|
|||||
テニスマガジン 1996年10月20日号 1996US OPEN男子決勝 天国へ捧ぐ勝利 最後で見せた王者の執念---ピート・サンプラス、故ガリクソンコーチの誕生日に 2年連続4度目のUSオープン制覇 文:吉松 忠弘 (表紙写真) |
|||||
|
|||||
今年最後のグランドスラム大会を制したのはサンプラスだった。 今年はここまでグランドスラム無冠、今大会も苦しみながらの勝ち上がり だったが、決勝では、負ければランキング1位の座を奪われる世界2位の マイケル・チャンに執念のストレート勝ち。 奇しくもこの日、9月8日は5月に夭逝したコーチ、ティム・ガリクソンの誕生日で、 2年連続4度目の栄冠は亡きコーチへの最高のプレゼントとなった。 |
|||||
できすぎたシナリオの最終日。 ハリケーン「フラン」の影響で、数日前から決勝延期の話で持ちきり。女子決勝。数分、終了が遅ければ、降雨中断は間違いなかった。闇とともにマンハッタンから訪れた嵐は、女子の表彰式を風雨で濡らした。男子決勝は延期か。とりあえず待った。待ち時間のたあいのない会話。 「どっちが勝つ?」 フランスのスポーツ紙、『レキップ』のテニス記者、フィリップ・ボアが予想する。 「今年最後のグランドスラム。優勝がない彼は、絶対に貪欲になっている。それに、亡くなったティム・ガリクソンコーチの誕生日だから、必死になって挑んでくるさ」 すでに予定の午後4時を2時間以上も過ぎた。今年から、日曜日の男女同日決勝。昨年までは、土曜日に男子準決勝2試合と女子決勝が組まれ、「スーパー・サタデー」とか呼ばれた。ちなみに、今年は「スーパー・サンデー」。安直ではある。 |
|
||||
グランドスラムの優勝者だけが歴史に名を刻むことができる |
|||||
嵐は去った。スタジアムに観客が戻る。出入口にあてられたTV用ライト。勝った方が世界1位の勲章を手に入れる世界一決定戦。今や遅しと待ちかねた観客が、万雷の拍手で迎えたピート・サンプラスとマイケル・チャンは、午後6時過ぎに入場した。 サンプラスは、今年、不調だった。5大会で優勝。悪くはない。しかし、彼のポリシーは次のようなものだ。 「どんなに多くの優勝を遂げても、世界1位になっても、誰もが覚えているのはグランドスラムに優勝した選手だけ。歴史に名を刻むとは、そういうことだ」 オーストラリアはフィリポーシスの豪打に屈した。フレンチは新鋭・カフェルニコフのストロークに、ウインブルドンはサービス合戦の末、クライチェクに不覚を取った。 今大会も、決して好調ではなく、準々決勝ではコレチャ相手に、4時間8分の死闘。最終セットのタイブレークで、むかつきと脱水症状から嘔吐。気力だけで勝ち上がった。 |
![]() |
||||
![]() |
|||||
チャンは、少なくともサンプラスよりは好調だった。アトランタ・オリンピックを欠場してまで、USオープンに賭けた。アメリカのハードコートで3大会連続決勝進出。そのうち、2勝を挙げ、本番に挑んだ。 準決勝のアガシ戦でも、サービスエースが16本。チャンの新しい武器がさえ渡り、アガシのリターンは不発。勢いからして、チャンの優位は動かない。勝てば、89年フレンチ以来のグランドスラム優勝に、初の世界1位が転がり込む。しかし、本人はいたって冷静だった。 「人には、順序というものがある。じっと我慢しながら、一歩一歩進むことが大事。もし優勝できて世界1位になれればうれしいが、それは神のみぞ知る」 この日、サンプラスが放ったボールはすべてが金に変わった 世界一決定戦は、夕焼けがむき出しになった鉄骨に反射する中、サンプラスのサービスで幕を開けた。 |
|
||||
昨年のフレンチ決勝を思い出した。チャン対ムースター。試合展開ではない。ムースターの戦略は、リターンとフォアで主導権を握ること。サンプラスのプレーパターンは、まったくそのものだった。バックのクロスの打ち合い。チャンのつなぎ球を、いつしかサンプラスはフォアに回り込み、逆クロスに、ストレートにと打ち込んだ。 ラケットを縦長に変え、身体もパワーアップしたチャンの新しい武器がサービス。しかし、それでもセカンドサービスは弱い。サンプラスは、リターンで果敢にアタックした。あっという間の5-0。サンプラスのプレーだけが輝いて見えた。英語では、よく「触るものすべてが黄金に変わる」と言う。さしずめ、この日のサンプラスは、すべてが金に変わったのだろう。 「僕のテニス人生の中でも、最高の試合のひとつだった」 |
|||||
