2003年8月25日
2003USオープン/フラッシング・メドウ ニューヨーク

ピート・サンプラス引退記者会見


ランディ・ウォーカー:みなさん、ようこそ。ピートの声明から始め、それから質疑応答に入ります。ピート。

ピート・サンプラス:まず初めに、この場に来てくださり、ありがとうございます。とても、とても感謝しています。私たちがここにいる理由はご存じでしょうが、私は引退を発表します。

この1年は、そのためのプロセスでした。いまそのプロセスは終わり、100パーセント引退です。この会場、ニューヨークに戻ってくると、多くの思い出がよみがえります。今晩を楽しみにしています。

ウインブルドンが近づき、そして去っていった時、いまが辞める時だと知りました。いまがその時です。その事に満足しているし、安らいでいます。キャリアを終える時です。私にとっては、ここニューヨークほどそれにふさわしい場所はないでしょう。19歳の時ここですべてが始まり、そして昨年すべてが終わりました。

(司会者の真似をして)質問のある方は(笑)、何でも聞いてください。


もしエマーソンの記録に1つ足りないか、あるいは並んでいたら、今日辞めていましたか?

ピート:それには答えにくいね。グランドスラム記録は、僕にとってとても重要なものだった。それに焦点を合わせ、真剣に努力してきた。記録を破った時、辞める時かなと感じたけれど、僕はもう1回優勝したかった。

厳しい1年半だった。昨年の優勝は素晴らしかった。だが12という数字が、僕が心にかけていた数だったから、ウインブルドンでそれを破ったのはステキだったよ。

ボリスが最初に引退した時、グランドスラム大会でプレーする事からのみ退きました。あるインタビューを読んだのですが、グランドスラム大会で最高のレベルで競い、同時に生活を送るために要求される自分本位さを持っていなかったと、彼は語っていました。

あまりに多くを吸い取られ、妻や子供に与えるべき充分なものが残らないと。それについてコメントできますか。

ピート
:僕は結婚しているから、あるいは息子がいるから引退するのではない。自分に証明すべき事がもう何もないから引退するんだ。僕はいつも自分の前にチャレンジするものを据えてきた。1位でいる事とか、あるいはメジャーで優勝する事とか。

僕の最大のチャレンジは、1年半の間優勝がなかった昨年であり、もう1回メジャーで優勝する事だった。それを成し遂げたら、本当に高い山に登ったような気がした。

もし何か成し遂げたい事があるなら、僕はそれをするだろう。つまり、妻や家族のサポートを受ける事、旅をする事、集中する事、必要なあらゆる事をする。僕は自分のしてきた事に100パーセント満足しているよ。

ここまでの数カ月間の事を話してくれますか? 我々は皆、あなたは何をするんだろうと思っていました。プロセスについて、少し聞かせてください。

ピート:先ほど言ったけれど、ウインブルドンの前、トレーニングや練習を始めた時に、これは本物だ、僕はある時点で辞めるんだと感じた。多分それは今年の後半だろうと思っていた。でもいま、僕は準備ができたように感じている。先へ進み、引退する準備が。

2〜3週間前、ここに来てセレモニーに参列する事をアメリカテニス協会が申し入れてきた。戻ってきて光栄に思っているが、心の中でいまがその時だと分かっている。

ここに入ってきた時、どんな感じでしたか? いまあなたは感傷的になっているでしょうが、ここに到着して、センターコートとか何かを見ましたか?

ピート:いいや。僕がしたのは……情緒的なドライブだけだったよ。ここに来る僕の最後のドライブ。ほんのさっきオフィスに入った。コートも見てないし、誰とも会ってない。数分前ここに着いたんだ。

今晩は感情的になるだろう。コートに戻り、ファンに会うと。終わりを受け入れるという事だ。これは僕が愛し、7歳の時から続けてきたものだ。さよならを言うのは簡単ではないけれど、僕は心の底からいまがその時だと承知している(涙ぐむ)。

人生の次の10年は、何をしたいですか?

ピート:これから先2年くらいかけて見つけ出すつもりだ。

どんなオプションがありますか?

ピート:自分が本当に望む事ならなんでも。息子が成長するのを見守り、良い夫でいられる。実際、これからハッキリさせるよ。いまは自分の時間を楽しんでいる。ゴルフをたくさんしたり、何年もの間できなかった多くの事をしている。そういう事だ。けれど、何かしたくなる日が来るだろう。いまは分からない。

辞める事を受け入れると話しましたが、それはあなたにとって、まる1年を要したのですか?

