トラベル&レジャー/ゴルフ
1999年9/10月号
ピート・サンプラス
文:Evan Rothman
写真:Sam Jones



彼は12のメジャー大会で優勝してきた。彼は敬意を払われない。
この肖像の何が悪いというのか?

ベンチュラ行政区のA-リストであるロサンジェルス郊外に位置するレイク・シャーウッドは、ロビンフッドの映画ロケに使われた事からこの名がつけられた。大きなクラブハウスにあるジョージア様式のベランダから眺めると、シャーウッド・カントリー・クラブ付近は、デザイナーが設えた理想的な金持ちの遊び場のように見える。背景にはサンタモニカ山。前景には生い茂った樫の木、小川のせせらぎ。鳥のさえずりもふさわしい。

タイミング良く、ウェイン・グレツキーがゴルフカートを運転して現れる。「ピートが今日ここに来ると耳にしたんだが」と、彼はアシスタントプロに呼びかける。「後でビールをやりたいと彼に伝えてくれ」

「ピート」とはもちろんピート・サンプラスの事である。スポーツ界で最も過剰なほどに穏やかで控えめなスーパースターの2人が、ビールを引っかけながら世間話をするシーンは、典型的なハリウッド式ランチに対する、面白くもひねりの利いた展開である。サンプラスとグレツキーは両者とも、常に名声より才能が優っており、劣ってはいてもウケを狙う役者たちより、しばしば影の薄い存在だった。だがサンプラスをウインブルドンのスポットライトの下、あるいは彼のスポーツ最大のステージ、ニューヨークのフラッシング・メドウに置いてごらん。そこはこの秋、彼がロイ・エマーソンのメジャー優勝記録を破らんとしている場所であり、彼は主役を演じるのだ。

サンプラスは時間通りに、独りで我々のラウンドに現れる。彼はサングラスを着けているが、そのゆったりした歩みは、君主の歩みのように見分けがつく。ごく普通の髪型と、物思いに沈むハンサムな容貌は、トム・ハンクスを思い出させる。我々は自己紹介と冗談を交わし、サングラスは外される。練習ティーでは、見とれるのではなく、私は彼の最初のスイング音だけを聞いてみる。ヒューッ、砂地を吹きすぎる北風のような音が、究極のオーソリティが強打した音の後に続く。そして私はぽかんと見とれる。

彼のスイングは多分に自己流だ。丸めた姿勢と狭いスタンスは、彼の伝説的なサービス・モーションを思わせる。ゴルフの技術書で指示されているほどには、手は連結されていない。しかしながら、スイングが始まる途端に、その技巧は音楽のようになる。クラブはためらいもなくスイングされる。流れるような、全く本質的な動きである。彼のサーブのように、彼のスイングは無理なくビルドアップに入り、スムースに逆をたどる。猛烈かつコントロールの利いた振りほどきは、巻き上げ方に不釣り合いなほどに見える。恵まれたごく少数の人にとっては、ある動きが等しく逆の動きを引き起こす訳ではない。彼が天性の素質を持っている事は明らかだ。

サンプラスは「ボブ・ホープ・クライスラー・クラシック」に出場して以来、この数カ月間ほとんどクラブに触れていないと語った。その大会で、彼は「レッド・カーペット」の待遇を受けた。彼の組にはアーノルド・パーマー、フレッド・カプルス、デビッド・デュバル等もいた。サンプラスもまた、あと数インチでエースという、全国放映された1ショットを放って応えた。

今日サンプラスには9ホールを回る時間しかなかったが、数ドル賭けようともちかけてくる。そこで私は膨らんだサイフと、うわべだけの自信で武装する。編集者は私に、妥当な損失に見合った資金援助しか申し出てくれなかったのだが。短いパー4の第1ホールでクラブを取り出しながら、彼は私のハンデを尋ねる。我々のハンデは共に12だが、これからのチャレンジがむしろ問題だ。彼は若干のローカル知識を提供する。「ここではアイアンがいいんだよ」サンプラスは4番アイアンで打つが、フェアウェイを逸れる。「いかん」と彼は穏やかに言う。私は不安を抑え、3番アイアンでフェアウェイを捉える。「グッド・ボール!」サンプラスは楽しそうに言う。第2打では、彼は完璧なドローボールでおよそ30ヤード以上飛ばす。

