうか? 1996年と同じようなチャンスを得られるだろうか? カフェルニコフに敗れた後、サンプラス自身が指摘したように、「ドローから天候まで、すべてが僕に都合のよいものでなければならない。ある年にすべてが揃い、ここで勝てたらいいな」 サンプラスが未だドローとコンディション――自分ではコントロールできない要素――について話すという事実は、彼の精神状態をかいま見るのに等しい。通常サンプラスはサンプラスについてのみ思い煩う。自分の事に気をつけていれば、何も、誰も、自分が勝つ事を阻止できないと考えるのだ。彼が必要条件を挙げ始めるのは、非常に良くない兆候だ。 天候は1回戦のグスタフソン戦でもひどいものだった。しかし問題ではなかった。彼のドローは耐えがたいものだったが、それでもなお2人の元チャンピオンを叩きのめした。 ボドは真実に迫っているかも知れない。彼はサンプラスがフレンチで優勝するチャンスはあると考えている。だがボド自身も必要条件を挙げる。 「他の選手とは異なり、ピートにとって最大の障害はフィットネスの問題になる」カフェルニコフが決勝戦でミハイル・シュティッヒを同じくストレートセットで片付ける数時間前に、ボドは語った。 「ピートは驚くほど脆い。だが彼は優勝するだろうと私は実際に考えている。彼はあまりにも優れたプレーヤーだから、しないとは思えないのだ。(絶対に)優勝すると断言はしにくいが、彼にはできると思う。速いコートが得意なすべての偉大な選手には、フレンチで優勝のチャンスがあった。彼らがここで勝てないという訳ではない。できる筈だ」 「だが……今年は実に大きい、大きいチャンスだった」 同僚のマーク・ウィンタースは長年サンプラスを追ってきて、公平さがジャーナリズムの不文律ではあるが、サンプラスのサポーターである。彼もまた、絶好の機会を逃した事を嘆いた。 サンプラスがローラン・ギャロスで優勝できると、ウィンタースはそれほど確信していないが、「『二度とない』とは考えないが、またとないチャンスというものはあると思う」と付け加える。 それは時に輝きを失う。 「ピートが今年より良いチャンスを掴むとは思わない」とウィンタースは言った。「だが――もしピート・サンプラス以外の者について語っているのなら、その男は有り金をはたいてしまったと言うだろう」 「カフェルニコフ戦は、彼が対処しなければならない肉体的な脆さを露呈したと思う。そして精神的な……うむ、あの試合は、まるで彼がツアーに出始めたばかりの頃みたいだった」 ジョン・マッケンローは、1984年フレンチ決勝のイワン・レンドル戦で同じく屈服した。マッケンローは最初の2セットを簡単に取ったが、第3セットで悪名高い爆発を起こした後に集中力を失い、次の3セットを落とした。彼が再び決勝に進出する事はなかった。 サンプラスはクレーコートを嫌うが、マッケンローはクレーを見下していると言ってもよい。しかしサンプラスがそのサーフェスで苦労している事を考えると、マッケンローの批判があてはまる。 「クレーはビッグヒッターの力を削ぎ、プレーヤーにもう1回ボールを打つべくスイングさせる。そのスイングはコート内を捕らえないかも知れないのだ」とマッケンローは言った。「私の意見では、テニスの質はそれほど高いとは言えない。体力がより関わってくる。あくまでも頑張る事、それがより重要なんだ」 「(サンプラスがフレンチで優勝するかどうか)答えるのは不可能だ。だが彼ほどの能力を持つ男について、決して優勝しないと言うのも不可能だ」 ピート・フィッシャーは常に操り人形師だが、もし彼が今でも監督していたなら、何をするか承知している。彼はサンプラスに、パワーへの依存傾向を捨てさせようとするだろう。 サンプラスがいつもサーブ&ボレーをしようとする努力を、フィッシャーは必ずしも買っていない。 「彼は『自分のやり方を貫きたい』と言い続けている。多分それは正しい方法だろう――だが違うかも知れない」とフィッシャーは言った。 「クーリエを倒した後、彼は優勝するつもりだっただろう。彼は優勝できるが、思考様式には改めるべき点がある――大いに変えるべきだ。ピートは優勝できるが、彼の態度はもう少し若々しくあるべきだ。彼はステイバックして、50回続けてボールをコート内に打つ事ができる。それができない理由はない。子供の頃、彼はそうしていたのだ。レーバー――ピートよりも優れたサーブ&ボレーヤーだった――は、フレンチではステイバックして上手くやった」 「今回のフレンチでは、彼は考えうる最も厳しいドローを引いた。そして、考えうる最も厳しいドローを切り抜けてきた後、彼は私が彼に言ってほしくなかった事を言い始めた。優勝できるだろうと思っているというような。そういう事を口にすべきではない」 だからといって、2週の間、サンプラスが自惚れているように見えた事はなかった。5試合の大奮闘を考えれば、彼には確かにそうする権利があったが。長い目で見れば、それらの試合はサンプラスの最も素晴らしいテニスとして際立つだろう。準決勝はフィッシャー曰く「彼はそこにいないようだった」とはいえ。 「僕はここで何らかのものを得た」とサンプラスは語った。「過去6〜7年、クレーで長い道のりを辿ってきた。今は(勝利が)視界にある。僕はまだ長い間このゲームをしていくから、ある年に上手くやり遂げる希望を抱いているよ」 「だが今年は近くまで行った。子供の頃、フレンチで優勝する事は、現実的に望むものではなかった」 「今は望むものだ」 |