ピート:ええ。

どの程度むずかしかったですか?

ピート:とてもむずかしかった。僕が過ごしてきたプロセスは、昨年ここで始まった。ここでの優勝の2カ月後でも、次に何があるか、よく分からなかった。ずっと大会を棄権してきたが、もう一度ウインブルドンでプレーするかもしれないと常に考えていた。

そしてウインブルドンのために練習やトレーニングを始めたが、もうそこに僕の心はなかった。その時が来た、もしくは別れを告げる時が近づいたと知った。いまは100パーセント終わったと分かる。僕は戻ってくる事はない。その事に心が安らいでいる。素晴らしいよ。


他に、まだ終わってないと考えさせる最大の事は何でしたか?

ピート:再びいいプレーをして、昨年ここで優勝した事。今年も続けていくという勢いかな。でもそれには多くの努力、多くの集中が必要だと知っている。

僕はとても長い間、真剣に取り組んできた。そして、それをずっとするか、あるいは全くしないか、どちらかだ。僕はさよならを言うためにはプレーしない。勝つためにプレーするんだ。

でもある時、自分の気持ちがそのために必要な状態にないと感じた。それは血潮の中に必要なんだ。昨年のUSオープン後、それがゆっくりと消え失せていくように感じた。そしていま、僕の心は安らいでいる。100パーセント終わったんだ。

4人の男性が、あなたのテニスにとって非常に重要な存在でしたね。父親はあなたをコートに連れ出した。ピート(フィッシャー)は初期のストロークを与えた。ガリーとポールはあなたを導いた。4人の中で、誰が最も重要なキーパーソンだったと思いますか?

第2に、ウインブルドンの2週間、あそこにいないというのはどんな感じでしたか? 大会を見ましたか? それは辛かったですか?

ピート:少しだけ見たが、別に辛くはなかったよ。ウインブルドンを見た最初の日は、恋しく感じた。コートが恋しかったし、スタジアムを恋しく思った。でも、それはもう別の大会だった。辛い仕事。多くのプレッシャー。いろんな意味で、僕は家にいられて嬉しかったよ。

最初の質問への答えだが、もちろん父親だ。僕にテニスをする機会を与えてくれた。それをいつも感謝している。そして亡きティム、彼は僕を世界6位からナンバー1まで引き上げてくれた。ポールは過去7年間、僕のキャリアにとって本当に大きな存在だった。つまり、彼はそれに値する称賛を受けてこなかったけれど、僕が1位でい続けるためにしてきた事すべてを助けてきてくれた。いい結果を得られた。

ピート・フィッシャーがいなかったら、あなたはここまでになれたでしょうか?

ピート:そう言えるだろうが、僕は……

史上最高のプレーヤーだろうと、多くの人々から言われる立場について論じる事を、あなたはいつも避けています。いまキャリアを総体的見地から捉えると、どんな風に考えていますか?

ピート:僕はここに座って、自分は史上最高だと言う気はない。そういう事はしない。それは……それは誰の務めでもない。僕がテニスでしてきた事は僕の事だ。僕はたくさんのメジャーで勝った。それが、すべてに対する何らかの答えだと思う。

90年代を60年代、40年代と比較するのはむずかしい。すべての時代を通して最高のプレーヤーという存在があるのかどうか、僕には分からない。 僕のゲームは誰に対してもマッチするだろうとは感じる。自分の心の中では完璧だと思えるテニスを時にした。何年もの間ナンバー1でいた。それはとても大変な事だ。大試合になると、うまくやってきたと思う。

でも自分が史上最高とは言わない。時に、プレーしている時、完璧に近いテニスをしていると感じた事はあるよ。けれども比較するのはむずかしい。

キャリアの中で特別な時を1つ挙げられますか?

ピート:いますぐ1つを挙げるのはむずかしい。昨年は素晴らしかった。ここで起こった事、1年半の苦しい時を乗り越えて、史上最高記録を破った事。ウィンブルドンのタイトル、優勝したすべてのグランドスラム。モスクワでのデビスカップ。たくさんある。

昨年、家に戻り、キャリアについて考えていた時、どんなイメージが心に浮かんできましたか? 大会の事? 対戦してきた人々? それらすべて?