この時点で、最高のシナリオはでき上がっていたのかもしれない。チャンの突破口は見つからない。最終的な決め球であるバックの高い打点からのストレートは、ことごとくネットにかかった。これも、フレンチと同様。 ただ、第2セット以降は、サンプラスのボールが金から銀くらいに落ち、チャンの安定性が増した分だけ、競り合いとなった。サンプラスは、ときどきピンチを迎えた。チャンにブレークポイントを与える。しかし、そのたびに、切れ味鋭いサービスが窮地を救った。チャンは何度も天を仰いだ。 「ピートだって人間。彼のサービスを破るチャンスは与えてくれる。だけど、大事なところで、そのチャンスを生かせなかったのは、あまりにもサービスが良かったからかな」 サンプラスにしかできない、ティムへの最高の誕生日プレゼント サンプラスが唯一危なかったのは第3セットの第12ゲーム。自分のサービスで、ダブルフォールトから崩れ、チャンにセットポイントを与えた。チャンの放ったアプローチはネットイン。サンプラスへの絶好の球出しとなった。パスがチャンのボレーを吹き飛ばし、最初で最後のチャンスとピンチは消え去った。 |
|
||||
第3セットのタイブレーク。2度目のマッチポイント。チャンのリターンがラインを割った。この日、亡きガリクソンが生きていれば45歳の誕生日。ガリクソンは5月に脳腫瘍でこの世を去った。 「僕の心の中には、まだ彼が生きている。今日は、一日中、彼のことを考えていた」 サンプラスにしかできない最高の誕生日プレゼント。女子決勝から、でき過ぎたシナリオは、すべて故・ガリクソンが仕組んだものかもしれない。ガリクソンは元全米テニス協会コーチ。もちろん、チャンのプレーも承知済みだった。 「以前から、言われていた。チャンと戦うときは、フォアとリターンで勝負しろと。彼の精神は、まだ僕の中で息づいている」 世界1位も守り、現役トップの8度目のグランドスラム・タイトル。ハリケーン「フラン」は、すでに去っていた。 最後のシナリオ。男子表彰式直後、照明の消えたコートは、雨で光っていた。天のガリクソンの笑みが想像できた。 |
|
||||
|
|||||
<関連記事> 「最高で、そして最悪の」4時間8分 もう限界だった。疲労、そして緊張の連続が、サンプラスを脱水症状に陥れた。ファイナルセット、タイブレーク1-1。ここまでだましだましプレーを続けていたサンプラスが、コート上で突然吐いた。コード・バイオレーション。見ているこちらが目を覆いたくなるようなシーンだった。 これで終わった---誰もがそう思った瞬間、サンプラスはフラフラになりながらもサービスの体勢に入るのである。信じられなかった。どうしてそこまで戦おうとするのだろうか…。 |
|||||
6-7とコレチャにマッチポイントを握られた場面。コレチャのフォアに放ってネットへ出ていくサンプラス。コレチャは渾身の力でクロスへのパスを放つが、サンプラスはこれに飛びつき、ボールはポトリとコレチャ側に落ちた。 7-7に戻したサンプラスは、セカンドサービスでノータッチのエースを奪う。最後の力を振り絞った最高のセカンドサービスだった。そしてコレチャがこの異様な雰囲気に呑まれるかのようにダブルフォールトを犯し、4時間8分の死闘は終わりを告げた。サンプラスはラケットを握ったまま、医務室へと直行した。 タオルを顔にあて、しばらくベンチから立ち上がることができなかったコレチャは、試合後、「ダウン・ザ・ラインに打っていたら、それで試合は終わっていた」とマッチポイントで放ったクロスへのパスを悔やみ、「僕のキャリアの中では最高の、そして最悪の試合だった…」とコメント。 トータルポイントはサンプラスの187本にに対して、コレチャは188本。どちらに転んでもおかしくない試合だった。コレチャの詰めの甘さよりも、サンプラスの勝利に対する執念が光った一戦だった。 |
|
||||
|
|||||
この試合、ピートの出来自体は決して良くなかったので、「最高の試合」かどうかは分かりません。でも「最高に心に残る試合の1つ」なのは確かですよね。 この年からインターネットを始めた私は、真夜中にサイトのライヴスコアを追いながら、ハラハラしていました。第5セット・タイブレークの1-1から暫くスコアが動かなくなり、「ん? どうしちゃったんでしょ」なんて思っていましたが、まさかあのような事が起こっていたとは、考えてもみませんでした。 とても長い試合だし、歯がゆい場面も多いので、全部を通して見る事は滅多にありませんが、第5セットだけは何度も何度も見てきました。そしてその度に、胸がキュ〜ンとなります。(^^; |