サンプラス---12のグランドスラム・タイトルを獲得し、新記録である6年連続世界1位のテニスプレーヤー---は、チャンピオンの基準から見てさえ、剣の上で生き死にするほど競争心が激しい事を歴史は示してきた。世間の解釈は彼にきまり悪い思いをさせるが、彼の最も鮮烈で記憶に残る試合は---全て勝利---簡潔に言うと、ゲロ吐きマッチ(1996年USオープン準々決勝、アレックス・コレチャを下す)、号泣騒ぎ(1995年オーストラリアン・オープン準々決勝、ジム・クーリエを下す)、激しいケイレン(1995年デビスカップ決勝、独力でロシアを下す)であった。

彼はゴルフでは違う。それが、彼がこれほどゴルフ好きである理由なのかもしれない。ジュニア・デビスカップ・チームに入った時、スタン・スミスがゴルフを16歳のサンプラスに紹介した。「僕はただ打ちまくる奴だった」第2打へ向かう途上で、サンプラスは振り返る。「僕は野球のバットのようにクラブを握っていたし、エチケットについても何も知らなかった。パーが何の事かも知らなかった」

これはどうも驚くべき事である。サンプラスは常に、テニスウェアを纏ったゴルファーのようだったからだ。長期的展望を備えた判断、見るからに気だるげな歩き方、穏やかで感じのいい物腰から透けて見える、自信に満ちた目の輝き、ストイックで憂鬱そうな雰囲気、それらはコートよりコースに適している。

それ故、サンプラスが振る舞いと結果を同義に語る事は、彼にふさわしい。彼は成功と同じくらい自分のマナーを純粋に誇らしく感じているように見える、稀なアスリートである。サンプラスのコース上での物腰とスイングにとっては、フレディ・カプルスが彼のゴルフのお手本であり、彼が気おくれせずに敬意をもって語る役目を果たしているのである。

ハーフ・ウェッジのアプローチで、彼はクスクス笑う。「う〜ん、僕はこういう中間のショットが大嫌いなんだよ」そして彼は美しいスイングをし、ボールは2バウンドしてカップから6インチの所に落ちる。大きなにこにこ笑いが、彼の有名なポーカーフェイスに広がる。グリーン上で、彼は自分のボールを拾い上げ、それから3フィート通り過ぎた私のパットを流す。「グッド・パー」と彼は言う。ホールの展開は、今日の彼を物語っている。荒っぽさと優れた才能が混じり合い、全ては微笑の内に行われ、可能な時はいつでも優しい言葉をかけ、びくついたりはしない。

サンプラスを中傷する者がいるとは、ゴルフファンには信じられない事だろう。彼は大きな大会で優勝してきた---彼はそれらを品格をもって勝ち取ってきた、そして勇気をもって勝ち取ってきた。そしてなお、このチャンピオン---彼にとっては「子供たちの良いお手本と書かれる事が何よりも意味がある」のだが---は、ある者たち---2人の元・手に負えない奴ジョン・マッケンローとジミー・コナーズを含め---には、男子プロテニスに対する関心の低下の犠牲者なだけでなく、その主たる原因と見なされているのである。

*マーチン・エイミスを分かりやすく言い換えるため、男子テニスの世界では「個性」という言葉は「くそったれ」と同義語になってきた。
訳注:イギリス文学界の憎まれっ子で、イギリス文学界のミック・ジャガーと呼ばれたりもした作家。同姓同名のミュージシャン、俳優・監督もいるようだが、同一人物?

その定義によれば、ピート・サンプラスはめったに個性を表してこなかった事になる。彼はナイキのウェアを身につけたフレッド・ペリーとも言うべき男で、大騒ぎを引き起こす(kick up a racket)よりも、過去の誰よりも(ラケットを)上手にふるう事だけを望む。彼は概ねテニスファンやメディアに評価されていると感じると言うが、ゴルフ界なら同等の偉業をどのように受け止めただろうかと好奇心を持つ。

「それは僕がよく自分にする質問だ」とサンプラスは言う。「僕のせいなのか、あるいはテニスというスポーツのせいなのか? もし僕がゴルフをしていて、そして12のメジャー大会で優勝し、僕が振る舞うように振る舞っていたら、僕の歴史センスでいえば、僕はジャック・ニクラウスあるいはアーノルド・パーマーといった人たちに相当するだろうと思う。それはつまり、残念ながらテニスは苦しんでいて、人々は何か話すべき事、あるいは書くべき事を見つけたがっている、そして最も簡単なのが僕は退屈だと言う事である、という事を物語っている。その事は、僕のキャリア初期には重大事だった。少しばかり弱まってはきたが、これからも僕を困惑させるだろう」

私はサンプラスに、もう1人の「退屈な」スーパースター、デビッド・デュバルに関する「スポーツ・イラストレイテッド」のプロフィール記事を読んだかどうか尋ねる。その記事は、ゴルファー(デュバル)のストイックさとひたむきさを、白血病で兄を失った幼少期のトラウマと結びつけていた。彼は読んでいなかったが、聞いた事はあった。