ピート:すべての思い出だね。いくつか選ぶとすると……ウインブルドンでの数々の決勝戦。みんなが僕を見限っていた時に、昨年ここで起こった事。もちろん素晴らしかったよ。何年もの間トップに留まり、堅実だった事。それについては、かなり幸せだったと言えると思う。

優勝したメジャーの数々。つまり、それらは僕にとって大きな意味がある。誇りに感じる素晴らしいキャリアを持ち、いま僕は満足している。長年にわたり、多くの素晴らしいプレーヤーと対戦した。ボリス・ベッカー、アンドレ・アガシ……。それらの試合を、自分がその一方を務めた素晴らしいテニスだったと回想する。たくさんあるよ。

昨年の決勝戦に居合わせた多くの人々は、あれはあなたのキャリアにとって完璧な区切りと考えました。昨年の決勝の後ここに座った時点で、終わったという気持ちはどのくらいありましたか?

ピート:あの時点では本当に分からなかった。2週間の間に、ほんの少し考えた。でも優勝して辞める事になるとは、実を言うと一度も考えなかった。しかしひとたび優勝してみたら、引退へのプロセスになった。

それはある日目覚めて、「僕は辞めた」と言うようなものではない。すべての思いを経る必要がある。そして僕はそれをした。100パーセント終わったと確信するために、通り抜けなければならないすべてを経験した。そして、いま僕はここにいる。あの決勝戦で辞めると言うには、僕はまだその状態になかった。いまは確信している。

心の底から、いまがその時だと知っていると言いましたが、それはあなたが長い年月、ある種の小さな声に従ってきて、それがまた、史上最高である理由の一部にもなったという意味ですか? 

グランドスラム優勝でキャリアを終える、テニスの歴史上、そんな事をした人は誰もいませんでした。

ピート:質問の趣旨がよく分からないんだけど(微笑)。

あなたは「心の底からいまがその時だと知っている」と言いましたね。

ピート:ええ。

それは長年の間、まだ小さい声だったでしょうが、その声に従ってきて、ある会話をし、それがまた、なぜあなたが史上最高かという答えの一部でもあるという意味ですか?

ピート:いや。自分に言い聞かせていた唯一の事は、もう1回メジャーで優勝したいというものだったよ。僕は常に、キャリアを通してゴールを、とても高い目標を立ててきた。しかしそれには何を要するか知っている。そしていま僕にはないと知っている。

それは僕が長年にわたり抱いていた信条であり、集中、意欲だった。いまはもうない。だから終わりにする時だ。


長いキャリアの中で、1つの試合を正確に指摘するのは明らかに不可能です。しかしニューヨークの多くの人々、そして世界じゅうのテニスファンにとって、96年のコレチャ戦の夜はかなり特別なものでした。その夜のテープを見た事がありますか? キャリアの中で、どんな意味があったでしょうか?

ピート:何かあるとしても…… 僕はしばらくその試合を見ていないなぁ(微笑)。おそらく認識されたのは、僕は勇気を持っている、そして勝ちたいと望んでいた、そして頑張り通した(digging deep)という事だろう……語呂合わせじゃないよ。

僕は勝利した。時には、僕は少し情熱に欠け、打ち込んでいないように見える。でも気分が良くなくて、身体が疲れてきても、僕は切り抜ける事ができた。大いなる時だったよ。

引退に到達する長いプロセスと言いました。ついに「ああ、これだ」と言った、決まりをつける瞬間あるいは考えがありましたか?

ピート:
先ほど言ったように、いつも心の奥にウインブルドンがあった。その大会が巡ってきたら、やる気になるかもしれない、トレーニングや練習をする気になるかもしれないと感じていた。そして練習に取りかかったら、3日後には、僕は終わったと分かった。

僕は練習したくなかった。トレーニングをしたくなかった。しなければならないすべてを、やりたくなかった。僕はすべてをやり尽くしたように感じた。それが、僕の胸を打った時だったと思う。

正確にはいつですか?

ピート:ウインブルドンの2カ月前だった。僕はいわば努力して「ここらで少し仕事をしよう」という感じだった。さっき言ったように、3日後には、もう燃え立つものがないと感じた。もう僕の血潮の中になかった。それは終わりが近いという事だった。2〜3カ月後には、「いまがその時だ、引退を発表して先に進む時だ」と感じた。

何が最も恋しくなるでしょうか?

