第1部:USオープン
第4章 死闘とアガシ(The Agony And The Agassi)(3)


オープンの男子ドローが発表されると、宣伝は活気づいた。アガシ - サンプラスの決勝戦以外は、そう、不充分だろう。両者とも1回戦を容易に勝った後、先の事を考えないように努めた。

アガシは常にサンプラスより開けっぴろげでいられるが、その彼でさえ、誇大宣伝が影響を与え始めていると洩らした。

「大会に出場して、皆に対戦を期待されるのは、正直言って本当に厳しいよ」アガシは言った。「その事を考えないよう、自分に強いなければならない。ピートを気にかけていないと、皆に納得させようとしている。自分にも同じ事を納得させようとするんだ。だって、自分を倒せる奴は他にもいるんだからね」

サンプラスは語った。「皆が(我々が決勝で対戦するだろうと)決め込み、期待している。だがそれは、今は全く考えていない。相手が誰であれ、決勝に進出してプレーするのは素晴らしいよ。でも先は長いからね。かつての(女子プロツアーにおける)マルチナ(ナブラチロワ)とクリス(エバート)とは訳が違う。(当時は)誰もが、彼女たちが毎週決勝に進出すると知っていた。男子のゲームでは、そういう事はないよ」

ただの話か? 恐らく違うだろう。多分サンプラスは本当に、1試合ずつしか考えていなかったかも知れない。次に対戦するのは他でもない、イサガだったからだ。イサガは分かっていたに違いない。今回は前年と極めて異なる闘いになるだろうと。

サンプラスとイサガのUSオープンにおける対戦は、1994年のずっと前に遡る。サンプラスは17歳の時、初出場のオープン1回戦でイサガと当たった。ワイルドカードのおかげで本戦ドローに入ったサンプラスは、最初の2セットを取ったが、次の3セットを失った。そのまさに翌年、彼らは3回戦で当たった。サンプラスは(前のラウンドで)前年優勝者マッツ・ビランデルに5セットで勝利し、恐らく彼のプロキャリアで初めて、シングルスでの真に大きな躍進を遂げていた(同年の早い時期、彼とジム・クーリエはイタリアン・オープンのダブルスで優勝していた)。今回サンプラスは、イサガの堅実さにうまく対処した。第1セットを落とした後、4セットで勝利したのだ。

そのように、イサガは常にニューヨークでサンプラスにタフな闘いを仕掛けた。しかし常に酌量すべき情状があった。若者らしい経験不足、 ビランデル戦後の避けがたい減速、あるいは疲労困憊による94年の敗戦。それは95年にサンプラスが打ち消し、言ってみれば無効にしようと決意していたものだった。

そして、彼はそれをやってのけた。最初のサービスゲームを時速130マイルのミサイルで始める事によって。あるゲームでは、123、127、128マイルの3エースを放ち、全体では16のエースをものにした。とりたてて多い数字ではないが、単にサンプラスがあまり長くコートにいなかったからだ。無効化は、完璧そのものだった。92分で6-1、6-4、6-3の勝利を収めたが、前年の気骨を示した苦闘より2セット、2時間短かった。

「ドローを見て、ハイメと対戦する可能性を知った時から、僕はそれを楽しみにしていた」サンプラスは言った。「闘うつもりだった。昨年の結果には、納得していなかったからね。あの時、僕はとてもガッカリしたんだ。試合に向いた体調じゃなかった。準備ができていなかった。あのような敗戦は、決して忘れないよ。特にメジャー大会においてはね。僕は最初のポイントから、攻める準備ができていた。素晴らしいスタートを切り、いわば試合の流れを定めたんだ。今回はアドレナリンが湧き出していた。やる気満々だった。ただ攻撃性を持続し、つまらないエラーをしないのがカギだった」

攻撃性はオーストラリアのマーク・フィリポウシスの得意分野である。そして3回戦では、サンプラスに全く異なる挑戦を披露した。当時18歳のフィリポウシスは6フィート4インチ、220ポンドで、ラインバッカー(アメフトで防御ラインの直後を守る選手)的体格をしている。彼はまた、サンプラスと似たような外見をしている。太い眉で、ギリシャ系である彼らの特徴を備えている。そして彼もまた、サンプラスのサーブを有している。少しばかり荒削りで、よりハードではあるが。

サンプラス - フィリポウシスのライバル関係が、ある時点で発展するとの想像も可能だ。恐らくサンプラスが歳を取って衰え始め、同時にフィリポウシスが成熟し始めた後に。さしあたり、オーストラリアの大人子供は、脅威以上の存在ではない。だが確かに、それ以下でもない。4カ月後にオーストラリアン・オープンで、サンプラスが気付くように。

「彼に対しては、リズムを掴めない」4セットで勝利した後、サンプラスは語った。「彼は強烈なセカンドサーブで攻めてくる。試合の間じゅう、僕は彼の両サーブをリターンするのに手こずったよ。若い選手が現れた時、武器を持っているかどうかを見るものだ。そして彼は確かに武器を持っている。サーブだ。全体的に凄まじいゲームも持っている。彼はあまり高いパーセンテージのプレーはしない。だが、その事が、彼をとても危険な選手にしているんだ」