「過剰な分析については、心当たりがあるよ」彼は皮肉っぽい笑いを浮かべて言う。

すなわち、ESPNは今年、過去100年間の最も偉大なアスリート50人の「スポーツ・センチュリー」リストを作り、その一部としてサンプラスのプロフィールを放送した。そのショーが検証したところによると、ある人々は神経症、またある人々は他人を神経症に追いやる者と分析されている。*リップ・バン・ウィンクルを例外として、サンプラスほどその睡眠習慣を詳細に分析された者は、おそらくいないだろう(例えば、たくさん眠る事を楽しむ、完全な暗闇を好む、眠る間は触れられるのを好まないといった事柄)。
訳注:W. Irving の「The Sketch Book」中の物語。20年間眠り続けた後に目覚めた主人公の名前。。

今世紀の他の49人のアスリートには、その業績に対する表向きの敬意の合間に、こういった侮辱を付け加えられる事はなさそうだ。それに加え、競争と前述したようなドラマチックな事柄両方が欠けていると非難され、そして賛辞を受ける。それはいっそ痛烈なからかいのようであった。

「とても失望した」とサンプラスは言う。「僕は、オーケー、多分この人たちは適切に理解し、なぜ僕がトップ50の中にいるかを述べるのだろうと思っていた。しかし彼らは、1群の記者たちが全て『退屈』について話すという作りにした」

サンプラスが言及するように、そのアプローチは決めつけられていただけではなく、条件も誤っていて、彼自身の旧い肖像に固執していた。彼の人生はアンドレ・アガシ的な周知の昼メロでもなければ、ドラマもなかったという事のようだ。「僕はもう17歳の子供じゃない」と彼は静かに言い、間をおく。「たくさんの事をくぐり抜けてきた」

悲しい事に、その通りだ。親しい友人であったヴィタス・ゲルレイティスとティム・ガリクソンの早過ぎる死、テニスの元恩師ピート・フィッシャーの幼児虐待に関する有罪判決。しかしこれらの経験は、批判をより大きい文脈で捉えるという総体的な見方を彼にもたらした。

「これからも常に、僕を好きではない人や、僕をノックダウンしようとする人はいるだろう。でもそういう事で悩んだって仕方がないって事だ。ヴィタスとティムを喪った後では……それ以上に悪い事なんてないよ。不愉快な記事なんて、親しい人々を喪う事には比べようもない。ティムはいつも変わるな、僕はそのままで申し分ないと言ってくれたよ。僕は問題を抱えた人間ではない」

第5ホール、534ヤードのパー5で、サンプラスはフェアウェイに300ヤード近いドライバーをぶっ飛ばす。「悪くない……もし完璧が好きならばね」と彼は歓声をあげる。フェアウェイでのウッド、罪のない2〜3のバチ当たりな言葉と見事なアイアン・ショットの後、彼は規定の位置につけている。前面の大きなバンカーを乗り越えるべき難しいピッチ・ショットを残し、私はプレイング・パートナーに助言を求める。

「手は前方へ、ボールは後方へ、そして確実に加速する。それが最も重要な事だよ」と彼はコーチする。私は好意的なうなり声を誘い出し、なんとか最初の2つのステップには従う。

第6ホールでは、(キャディからの?)なんの手がかりもなく、死角へ打つ第1打についてサンプラスは望ましいラインを指し示す。それは現代のアスリートとは滅多に結びつかない、配慮の行き届いた表現である。これが問題を抱えた男なのか?


サンプラスは複雑、あるいは複雑そうに見えるよう努力をした事がない。彼が思うには、偉大さの必須条件は、人生をシンプルに保つ事である。音楽、映画、レイカーズのゲームが彼の休止期間を満たす。彼は臆する事なく「*Caddyshack」を愛する。
訳注:チェビー・チェイス主演、ハロルド・レイミス監督の成金ゴルフコメディ映画。邦題は「ボールズ・ボールズ」。

お気に入りのゴルフの逸話は、ロサンジェルス・レイカーズ副会長で、ゴルフ仲間でもあるジェリー・ウェスト愛用のパーシモンのドライバーを借りて勢いよく振り回したところ、そのヘッドをボキッと折ってしまったというものである。

ただ1つのテーマのみが、彼をいらいらさせる。彼の私生活だ。大いに報道されたアンドレ・アガシとブルック・シールズの離婚で、女優キンバリー・ウィリアムズとの関係について考えさせられたかと訊かれ、彼は硬い調子でノーで答える。

