アメリカ版テニス
2001年2月号
2000年男子最優秀プレーヤー
文:Allen St. John


キャリアの黄昏時におけるこの勝利は、記録に執着するスポーツ界に、ついにピートを支持する機会を与えたのである。突然、彼はテニス界のマイケル・ジョーダン、タイガー・ウッズに匹敵する存在となり、今まで一度も、そし恐らく今後二度と目撃する事のない偉業をやってのけたアスリートになった。サンプラスはUSオープンの場でこう語った。「僕は記録を破る事をプレッシャーではなく、1つの好機と見なしていた」

しかし、彼の非凡な才能は変わらずとも、サンプラスがこの10年見せた事のなかった姿を、ファンはかいま見るようになった。確かに、彼は4つのグランドスラム大会では誰よりもいい成績を挙げ、ウインブルドン優勝の他に、オーストラリアン・オープンでは準決勝に、USオープンでは決勝に進出した。しかし、過去このゲームをいとも簡単なもののように見せてきた男も、苦労や困難を見せるようになった。

時にそれは、徐々に脆くなっていく、サンプラス自身の29歳の肉体だった(オーストラリアン・オープン準決勝アンドレ・アガシ戦では、大臀筋の怪我のため、37本のエースも台無しになった)。別の時には、テニス界一のショット・メーカーも、そのショットを持たない日があるという事が、ショックにも明らかになった(USオープン決勝マラ・サフィン戦を見るがいい)。

しかし、自身の肉体やゲームが彼を気落ちさせる時でも、むしろそういう時にこそ、彼は今までにないほど競い合い、厳しい試合をかいくぐってきた。不屈のジミー・コナーズでさえ賞賛するだろう。ウインブルドン決勝では、パトリック・ラフター相手に、1セットダウン、第2セット・タイブレーク1-4ダウンから、サンプラスは足を引きずりながらも、次の7ポイントのうち6ポイントを奪った(彼はこの2週間、向こうずねに腱炎を抱えていたのだ)。そして試合の残りを圧倒した。

彼は同様のHoudiniマジックを、フラッシング・メドウの準々決勝で、天敵リチャード・クライチェク相手にもやってのけた。さほどでないチャンピオンなら崩れ落ちてしまうだろう状況で、サンプラスが次々にエースを放ち、次々にウィナーを打った事実は、あたかも彼が我々に秘密を知らしめたかのようだった。

テニスは時速125マイルのサービスをTコーナーに打ち込む事ではない、ランニング・フォアのパスを打つ事ではない。それはプレッシャーの下での素晴らしさなのである。それがサンプラスのグランドスラム決勝成績が、13勝3敗という高い勝率である理由だ。そしてまた、彼が単に「年間最優秀プレーヤー」なだけでなく、時代を超えた選手である理由なのである。