ピート:プレーする事を恋しく感じるだろう。競い合う事を懐かしむだろう。ウインブルドン、あるいはここ、20,000人の前で、決勝戦に出る事、はやる思い、興奮を恋しく感じるだろう。プレーする喜びを恋しく思うだろう。

サンプラス・テニス・アカデミーは反古になったと聞きました。アカデミーの将来計画はありますか?

ピート:僕はいろいろなアイディアに対してオープンでいる。いまのところは大して何もしていない。

過去のチャンピオンたちは、激しいライバル同士でしたが、引退すると良い友人になりました。あなたは将来、たとえばアンドレ・アガシ、そして彼の家族とディナーを共にすると想像できますか?

ピート:面白いね、できるだろう。お互いに競っている時はできないが、とどのつまり、僕はアンドレをとても尊敬してきた。アンドレを嫌った事はない。彼はとてもいい男で、そして僕のライバル。5年、10年先、僕たちが一緒にクリスマスを祝っているのを想像できる。クリスマスかどうかは分からないけど、そうしない理由は何もないよ(笑)。

あなたは真剣にフレンチ・オープンで勝とうとしてきました。ボルグはここでの優勝がありませんでした。他の偉大な選手たちも、すべてを勝ち取りはしませんでした。あなたはそれを穴だと感じますか? それとも自分がした事に満足していますか?

ピート:パリで優勝しなかったのは失望だ。でもあまり考えないね。明らかに、今日はそれについて考えていない。それはただ失望だ。あそこで優勝したかったよ。ある年チャンスがあったように思うが、しかしそれは起こらなかった。でも人生は続く。一度も本当にうまく噛み合ったようには思えなかった場所の1つだ。かなりの失望だ。でも悩んだりはしない。

あなたがテニスに望んだすべてを象徴していると、ビンに詰めて保存しておきたい試合があるとしたら、どれを挙げられますか?

ピート:アンドレと対戦したウインブルドン決勝戦だね。*2000年(訳注:1999年)だったと思う。僕は完璧なテニスをした。第1セット3-3から試合の最後まで覚えているが、自分に可能な最高のプレーができた。あの試合をビンに詰めてとっておくだろう。あれは僕の最高のプレーだった。

キャリアの中で最も幸せな時、そして最も悲しい時は何でしたか?

ピート:最も悲しかったのは、昨年ウインブルドンでのバストル戦だろう。最大のどん底の1つだった……おそらく最大の。あの後は本当に打ちのめされた。その2カ月後にここで優勝したのが最高の時だと思う。まさに明暗だ。

ウインブルドンに行き、センターコートにいる事を想像しますか? どんな気持ちがするでしょう?

ピート:分からない。遠い道のりだ。いつかウインブルドンに戻るだろう。来年か、5年先か、分からない。あのコートとここのコートは、僕には本当に多くを意味してきた。今年そこにいないのは辛かった。でもいつか再び訪れるつもりだ。

あなたが去り、いまアメリカのテニスは良い状態にあると思いますか? マイケルは引退しようとしている。ジムは引退している。アンドレもそれほど長くはいないでしょう。

ピート:良い状態だと思うよ。ロディックは新しいレベルへ上がろうとしているようだ。ジェームズ・ブレイク、マーディ・フィッシュ、みんな注目を集め始めている。アンドレや僕、ジムやマイケルがした事を繰り返すのは、むずかしい事だ。つまり、たくさんのメジャータイトルというのは。でもかなり良い状態だと思うよ。

19歳でUSオープン・チャンピオンとしてここに座っていた時から、あなたはどう変わりましたか?

ピート:大して変わってないよ。それは僕が誇りに思っている事の1つだ。僕は年月が経っても、あまり変わらなかった。自分に忠実だった。自分を売り渡したりはしなかった……マスコミとか誰にも。僕は自分に忠実だった。

少しばかり成熟し、当時よりもう少し賢くなった。しかし人間としは、いまでもほぼ同じだ。

数年のうちに、シニアツアーであなたに会う事は可能でしょうか?

ピート:いいや、シニアテニスをする気はない。

もしキャリアの1つの様相を変えられるとしたら --- ストロークでも、あるいはトレーニング、あなたのゲームに関するどんな面でもいいのですが --- 何を変えるでしょうか?

ピート:何も変えないだろう。僕は一生懸命トレーニングした。真剣に努力した。すべてを傾注した。可能な限りの準備をした。時には勝ち、時には負けた。僕は1つも変えないだろう。

やはりすべての1位を狙いますか? 落ちていっても奮起しますか?

