2000年GQ「Men of the Year」

ニューヨーク、10月27日 --- 昨夜の第5回GQ「Men of the Year」の授賞式では、男はいいものだと思わせてくれた。ラッセル・クロウ、ピアース・ブロスナン、ジェイムズ・ギャンドルフィニ、エルトン・ジョン、マイケル・J・フォックス、マシュー・ブロデリック等が、デニス・ミラーがホストを務めるショーの受賞者だった。

ジュリア・ロバーツ、バーバラ・ワルターズ、ベン・アフレック、ケビン・スペイシー等を含む有名人がプレゼンターを務め、エンリケ・イグレシアス、サード・アイ・ブラインド、98ディグリーズが音楽を担当した。GQ「Men of the Year」授賞式は12月9日、Foxテレビで放映される。

毎年GQでは映画、テレビ、演劇、ファッション、音楽、スポーツ部門で傑出した男たちを表彰している。「Men of the Year」の記事は、本日発売の「GQ」2000年11月号に掲載されている。ニューススタンド発売分には、3曲を収めたエンリケ・イグレシアスの無料CDが付録に付いている。GQ「Men of the Year」授賞式のスポンサーは Linclon、David Yurman、The Guinness Bass Import Company、 Discover Card である。収益の一部は「エルトン・ジョン・エイズ基金」に寄付される。


2000年GQ「Men of the Year」受賞者ならびにプレゼンター

受賞者
プレゼンター
個人アスリート
ピート・サンプラス
クラウディア・シェファー
ファッション・デザイナー
ジョルジオ・アルマーニ
ベン・アフレック(受賞代理も)
演劇
マシュー・ブロデリック
ナーサン・レイン
最もスタイリッシュな男
ピアース・ブロスナン
レオナ・バレナ
&カーリー・サイモン
映画俳優
ラッセル・クロウ
デニス・ミラー
テレビ・ドラマ
ジェイムズ・ギャンドルフィニ
ジュリア・ロバーツ
勇気賞
マイケル・J・フォックス
ケビン・スペイシー
David Yurman 博愛賞
エルトン・ジョン
スーザン・サランドン
テレビニュース
テッド・コッペル
バーバラ・ワルターズ
チーム・アスリート
シャキール・オニール
スティーブ・ウェーバー
テレビ・コメディ
マシュー・ペリー
マイケル・J・フォックス
コーチ
グレン・リバース
モリー・シャノン
ソロ・アーチスト
カルロス・サンタナ
オスカー・デ・ラ・ホーヤ
映画監督
リドリー・スコット
レイ・リオッタ



アメリカ版「GQ」
2000年11月号
ピート・サンプラス:個人アスリート賞


彼はいつもそんなにリラックスしていた訳ではなかった。10代半ばまでは、ピート・サンプラスは「ぶっ飛ばして」いた。男というものは、すべからく青二才で、すぐすねる、言葉は粗野で下品、ウィルソン・プロスタッフはフェンスを越え、トマホークの如くネット・ポストに激突。ラケットの寿命予測は「1週間か2週間」と彼は認める。

それでは、マッケンロー以来、最も才能あふれるプレーヤー(マックはサンプラスを史上最高と呼ぶ)は、愚痴っぽいマヌケからポーカーフェイスの虐殺者へと、どうやって変身したのだろうか?

この変身は、ヒップホップの饒舌が強調される、現代のスポーツ・カルチャーには相反するものだ。カントリー・クラブレベルでさえ、ファンはヒーローには、腕前だけでなく、言葉で楽しませてくれる事を期待する。20年前、ビヨン・ボルグの岩のような冷静さは「高貴」に見えた。現代のサンプラスは「面白みがない」となる。ジョニー・マックは、もっと感情をあらわに出すようにとさえ言った。

それで、君はガッツを見たいかい? グランドスラム優勝の記録やらなんやらは忘れよう……ただの数字だ。代わりに96年USオープン準々決勝コレチャ戦を見てみよう。第5セットタイブレーク、サンプラスは……青ざめ、瞼は震え……ヨロヨロとコートから出ていって、不自然に身体を傾け、音高く、劇的に……「ぶっ飛ばした」。疲れ果てて、チャンピオンは……吐いたんだ! 主審はタイム・ワーニングを与えた。サンプラスは手間取り、メゾ・テノール歌手がよだれをを垂らすが如く、口を開けていた。

タイブレークの間じゅう、彼はラケットを支えに立ち、クラブのご婦人たち程度のスピードのサーブを打った。そして7-7で、サンプラスは1stサーブをネットにかけた。身体を折り曲げた。コレチャはコートの中に入る。サンプラスは立ち、トスを上げ、傷ついたサルのような悲しい吠え声と共に……2ndサーブのエースを打った! 信じられない! しかし観客は知っていた、コレチャも知っていた、サンプラスが「それ」を持っているのを。彼はタイブレークに勝ち、大会に優勝した。

「他に方法がなかった」と今、彼は言う。彼もまた、必然の運命に従わねばならなかったのだ。今度誰かが「チャンピオンはもっと華やかで、根性がなくちゃ」と不平を言ったら、コレチャ戦の事を話してやるといい。

1995年オーストラリアン・オープンの試合の事も、話しておやりよ。あの試合、サンプラスは、コーチの死に至る脳腫瘍の事を知って悲嘆に暮れ、2セットダウンしていた。ポイントの間、彼は人目をはばからず涙を流し、それでも挽回して、ジム・クーリエのお尻を蹴っ飛ばした。

サンプラスが、ブリジットという名前の若い娘を見初めた(それも直接じゃなく、スクリーン上でだ)時の事も、話してやるといい。「スイ〜〜〜ト!」と思ったら……彼女と会う算段をつけていた(彼らは現在結婚している)。もしまだ誰かが、昔の、ラケットを投げつけていたサンプラスはどうしちゃったんだと尋ねるようなら、真実を語ってやるといい。彼は成長し、男になったのだ!