物事をできるだけシンプルに捉えるというやり事は、彼が長い間示してきたひたむきさのためには必須なのかもしれない。それは仕事の上で、実によくかなっていた。

「テニスをしている時は、ただプレーするんだ。他の何にも焦点を合わせる事はできない。観光もなし、買い物もなし。ホテル、コートと空港があるだけだ。この仕事は人が思うほど魅力に満ちたものではないよ」ゴルフとテニスの関係について尋ねると、彼はシンプルに言う。「全く類似性はないと思う。僕にとっては、ゴルフはより精神的なもの、一種の逃避だ。これ以上異なったスポーツはないよ」

もちろん、2つのスポーツの間には多くの類似性があると主張する事もできる。個人スポーツとしての特性、精神的・情緒的に要求されるもの、生体力学的な事柄。それらは共に、社会性(門戸開放に向かっての長期にわたる漸進)、プロの最高レベルのプレー双方の面で進展した。どちらもポスト・モダンと呼びうる時期にある。運動能力のレベルが上がり、それがゲームの精妙さを破壊している、あるいは単にごまかしていると見るかどうかは、個々人の考え方による。

今日の方が、確かにより多くの「オオーッという興奮」はある。それが「ああという満足感 」の不足と同等であるかどうかは、議論の余地がある。サンプラスは、時速125マイルのサーブとトマホーク・ミサイルのようなオーバーヘッドを持ち、前の世代にはなじみのないプレーをする。タイガー・ウッズやデビッド・デュバルとジャック・ニクラウスの関係、そしてニクラウスと彼以前のボビー・ジョーンズの関係もまた然りだ。なぜゴルフファンはこの発展を、テニスファンよりも受け入れてきたかという理由は、彼らのヒーローたちが、新しい種の必然的な優勢を、品位をもって受け入れてきたという事と関係があるかもしれない。

しかしこのような物思いは、記者やサテライト・プレーヤーに任せておくのが、おそらく最も良いのだろう。気まぐれなショットに対するサンプラスの怒ったふりは、彼がゴルフを楽しむ理由の一部は、ここでは結果を殆ど気にせずミスできるからだという事を明らかにしている。あのように並はずれた能力を披露する者が、つつましくも不安定なゴルファーにすぎないのを見るのは楽しい事だ。平凡である事を彼自身が楽しんでいるのを見るのは、さらに愉快だ。

上りの8番ティーは素晴らしい光景---そら恐ろしい事に232ヤード、パー3---で、彼はコースを見渡してクスクス笑う。「知ってる? 僕はこのボールがどこに行っちゃうか分からないよ」テニスとは異なり、見通しがくつがえされる可能性がある事も、ゴルフの魅力の一部なのだろうか? その割には、彼は前方をじっと見つめる。「テニスを辞めたら、僕はおそらくゴルフの上達について、もっと気にかけるだろう」と彼は言う。「でも上達には時間がかかるし、今のところ僕はそれほど時間がない」

彼には時間がないが、それでも上達を心がける。27歳になり、サンプラスのキャリアはこれから先よりも過ぎ去った期間の方が長いという、無視できない事実がある。「ジョーダン、グレツキー、エルウェイが引退するのを見て、僕はこれからの数年について、そしてテニスを辞めた時に何をするかについて考えるようになった。正直言って、僕は自分が何をするようになるか分からないよ。僕は7歳でテニスを始め、16歳でプロになった。だから他の事をするなんて考えもしなかった」

「僕の年頃のたいていの子供たちは、何をしたいのか、そして仕事に就く事、異性と付き合う事について答えを見つけ出そうとしている」第9ホールのフェアウェイを上りながらサンプラスは言う。「僕はずっと、テニスの事ばかり考えてきた」

彼はサンドウェッジを取り出し、ボールが落ちたバンカーに入って足場を固める。ピン位置は後方グリーンの段差のある所で、長い、難しいショットである。しかし彼はためらわない。長く優美なスイングで、ボールは完璧な弧を描いてカップインの範囲内に運ばれる。

「楽しかったよ」と、彼は私の手を握って言う。そしてカートに乗ってクラブハウスへと走り去る。多分グレツキーとのビールとお喋りのために。彼は沈みゆく午後の太陽の方へと向かい、遠ざかるにつれて影は長くなっていく。そのイメージは、彼の偉大さは同世代より後世の人々に、より正当に評価されるのであろうというチャンピオンの姿を暗示している---彼が受け入れてきたが、しかし不当な運命。すなわち、確かに、彼は心底ゴルファーなのである。