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フレンチ・オープンの記録:ピート・サンプラス 25歳という年齢において、フレンチ・オープンはピート・サンプラスが獲得していない唯一のグランドスラム・タイトルである。彼は今後のキャリアで、気に病むのを避けようとする一方、大会では激しさを増そうとするだろう。 |
フレンチ・オープンの記録 1996年までのキャリア勝敗:19勝7敗 |
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ラウンド
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対戦相手
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スコア |
1989年 |
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1回戦 |
ホルヘ・ロサノ(Jorge Lozano) |
6-3、6-2、6-4 |
2回戦 |
マイケル・チャン(Michael Chang) |
6-1、6-1、6-1 |
1990年 |
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欠場 |
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1991年 |
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1回戦 |
トーマス・ムスター(Thomas Muster) |
4-6、4-6、6-4、6-1、6-4 |
2回戦 |
ティエリー・シャンピオン(Thierry Champion) |
6-3、6-1、6-1 |
1992年 |
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1回戦 |
マルク・ロセ(Marc Rosset) |
7-6、4-6、6-4、3-6、6-3 |
2回戦 |
ローラン・プラド(Laurent Prades) |
7-6、6-4、7-6 |
3回戦 |
ロドルフ・ジルベール(Rodolphe Gillbert) |
6-3、6-2、6-3 |
4回戦 |
カール・ウベ・シュテーブ(Carl-Uwe Steeb) |
6-4、6-3、6-2 |
準々決勝 |
アンドレ・アガシ(Andre Agassi) |
7-6、6-2、6-1 |
1993年 |
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1回戦 |
アンドレイ・チェルカソフ(Andrei Cherkasov) |
6-1、6-2、3-6、6-1 |
2回戦 |
マルコス・オンドルスカ(Marcos Ondruska) |
7-5、6-0、6-3 |
3回戦 |
ヨナス・スベンソン(Jonas Svensson) |
6-4、6-4、6-2 |
4回戦 |
マル・ワシントン(Mal Washington) |
6-3、7-6、6-1 |
準々決勝 |
セルジ・ブルゲラ(Sergi Bruguera) |
6-3、4-6、6-1、6-4 |
1994年 |
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1回戦 |
アルベルト・コスタ(Alberto Costa) |
6-3、6-4、6-4 |
2回戦 |
マルセロ・リオス(Marcelo Rios) |
7-6、7-6、6-4 |
3回戦 |
ポール・ハーフース(Paul Haarhuis) |
6-1、6-4、6-1 |
4回戦 |
ミカエル・ティルストロム(Mikael Tillstrom) |
6-4、6-4、1-6、6-4 |
準々決勝 |
ジム・クーリエ(Jim Courier) |
6-4、5-7、6-4、6-4 |
1995年 |
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1回戦 |
ジルベール・シャラー(Gilbert Schaller) |
7-6、4-6、6-7、6-2、6-4 |
1996年 |
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1回戦 |
マグナス・グスタフソン(Magnus Gustafsson) |
6-1、7-5、7-6 |
2回戦 |
セルジ・ブルゲラ(Sergi Bruguera) |
6-3、6-4、6-7、2-6、6-3 |
3回戦 |
トッド・マーチン(Todd Martin) |
3-6、6-4、7-5、4-6、6-2 |
4回戦 |
スコット・ドレーパー(Scott Draper) |
6-4、7-5、6-2 |
準々決勝 |
ジム・クーリエ(Jim Courier) |
6-7、4-6、6-4、6-4、6-4 |
準決勝 |
エフゲニー・カフェルニコフ(Yevgeny Kafelnikov) |
7-6、6-0、6-2 |