ピート:ええ。

あなたがプレーしていた時代、ゲームは大きく変わってきました。テクノロジーの面から見て、悪い方向へ変わっていると感じますか? ラケットは大きくなり、サーブ&ボレーはもうあまり見られなくなっていますが。気がかりですか?

ピート:サーブ&ボレーゲームは、今日おおかたなくなっている。それは心配している。まだフェデラーや2〜3人いるが、少し気がかりだ。ベストのテニスとは、サーブ&ボレーヤーとベースライン・プレーヤーの対戦だと思う。今日それをあまり見かけない。

ラケットは大きくなりすぎていますか?

ピート:非常にパワフルなラケットはいくつかある。でも、それは僕がもう考えなくてもいい事だよ(微笑)。

息子さんが生まれてから、我々はあなたに会っていなかったので、父親である事が何をもたらしたか話してくれますか?

ピート:僕はこの小さな男の子を熱愛している、本当に。彼ははいはいをし始めている。僕はもう少し励まなくっちゃね。彼と家にいて世話をする事、妻を大切にする事を愛しているよ。

それは僕の人生を変えた。僕をより完成された人間にしてくれた。彼が成長していくのを見守り、良いお手本になるのを楽しみにしている。本当に幸せな時だ。

オムツを替える腕前はどんなものですか?

ピート:なかなかのものになったよ。

あなたは常に、あなたのゲームにものを語らせてきました。あなたのファン、長年あなたを追ってきた人々に、どんな最終メッセージを残していきたいですか?

ピート:僕は年月をかけて、いくつかの事を語ってきた。そう多くはないが。1つのセンテンスで要約するのはむずかしい。

僕は勝利を愛していた。プレーを愛していた。それをかなり上手くやれているように感じていた。他のメッセージはない。僕は長い年月、成功を通してあまり変わらなかった。対戦相手、審判に敬意を払っていた。僕はかなり前向きだと感じていた。

今晩コート上で伝えたいメッセージはありますか?

ピート:ええ。つまり、僕はありがとうと言うつもりだ。ファンへ、僕がここに到達する手助けをしてくれた人々、家族や友人への感謝を述べるつもりだ。僕はいつもニューヨークでプレーするのを楽しんできた。彼らにありがとうと言いたい。

あなたの決断に対して、同世代の人たちの反応はどんなでしたか?

ピート:僕は誰とも大して話をしてないんだ。

今年になってアンドレと話をしましたか?

ピート:1カ月ほど前に少しだけね。

彼は何と言いましたか?

ピート:僕はまだ引退してなかった。僕たちはエキシビション --- 多分ベガスで行われる --- について話をした。僕は終わりがかなり近づいていると話し、それについて私的な会話をした。

あなたは引退してから、より真価を認められると思いますか? 時に運動選手は現役の間、正当に評価されない事があります。騒ぎ立てたりしない人は特に。ある人々はあなたを退屈と呼びました。

ピート:(微笑)

いま、すべてが終わり、人々があなたをもっと正当に評価するようになると思いますか?

ピート:おそらく。おそらく時と歴史の中で、僕はより評価されるようになるだろう。
でも過去何年間かにわたり、認められていると感じてきたよ。以前は、20代半ばの頃はそれほどでなかった。しかし僕が負け始めるにつれて、より多くのファンを得始めたようだね。

19歳の子供の頃に戻ったとして、もし誰かが、後にあなたは引退声明でここに座り、達成してきた事を振り返っているだろうと話したとしたら、頭がおかしいんじゃないかと思ったでしょうか?

ピート:そうだね。19歳の時、僕はオープンで優勝した。でも自分が何を欲しているのか確かではなかった。自分が幸運だったとは言わない。僕は2週間、素晴らしいテニスをしたという事だ。92年にここでエドバーグに負けた時、僕は自分の望むものを知った。

あの敗戦は僕のキャリアを変えさせた。負ける事を憎むようにさせた。あの時点では、決勝戦に達するだけで充分だった。僕はあの試合で降参したんだ。あの時からずっと、ベストである事に取りつかれるようになった。

90年から92年へは、夜と昼のようだった。自分がより良い競技者になったように感じた。僕はもっと真剣に努力した。もっと多くを望むようになった。あの敗戦は僕のキャリアを変えたんだ。


タイガー・ウッズはいつも、ニクラウスの記録を破る事について話をします。もっと若かった頃、そういう思いはあなたの心に入り込みましたか?

