全ては、一人の子供が地下室で古いテニスラケットを見つけ、ガレージの扉で壁打ちをしだした事から始まった。そのショットがドアに食い込むのを見て、この子は何か特別の存在だという事が分かった。

ピート・サンプラスは7歳でテニスを始めた。静かな物腰、少年ぽいはにかみ、スターの外見を持つこの男は、何度も繰り返し、己を証明し続けた。それは多くの選手も、批評家もファンも否定できない。彼は勝利する……いつも。

1990年9月USオープン、19歳になったばかりで第12シードだったサンプラスは決勝まで駆け上がり、「USオープン史上最年少優勝者」となった。このグランドスラム初優勝以後、振り返る事は決してなかった。以後、この「静かなる巨人」はさらに13のグランドスラム・タイトルを獲得してきた:オーストラリアン・オープン2回、ウインブルドン7回、USオープン計5回。

サンプラスの最も愛するタイトルは、「All England Lawn Tennis and Croquet Club」で催される芝生の大会である。1993年、ウインブルドンで初優勝。以後2000年まで、準々決勝でクライチェクに敗れた1996年を除き、毎年決勝に進出し、優勝してきた。彼はオープン化以来の最多勝利者であり、1800年代後半に樹立された記録---7回優勝---に並ぶ。

歴史的なウインブルドンの地、親密なセンターコートはサンプラスの「家」---彼はかつて「カテドラル」と称したが---となった。完璧なグラスコート・テニスは彼を時代の最高の選手とし、「最高の選手」と歴史に刻まれるであろう。

ピート・サンプラスは最後のクラシックなサーブ&ボレーヤーの1人で、ツアー随一の効果的でパワフルなサービスの持ち主である。そして「紳士的で控えめ」としか称しようのない態度で己を律している。コート上では彼は「ラケットに語らせる」。観客のためでなく、勝つためにコートに出る。勝利した時、彼は少し胸を張り、瞳を輝かせ、顔には恥ずかしそうな喜びの笑みが広がる。

それは歴史が作られる美しい瞬間である。そしてあらゆる勝利、あらゆる優勝のたびに、「唯一無二のピート・サンプラス」の物語を語るため、歴史書は書き換えられる。

国籍 アメリカ合衆国(ギリシャ系アメリカ人)
両親 父:ソテリオス(サム) 母:ゲオルジア(ジョージア)
兄弟 兄:ガス 姉:ステラ 妹:マリオン
ブリジット・ウィルソン・サンプラス(2000年9月30日結婚)
子供 クリスチャン・チャールズ(長男・2002年11月21日誕生)
誕生日 1971年8月12日(木曜日)
出生地 ワシントンD.C.
現住所 カリフォルニア州ロサンジェルス
身長 185センチ
体重 79キロ
利き腕 右利き
プロ転向 1988年
シングルス最高位 1位(1993年4月12日到達)
ダブルス最高位 27位(1990年2月12日到達)
タイトル数 64