旧敵であり旧友でもあるトッド・マーチンは、4回戦で長く持ちこたえる事はなかった。サンプラスはエースを決め、3セットで勝利を締めくくった。準々決勝の対戦相手は、予想外の勝ち上がりを見せたバイロン・ブラックだったが、22本のエースを決め、同じくストレートで勝利した。その結果、サンプラスは準決勝に進出し、クーリエとの対戦を迎えた。彼はマイケル・チャンを破っており、トップランクだった頃の自分を取り戻しているように見えた。

サンプラスとクーリエは、もはや自動的に反対のドロー上にいる訳ではない。2年前、クーリエの勇猛で粘り強いバックコートからのゲームが乱れ始め、彼の順位も相応に落ちていって以降は。しかしサンプラスは、2人が対戦する時には、順位はほとんど意味がない事を知っている。「ジムと対戦する時は、15位の誰かとやっているとは感じない。トップ5の選手と対戦しているように感じているよ」とサンプラスは言う。

彼らが対戦する時はいつも、上手くかみ合っているように見える。両者とも相手がより上手くやる事をコピーしているかのようだ。クーリエはよりハードなサーブを打ち始める。サンプラスは普段よりステイバックする。いずれにせよ、ボールが連続して割れんばかりに叩かれないラリーなど滅多にない。時折サンプラスがチップ・アンド・チャージからドロップボレーを決め、タッチを披露する数少ない場面以外は。

1995年USオープン準決勝は、フラッシングメドウにおける彼らの3回目の対戦だった。キャリア勝敗は13勝3敗でサンプラスがクーリエを上回っているが、3敗のうちの1つは、91年準々決勝のひどい、無情な敗戦だった。その勝敗記録は、彼らの対戦はほぼ互角の試合が多かった事を考えると、数字上は信じがたいほど一方的である。サンプラスはランキングのトップに昇り詰める中で、ビッグポイント、あるいは試合を終えるポイントをものにするという、真のチャンピオンが持ちうる習癖を身につけ始めていたのだ。

「ジムと対戦する時は、いつも2〜3ポイントがカギだ。そして僕はたまたま、その重要なポイントを勝ち取ったんだ」サンプラスは言った。「テニスのレベルはとても高かった。僕のゲームはジムにかなり良い感じにかみ合うんだ。僕はボールを彼のフォアハンドから遠ざけるようにしている。それがジムと対戦する時の基本だ。そうやって、願わくば彼のバックハンド・サイドでエラーを誘うのさ。だが肝心なポイントでは、僕は攻撃的であるようにしている。ウィナーを生み出そうとしている。防御的なポジションだと、時にきりきり舞いさせられるからね」

今回、サンプラスは4セットを必要とした。7-5、4-6、6-4、7-5のタフな4セットだった。しかし『スーパー・サタデー』の最初にプレーしたので、彼はアガシより有利だった。アガシは夜に、もう1つの準決勝でボリス・ベッカーを倒したのだ。

「ビッグポイントが僕に都合よく行かなかった」クーリエは試合、及びサンプラスとのライバル関係を要約して語った。「それを自分の側に引き寄せるのは、僕の責任だけどね。ピートは大事な場面にビッグショットで攻める時、大いに自信を持っている。それが上手くいくと、天才のように見えるよ。上手くいかない時は、大して素晴らしくは見えないけど」

「彼の場合、たいてい上手くいくんだよね」

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オープンでは土曜日に行われる男子準決勝の2番目は、決して望ましいものではない。勝者は例外なく、晩にコートを離れ、翌日の午後遅くに決勝戦を戦う事になる。だが、それが『スーパー・サタデー』なのだ。オープンが毎年テレビのために行ってきたバカ騒ぎである。それが今年から修正された。これまで女子決勝は、男子準決勝2試合の間に実施されていたが、大会最後の日曜日に移動し、男子決勝と同じ日に行われる事になった。

ベッカーを片付けた後、アガシは疲れ、腹を立てていた。先にあるものを考えると、理想的な気分ではなかった。試合後の握手は1秒か、多分それ以下だった。ベッカーはウインブルドンの後、アガシの契約会社であるナイキを、新聞などで厳しく批判していた。ベッカーは、アガシをも標的にした。

「僕を好いていない選手たちのコメントが、2ページにもわたって記事にされていた。僕はロッカールームに寄り付かないだの、他の人と一緒に練習しないだのってね」アガシは言った。「理解できなかったよ。僕は眠りに就く時、自分が尊敬され、好かれているように感じているよ」

アガシは実際に尊敬されており、ロックツアー的なテニスへの取り組み方にもかかわらず、紛れもなくたいていの選手たちに人気があり、好かれている。しかしベッカーは、ツアーの長老として文句をつけ、不平を言う権利があると、アガシのコメントを無視した。少なくとも、いささか宥めるような調子ではあったが。決勝戦について、ベッカーは「誰もが見たがる試合だよね?」と皮肉を言った。

アガシはさらなる対決など必要としていなかった。だが若干の休息は必要としていた。本当に長い夏であった。ウインブルドン準決勝でベッカーに敗れてから、アガシは26連勝していた。

「アンドレは(決勝戦に向けて)再調整と準備にかける猶予は短い。だが、彼は前にもそうやって勝ってきた」とベッカーは言った。「USオープンの決勝戦なんだ。彼はもう1日、素晴らしいテニスをできると思うよ。とてもエキサイティングな試合になる筈だ。僕にとってさえね」

*     *     *
<続く>