AP通信
1999年7月17日
サンプラスとオブライエンは、合衆国にわずかな見込みを与える


ブルックリン、マサチューセッツ --- 土曜日、ピート・サンプラスとアレックス・オブライエンはオーストラリアの圧勝を阻み、合衆国に最終シングルス戦への希望を繋いで、気落ちしたチームメイトを救った。

この日も酷暑で、コート上は(華氏)131度(摂氏55度)に達した。サンプラスとオブライエンは約3時間半を耐え続け、6-4、6-3、3-6、4-6、6-3の勝利で準々決勝敗退の危機を食い止めた。

合衆国チームが5戦のうち2連敗の苦境からカムバックできるかは、今や日曜日に行われる第1試合のトッド・マーチン対パトリック・ラフター戦、そして第2試合のジム・クーリエ対レイトン・ヒューイット戦にかかっている。

合衆国監督のトム・ガリクソンは、マーチンは怪我をしており、サンプラスと入れ替わるかもしれないという可能性を示唆した。オーストラリア・チーム……そしてマーチンは、眉を上げただけであったが。

「いや、僕は怪我をしていない。元気だよ」
ダブルス戦のおよそ1時間後、練習のために出てきたマーチンは語った。ガリクソンのコメントを聞かされ、「僕はガリーと話をしていない」と言ってコートへ向かった。

ガリクソンはマーチンの体調、および棄権の可能性については曖昧な態度だった。「あくまで可能性だ」とガリクソンは言った。「選手によっては、必ずしも100パーセント健康という訳ではないからね」

練習セッションでは、マーチンに怪我の兆候は伺えなかった。

オーストラリア監督のジョン・ニューカムは、怪我については何も聞いていないし、もしマーチンが棄権したら驚くであろうと語った。マーチンがシングルから抜けた場合は抗議するかと尋ねられ、分からないとニューカムは答えた。「私は、そうすべきではない者が棄権するという経験をした事がない」と彼は言った。

怪我が大会ドクターによって立証され、中立の審判員がそれを受け入れた場合のみ、選手が試合から降り、別の選手と入れ替わる事が許可されるであろう。

サンプラスは、もし求められたら、マーチンの代わりにプレーする事もやぶさかではないと示唆した。

「我々はみんな、まだこのタイに生き残っているのをかなり嬉しく感じているよ」とサンプラスは言った。「現時点では、我々に後はない。今晩それについて話し合い、そこから始めるつもりだ」

「だが、とてもデリケートな問題だ。トムは僕がシングルスに出ない事で、ずっと叩かれてきた。それはフェアじゃない。僕が決めた事だったんだ」

かつて1934年に一度だけ、合衆国デビスカップ・チームは0勝2敗の劣勢から挽回した事がある。その時のチームメンバーだったシドニー・ウッドは、今年のチームを見るためにロングウッド・クリケット・クラブに来ていた。

87歳になる人のアドバイスは、「まず第一に、ダブルスで勝て」

金曜日のシングルスでラフターがクーリエを破り、ヒューイットがマーチンを負かした後、彼らの圧勝を防ぐためには、サンプラスとオブライエンには、まさにそれを実行する以外に選択肢はなかった。そして彼らは厳しい相手に対して、それをしなければならなかった。オーストラリアはこの5年間、デビスカップでダブルスに負けた事がないのだ。

サンプラスは、ATP ツアーやデビスカップでダブルスに出る事は滅多にないが、戦術的な経験不足をサーブ&ボレーの優れた能力で克服し、シングルスからの移行も可能である事を見せつけた。

スタートから、サンプラスが第1ポイントをジャンピング・オーバーヘッドで勝ち取り、バウンドしたボールがオーストラリア選手の頭上を越えてスタンドに飛び込んだ時から、彼がこの試合の勝利に真剣なのは疑いもなかった。

彼は第5セットの始めにもう一度オーバーヘッドを決め、雄叫びを上げた。オーストラリア選手は自分のメッセージを受け取っていなかったのか、と言わんばかりに。

サンプラスは言った。「あの時点で、僕たちは少し落ち込んでいた。だからただもう、屋根にだってジャンプして叫んでやる、僕たちは死ぬ気はないって事を相手に知らせたかったんだ」

「今日のような試合の第5セットは、持てる全てを注ぎ込まなければならない。我々は最後まで戦うぞというメッセージを、彼らに送った事になったかもしれない。そして実際に、僕たちは最後まで戦った」

サンプラスは、ほんの3カ月前にデビスカップ参加を決めた事、そして自分の参加をダブルスに制限すると決めた事に対して、多くの非難を浴びてきた。それは、もしマーチンとクーリエが勝たなければ、彼らの名誉を傷つけかねない決定であった。しかしこの日、サンプラスは少なくとも自分の務めを果たした。

過熱し燃え上がる、ロングウッド最大収容人員5,342人の群衆による「ピート! ピート!」という声援に応えつつ、サンプラスは第5セット5-3で、最後のサービスゲームに入った。そしてまたしても、ジャンピング・オーバーヘッド・スマッシュをスタンドに叩き込んだ。

ストリングスを切り、ボレーをネットにかけて30-40のピンチに立った時、彼は次のポイントをボレーで取り返し、それからサービスウィナーを打ってマッチポイントを掴んだ。群衆は再びサンプラスの名を連呼し、そして彼はまたしてもビッグサーブで応えた。マーク・ウッドフォードのバックハンド・リターンはワイドに逸れた。

ネットでの凄まじい応酬、ベースラインからの激しいショットが際立つ、非常に緊迫した試合だった。

「ラリーは信じ難いほどだった」とニューカムは語った。「長いポイントの中でも、我々の選手がスマッシュし、それをアメリカ選手が追いかけたポイント、これはスポーツ界でも極上の部に入ると思ったね」

「このデビスカップで興奮しない事なんてあるかい? つまり、観客は熱狂し、4人の男たちは勝とうとして殺し合いをしている……これこそがスポーツの醍醐味だ」

各セットとも、たった1回のサービスブレークが明暗を分けた。

ウッドフォードは史上最高のダブルスプレーヤーの1人だが、パートナーのトッド・ウッドブリッジは怪我でいなかった。そして彼が、5回のデュースの後で、最後のブレークを許したのだった。

第5セット3-4で、ウッドフォードは3回ダブルフォールトを犯した。彼は2本のブレークポイントを逃れ、3回ゲームポイントを掴んだが、ついにそのゲームを失った。オブライエンがバックハンドのロブを上げ、ストールが慌てて捕らえたが、ロングになったのだ。

「どうして2回もダブルフォールトしたのか分からない」とウッドフォードは言った。「手が震えていた訳でもないし、ボールトスが悪かった訳でもない。ただただ驚きだった」