テニスマッチ
2000年5月号
スターの心を動かす
文:Kevin O'Keefe


カリフォルニア州、ウェストレイク・ビレッジにある North Ranch Country クラブのロッカールームで、マット・デイモンは「ピート・サンプラス・クラシック」ゴルフの大会シャツに着替え、「ティム&トム・ガリクソン基金」の襟章を注意深く留めつけた。

「『ピート・サンプラス・クラシック』の帽子も被るよ。でもピートのストーカーみたいに見えないといいけど」と冗談を言う。

デイモンは「ティム&トム・ガリクソン基金」のために、3月に開催する「ピート・サンプラス・クラシック」ゴルフ大会で、有名人プレーヤーのキャプテンの1人を務める。いまからサンプラスに会いにいき、フラッシュやマイク、テープレコーダーのひしめく記者会見に臨むところである。

しかし静かなロッカールームの片隅で、デイモンはコート内外でのピート・サンプラスへの賞賛や、サンプラスが委員を務めるガリクソン基金の重要性について語ってくれた。

それが、この季節はずれの寒い月曜日、そして前夜の大会パーティーに、彼が出席した理由だ。基金集めのパーティーは、デイモンが新たに構えた「ビバリーヒルズ・クラブ」で行われた。彼はハリウッド、スポーツ、メディア界から今回参加する約30人の有名人の中でも、最初に名乗りを上げたのである。

他の参加者はデニス・ミラー、デニス・ホッパー、アンディ・ガルシア、ウェイン・グレツキー、エバンダー・ホリフィールド、ストーン・フィリップス、ダン・パトリック等で、彼らは必ずしもテニスに興味のない人々にも、この基金をアピールするのに一役買っている。

「ピートやティムとトムが設立した基金に協力できて、とても嬉しいよ」と、デイモンはロッカールームで語った。その後、ティム・ガリクソンの愛した家族 --- 妻のローズマリー、子供のエリックとミーガン、そしてトム・ガリクソン、サンプラスと抱擁を交わした。

ローズマリー、エリックとミーガンは、この催しのために、シカゴから飛行機でやってきた。デイモンの友人、トム・レンベックも然りで、彼の会社は「ピート・サンプラス・クラシック」のスポンサー第1号となった。

彼はディナーとオークションの夕べの進行を助け、レア物の1975年産マグナム・ワインを寄付して、2000ドルの収益を挙げた。同じテーブルから、デイモンも適切な額の現金を寄付した。
サンプラス、デイモン、レンベック、その他200人以上の貢献で、脳腫瘍患者とその家族のための基金は、9万ドルの寄付を集めた。サンプラスは語った。

「基金のために、こんなにも意義深い金額を集める事ができ、感銘を受けています。また、ゴルフの催しを通じてこの寄付を集められたのは、ティムにふさわしい事のように感じます。ティムはゴルフを愛し、僕のゴルフへの興味にも火をつけてくれました」

新しいテニスファンに説明すると、ティム・ガリクソンはサンプラスのコーチで、4年前の5月、脳腫瘍で亡くなった。トム・ガリクソンはアメリカ・テニス協会のヘッドコーチで、おそらくテニス界で最も感じのよい人間だ。

彼ら双子の兄弟は、一緒に10個のダブルス・タイトルを獲得し、基金を1995年に設立した。

彼らは、たとえばアリゾナに住むゴルフのティーチング・プロの心に触れた。彼は脳腫瘍と診断され、どうしたら良いか分からなかったのだが、「ティム&トム・ガリクソン基金」は必要な情報を提供した。

彼らはまた、この国で最も古い援助団体の1つ「南フロリダ脳腫瘍協会」会長、シェリル・シェツキーのような人の心を動かした。地域プログラムを発展させるのに必要な資金を提供したのだ。

彼らは、バージニアの34歳のレコーディング・アーチスト、デビッド・ベイリーの心に触れた。彼は1996年に脳腫瘍で余命1年と宣告されたが、それを克服したのだ。昨年ベイリーは「第1回ティム・ガリクソン・スピリッツ賞」を受賞した。

彼らは「ティム&トム・ガリクソン基金」プログラムの1つである「デューク大学メディカル・センター付属 --- 脳腫瘍患者・家族サポートセンター」の財源を利用した、1000以上の家族の心を動かした。

彼らはピート・サンプラスの心に触れ、ピートはティム・ガリクソンの心に触れた。

基金の会長でもあるローズマリー・ガリクソンは、夫が脳腫瘍に苦しんでいた時期にピートが果たした、重要な役割について語った。

「ピートは世界じゅうの大会から電話をくれ、ティムの心を明るくしてくれました。ティムはピートのコーチであり、友人でした。しかしピートは、ティムがそれを最も必要としていた時、コーチングとサポートを与えてくれたのです」

「ティム&トム・ガリクソン基金」は、脳腫瘍患者とその家族に、日々それと同じ事をしているのである。