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1997年10月
デビスカップ・プレー

ワシントンでのデビスカップと、それに続くグランドスラム・カップは素晴らしい2週間で、USオープンでの失意から立ち直る励みになった。

メジャー大会で希望に届かなかった後、どう立ち直るかは、いつも大きな課題だ。USオープンで優勝したばかりのパット・ラフターと、いつも危険なマーク・フィリポウシスに対してうまくプレーできた事には、とても満足している。彼らは素晴らしい選手であり競技者だから、どちらも試合を通していいプレーをする事が重要だった。

デビスカップ準決勝での、日曜のパット・ラフター相手のクリンチング・マッチは、とても興奮した! ファンの大声援を聞き、星条旗に大いに応援してくれるのは、素晴らしかったよ! 外国で試合する時にはいつも、地元ファンの声援は耳をつんざくばかりに思えるのだが、それが僕たちに向けられると、感情的に大きな励ましになる。

辛いのは、素早く気持ちを入れ替えなければならなかった事だ。ラフターとの試合の数時間後には飛行機に飛び乗り、グランドスラム・カップに向けて集中し直さなければならないのが、僕の仕事の辛いところだ。デビスカップは感情的にとても消耗するので、翌週もプレイするのはむずかしい。

そしてまた、ちょっと腕の問題も抱えてしまい、ミュンヘンでの試合の前に、休みを取る必要があった。水曜までには僕の腕はより「元気」にはなったが、それでもまだ痛かった。フェリックス・マンティージャに対しては堅実なプレイをし、3セットで勝った。

木曜はオフで、金曜にはヨナス・ビヨルクマンと、デビスカップ決勝の「予行演習」をした。僕はストレートで勝ち上がり、グレッグ・ルゼツキーと準決勝で対戦する事になった。グレッグに1セット落とした後、僕は次の3セットを取った。グレッグはとてつもないサービスを持っているので、対戦は決して簡単ではないが、なんとか勝ち上がった。

その試合の後、腕にかなりの不安を感じたが、決勝の朝はラフターとの対戦に向け、精神的に備えた。
幸運にも僕は力を発揮して優勝できたが、腕の治療と休養が至急必要だった。
腕のため、ウイーンの大会を棄権しなければならなかったが、早く良くなって、今年を健康でフィットした状態で終えたい。

素晴らしい2週間で、僕はUSオープン後に、うまく立ち直った事を喜んでいる。だけど分かるかい? サイクルはまだ続いているんだ。だから健康になり、そして熱意を持つべき時なんだ!

----- ピート・サンプラス