第3部:オーストラリアン・オープン
第9章 ダウンアンダーの気候の下で


寒かった。そして雨模様だった。ずぶ濡れにはならないが、骨の髄まで冷えるスプレーを吹き付けられるような、不快なこぬか雨。

1月のフロリダ中央部は、そんな風に「真冬」となる。雪ではないが、良くはない。特に、それがこんな天気の幕開けなら。

1996年1月半ばの昼、ウェスリー・チャペルにあるサドルブルック・リゾート。高名なハリー・ホップマン・テニスアカデミーがあり、定期的にトレーニングや練習をする世界ツアーレベルのプロ選手を満足させる場所だ。

ピート・サンプラスは、その中で最も有名な人物である。彼はサドルブルックを気に入っている。それはノース・タンパの彼の自宅から、州間高速自動車道-75を20分ほど北にぶっ飛ばした所にある。もし新しいポルシェ・カレラをプッシュする衝動に駆られた場合は15分。彼はそうする事で知られているが。

そのポルシェが、本日の主な話題である。近くのコートでプレーするシェイプアップしたジェニファー・カプリアティの話題と共に。カプリアティはそのリゾートに住んでいる。そして彼女の知性を疑う人々へ言うならば、彼女はこの日、最も賢明な人間の1人である。彼女は動き回っていた。

サンプラスは、その反対に、練習セッションを早めに切り上げていた。天気は早朝から悪化し、クリスマス以来しつこい風邪に悩まされてきたサンプラスも、風と争う気分ではない。そこで彼は、ホップマンキャンプ理事のトミー・トンプソンと立ち話をしていた。昼食について、天気について、そして、自分のポルシェについて。トンプソンはレーダーと口うるさい警官のいない、人目に付かない郊外の道路を時速120マイルで走らせてきたところだった。彼とトンプソンは大いに笑い、右手を打ち合わせてハイファイブを交わす。それからサンプラスは数回咳き込み、天気について、さらに、ショートパンツとスエットシャツで立っていると凍死しそうだと、短く毒づく。

世界1位の選手にしては、ひどく無頓着な振る舞いに見える。休暇の間、彼は実際に熱を出して、数日ベッドに臥せっていたのだ。今、彼は戸外にいて、好きこのんで人間かき氷に変わりつつあった。

数日後、彼がオーストラリアに行く時、風邪が悪化して熱がぶり返し、1年最初のグランドスラム、オーストラリアン・オープンが近づいているというのに、ひどい状態だったのは驚くに当たらない。

ウィルス――それは彼にオープン前哨戦の棄権を余儀なくさせた――は、12月から引きずっていたのだろう。その月、サンプラスは働き過ぎだった。デビスカップ決勝戦のほんの1週間後には、鼻持ちならない高額賞金のグランドスラムカップが、ミュンヘンで開催された。サンプラスは準々決勝まで進み、それからタンパの自宅へ戻ったが、疲れ切っていた。

凍えるような風の中で昼食について会話している間、サンプラスは彼らしくなかった。8つ目のグランドスラム・タイトルを狙う事に、やる気満々とは見えなかった。彼は病み、そして疲れていた。

そして親友のティム・ガリクソンは、さらに病んで、いっそう疲れていた。彼の癌は悪化し続け、ガリクソンは次の段階の治療を受けていた。それは最後の段階だと言えた。

従って、1日かけてオーストラリアに飛んだのは、調子の下がったサンプラスだった。彼が3年連続でオープン決勝戦に進出するという見解は、彼の精神と――身体の状態を考えると、無理があった。

サンプラスは水曜日、メルボルンに到着した。オープンが始まる5日前だった。彼は空港から直接、オーストラリア国立テニスセンターのあるフリンダーズ・パークへ向かい、同じアメリカ人のアーロン・クリックステインと練習を行った。

サンプラスは飛行機から降り、彼が慣れている類の熱波に遭遇した――タンパの7月なら。彼が半時間しか練習しなかったのは、驚くに当たらない。フライトの間、乾燥した空気のために鼻血が出て、練習も何回か中断しなければならなかったのだ。

「消え入りそうだ」ヒッティングの終わりに向かい、サンプラスは言った。見られた図ではなかったし、選手権の光景でもなかった。しかしたとえ具合が悪かろうと、あるいは早く負けそうだろうと、サンプラスは競おうとしていた。

「死の床にでも就かない限り、僕はとにかくこの大会に出場するつもりだ」と練習後、サンプラスは語った。「まだ少し鼻づまりだけど、大した問題ではないよ。フライトで少し疲れているだけで、いい感じだよ」

だがドローについては、気分は良くなかった筈だ。1回戦でオーストラリアのリチャード・フロムバーグ、2回戦では前途有望なアメリカ人のマイク・ジョイス、それから、再びマーク・フィリポウシス。

すぐさま、フィリポウシスとの再戦の可能性は、準備不充分なサンプラスにとって地雷に等しいという見解が出た。フィリポウシスは新しいコーチ、ニック・ボロテリーの指導の下、自分の武器をコントロールする術を覚え始めていた。

「ピートは時に、1週目は脆い事もある」と、アガシのコーチであるブラッド・ギルバートは語った。「ピートは少し加減が悪く、あまりプレーしていない。(初期は)アンドレよりいささかタフな試合を経験するのではないか。だが大会の第1週を切り抜ければ、彼は別のプレーヤーになる」

オーストラリアの国立スポーツ賭元は、5-4でサンプラスを大会の優勝候補とした。アガシは3-1で続いた。

フィリポウシスは100-1だった。