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1997年5月
10代の夢

ピート・サンプラスは、今後2カ月の大半をヨーロッパで過ごすが、NBAのプレーオフ --- とりわけ大好きなロサンジェルス・レイカーズの成り行きには、注目するだろう。今年初め、ピートは次の記事を「Rip City Magazine」--- Portland Trail Blazers(レイカーズが1回戦で破ったチーム)の公式雑誌 --- に書いた。これはブレイザーズの新人 Jermaine O'Neal とレイカーズの新人 Kobe Bryant --- 彼らは高校卒業後、大学バスケットボールではなく直接NBAに入団した --- を巡る論争に対するピートの考えである。



ジャーメーヌ・オニールとコービー・ブライアントが高校卒業後、今シーズン直接プロになる決断をした事に対する注目の大きさに、僕は驚いている。記者、チームのゼネラル・マネージャー、スポーツセンターのアナウンサーみんなに、それぞれ言い分があるようだ。NBA コミッショナーのデイビッド・スターンが批判を沈静化しようとして、僕のスポーツであるプロテニスの選手たちを例に挙げて指摘した。彼は「マルチナ・ヒンギス、クリス・エバート、ジミー・コナーズに対して問題がありましたか?」と言った。

彼が僕をそのリストから外してくれて嬉しいよ。僕は高校のジュニア時代の後、16歳でプロに転向した。大方のメディアは、僕のプロ転向に注意を払わなかっただろうが、両親やコーチ、僕自身は、テニス界の批判や言葉の攻撃に耐えなければならなかった。

だから僕はジャーメーヌを気の毒に思う。会った事はないけれど、僕が彼の年齢の時に抱いたのと同じ夢を、きっと彼も抱いているのだと思う。僕はウインブルドンで優勝するという夢を抱いて成長した。ジャーメーヌは、NBA チャンピオンシップで優勝したいと熱望している。僕は自分のゴールを実現する最善のチャンスは、肉体的・精神的に準備ができしだい、プロに転向する事だと決心したのだ。

彼が同じ決心をする事を、どうして非難できるだろう。彼は1〜2年間、大学でシーズンを送る事もできたかもしれない。しかし、それで彼がより良い NBA プレーヤー --- それは彼が選んだ職業だ --- になるかどうかなど、誰にも分からない。

ミネソタのケヴィン・ガーネットを見るといい、彼は昨シーズン飛躍した。今シーズンは NBA の手強い選手だ。彼がいま、もし1年大学に行ったとした場合より、良い選手である事は明らかだ。準備が整った、プロ選手と練習や競い合いが充分できる、と自分で感じたのなら、なぜ挑戦してはいけない?

僕が16歳でプロに転向する決断を下した事は、僕に関する論争の1つにさえならなかった。ジュニアの時は、年上のグループでプレーする事に対する批判の方に、より苦しめられた。僕は14歳の時には16歳以下の大会で、15歳の時には18歳以下の大会でプレーした。主要なジュニアの大会で優勝する事は、滅多になかった。ほとんどの「専門家」は、まず自分の年齢のグループでずば抜けた選手になってから、より上の年齢のグループでプレーすべきだと考えていた。また彼らは、僕が自分の年代の、いわゆる仲間と競い合わないのは、プレッシャーを避けるためだと非難した。

コーチと僕は納得しなかった。僕の長い目で見たゴールは、ウインブルドンやUSオープンなどの、グランドスラム大会で優勝する事で、ジュニアのウインブルドンやUSオープンで優勝する事ではなかった。僕の「仲間たち」はたくさんのトロフィーを家に持ち帰ったけれど、僕のコーチは、より強い年上の選手とプレーし、時に負ける事こそ、僕のオールラウンド・プレーを正しく上達させるためには必要だと感じていた。

それが、いまジャーメーヌがしている事だ。彼は時には圧倒されるかもしれない。やり込められるかもしれない。彼はPTにならないかもしれない。しかし、数年のうちに、彼はより年長の、より強い、そしてより賢い選手になるだろう。そして、もしかしたら彼の夢は、僕のように、ある日かなうだろう。


----- ピート・サンプラス