ピート:全く。若い時は、自分が何を本当に欲しているのか、確かではないんだ。1位になりたい、メジャーで勝ちたいと口にする。でも自分がそういう情況に置かれるまでは、確かではないんだ。僕はその情況を楽しんだ。ベストである事を楽しんだ。僕はプレッシャーに対処する事ができた。そうするだけのゲームを自分が持っていたように思う。

でもここに座って、メジャーで14回優勝すると8歳の時に計画していたなんて言うのはクレージーだよ。7、8、9、10回と優勝し、だんだん近づいていって、可能性があるように感じたんだ。僕はまだかなり若かったからね。でも子供の頃は、そんな目標を持っていなかった。

あなたは勝利する事、ベストである事に、限りない興奮を感じていましたね。ナンバー1プレーヤーのライフスタイルはどうでしょう。世界じゅうを飛び回り、普通の人にはできないような経験をし、お手本だったかもしれないアスリートに会う。

別の大陸の事でも、あるいはタイガー・ウッズと親しくする事でも、どんなスリル、もしくは刺激的な事がありますか? テニスはあなたに何を与えてくれましたか?

ピート:まあ、素晴らしいゴルフコースでプレーする事かな。(笑)レストランにギリギリでも入る事ができる。世界を回ってプレーしていた頃は、僕はそれほど多くの事をしなかった。ホテルにいて、コートに行き、またホテルに戻る。ただそんなライフスタイルだった。

僕はパール・ジャムの大ファンなんだけど、数回ステージに上った。すごくワクワクしたよ。多くの偉大な人々と知り合いになった。今年のタホのイベント(レイク・タホの有名人ゴルフ大会)で、初めて(チャールズ)バークリーに会った。彼とギャンブルをしたんだ。楽しかったよ。

最高のアスリートたちと知り合った……タイガー・ウッズ、マイケル・ジョーダン、ウェイン・グレツキー。彼らは伝説だ。彼らのような人々と知り合いになるのは楽しみだったよ。

ここまで2〜3年、あなたの道のりで奥さんが果たした役割について、話してもらえますか?

ピート:彼女は結婚生活全体を通して、僕のよりどころとなってきた。時に、僕は苦しんでいた。多くを成し遂げ、多くを犠牲にしてきて、テニスに打ち込めない時があった。

それを彼女の責任にされた。全くのたわごとだ。そんな事に対処するのは簡単ではない。それでも彼女は僕を支えてくれ、僕たちは一緒にくぐり抜けてきた。

この2年間、辞めたいと思った事も何回かあった。彼女が僕に言ってくれたのは、「辞めるならあなたの考えで辞めてほしい。マスコミや何かが言っている事ではなく、あなたが納得して辞めてほしい」という事だった。それを思い出す必要があった。僕はいま、自分の考えで辞めたと思う。

フロリダのサドルブルックで過ごしていた頃に関してですが、良い思い出、悪い思い出を話してもらえますか?

ピート:僕はあそこでトレーニング、練習をした。トレーニングをするには良い場所だったよ。

あなたは人前に出ない人ですが、今晩の公の場での引退について、居心地はどうですか?

ピート:自分の家に帰ってきているように感じている。あのコートに戻るのは、常にとても居心地が良かったよ。プレーするにせよ、何か話すにせよ。僕は国会で演説するわけじゃない。テニスファンと僕のファンに挨拶するんだ。あそこに行き、僕を助けてきてくれた人々に感謝したいだけだ。家族、友人、コーチ、そしてファンに。スタンドでテニスを応援し、僕を応援してきくれたファンに。そういうプランだよ。

あなたの引退は大会に、テニス界に長い影を投げかけています。テニスというスポーツの中の良い点、悪い点について、どんな風に考えますか?

ピート:テニスはいまでも、とても力強いと思うよ。男子テニスには若い選手たちが出てきて、順調にやっている。アンドレがまだプレーしているのは、テニスにとって素晴らしい事だ。女子の方は、明らかな優勝候補はここにはいない。

でも正直言うと、この1年、僕は可能な限りテニスからはるか遠くにいたんだ。テニスについて何も読まないし、何も見ない。テニスを閉め出してきたのは快かったよ。これまで何年もの間、僕の人生を費やしてきたのだから。テニスに何の注意も払わないというのは、いい感じだった。時が経てば、テニスをフォローし、何らかの方法で関わるだろう。でもいまは分からない。

今晩、誰があなたと一緒にここにいるのですか?

