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1997年8月
USオープンについて

僕は2億5400万ドルかけて建造された、アッシュの名前を冠したスタジアムでプレーするのを楽しみにしている。アメリカテニス協会は、数百万ドルで名称の権利?をスポンサーに売れたかもしれない。しかしお金より大切なものがある。それはアーサー・アッシュの名前と、彼が遺したものだ。

20年のキャリアの間に、アッシュはUSオープンとウインブルドンで優勝した、最初のアフリカ系アメリカ人になった。彼の業績は地元の若い世代だけでなく、世界じゅうのあらゆる人種のテニスプレーヤーに道を開いた。

きついトレーニングやハードコートでの準備はほぼ終了し、僕はUSオープンのタイトル防衛に備えている。いま、ニューヨークに慣れつつある。ビッグ・アップルには独特の雰囲気があり、僕のアドレナリンを沸き立たせる。ここのファンはテニスに熱狂するし、ここは僕が最初にメジャータイトルを獲った場所でもあるから、特別の地だ。どのメジャー大会にもそれぞれ個性があるが、エキサイティングでせわしないニューヨークの雰囲気は、すべての選手に影響を与える。

ウインブルドン後の4週間の休暇はステキだった。やっかいな腕の怪我のため、1週間よけいにオフを取らなければならなかったが、かえって良かったように思う。

シンシナティのATPスーパー9大会でプレイした時に、僕のテニスがほとんど荒れていなかったのは、嬉しい驚きだった。普通、長く休んだ後に再び「マッチ・タフ」を取り戻すのには、何試合かかかるのだ。僕は1週間を通してとてもいいプレイができ、優勝できて幸せだった。ギメルストブ、ラフター、カフェルニコフ、コスタ、ムスターといった質の高い選手に対していい試合ができた時にはいつも、素晴らしい事を成し遂げた気分になる。

インディアナポリスでは、事はあまりうまく運ばなかった。ジョー・イーグルを1回戦で破った後、僕はマグナス・ラーソン相手に、タフな3セットで敗れた。考えたようには行かなかったけれど、USオープンに向けてはためになった。これらの7試合は素晴らしい準備になったし、シンシナティのタイトルを持ち帰れた事は、さらに拍車をかけてくれた。

僕はタンパで数日間過ごしてトレーニングの「仕上げ」をし、ニューヨークで1週間練習した。僕はとてもいいプレーをしているし、タイトル防衛の用意が整ったと感じている。しかし、新しいアーサー・アッシュ・スタジアムで、ベストプレーヤーたち相手にトラブルが生じた時には、1人の人間の偉業が、僕にインスピレーションを与えてくれるだろうと思う。


----- ピート・サンプラス

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