ピート:全員。

あなたは常に、極端なまでに自信を持っている人でした。大会に勝っていなかった頃でさえ。カムバックしてグランドスラムで優勝する能力について、決して疑念を表しませんでした。できないかもしれないと、真に思った時はありましたか?

ピート:
疑いを持った事は一度もなかった。スラムで優勝していなかったが、僕はまだできるように感じていた。それが続けていた理由だ。それが、13回の優勝の後もプレーし続けた理由だ。

昨年、僕にはまだそれをできるゲームがあると感じていた。かつてのように毎週毎週ではないけれど、2週間ならまだできるように感じていた。それを自分自身に証明した。それが僕にとって最も重要な事だ。いまは何も証明する事がなくなった。それで……

ある時点で、少なくともテニス周辺の事に戻る気になったら、テレビ解説はできますか? もしできるとなったら、あなたは充分批判的になり得ますか?

ピート:僕は解説に興味を感じるかどうか分からない。もし批判的になる必要があるのなら、できるよ、多分。でも解説については、いまのところあまり考えてない。将来、するかもしれないね。解説者であるためには、時には少し批判的になる必要がある……ナイスなやり方で(微笑)。

デビスカップのコーチになる事は、考えた事がありますか? 第2に、ピート・サンプラスをこのような素晴らしいチャンピオンにした、人間として最も際立った資質は何でしたか?

ピート:デビスカップのコーチや監督になるという事には、いまのところ関心がない。とても政治的であると聞いている。そのためのエネルギーが僕にあるとは、あまり思わない。

人間としての資質については、僕はただ良い人間、素晴らしいテニスプレーヤーであろうとしてきた。僕をそのように育ててくれた家族に感謝している。(涙ぐむ)

誰もまだこれを言っていませんが、テニス界であなたがしてくれた事すべてに感謝します。ファンは今晩、あなたを愛していますよ。

ピート:ありがとう。

引退をどのように想像していましたか? あなたは引退について、この1〜2年考えたと言いました。これはあなたが望んだ引退の仕方ですか? 念頭に置いていたものですか?

ピート:正直に言って、どんな風に引退したいかは考えていなかった。これはすべて、いわばこの3〜4週間で決まったんだ。ニューヨークに来る事、セレモニーに参列する事。

たいていのチームスポーツでは、選手はシーズンをプレーして、記者会見をして、そして終わる。テニスプレーヤーは違う。みんなただ、いわば姿を消す。今回はこうなった。僕が計画した事ではなかった。ニューヨークにいて嬉しいよ。僕の最後のさよならだ。締めくくりだ。

今夜のセレモニー、引退についてあなた方と話せる事。ずいぶん長い間、僕らは公に話をしていなかったからね。僕が望んでいた事だ。

ウインブルドンに関する質問ですが。

ピート:僕があそこに戻るかどうか?

ええ。

ピート:僕はあそこに戻って、まずお茶でも飲むだろう。戻ってもう一度あそこを見たいよ。それは僕が恋しく思うものだ。

テニスを始めている子供たちに、何かアドバイスがありますか?

ピート:僕が子供の頃していた事かな。僕は勝つ事より、うまくプレーする事を心がけていた。いまは親も子供も、12、13、14歳くらいの頃に、勝つ事にこだわりすぎていると思う。僕は幼かった時、勝利にこだわらなかった。上達し、素晴らしいプロになる事の方が重要だった。それを子供たちに強調したい。上達する事、すべて勝つ必要はない事。

32歳、とても若くて、非常に才能に恵まれている。あなたがついに決断した時、痛みを伴いましたか?

ピート:痛みはない、感情的ではある。情熱を傾けたもの、愛するもの、僕の人生だったものだからね。それに別れを告げる事、もうプレーしない、このコートに出ていかないと言う事は、胸に迫るものがある。もう閉じられた章だが、僕の一部はまだあそこにいる。

同時に、僕の時は終わったという事については現実的だ。僕は自分にできるすべてをした。辞める事に安らいでいる。先へ進む時だ。

ランディー・ウォーカー:どうもありがとうございました。
(ピート、記者団の拍手の中を退席)