テニスマガジン
1996年7月20日号
サンプラスの涙
文:木村 かや子


私はめったに泣かない人間だが以前、「ガンジー」という映画を見て泣いたことかある。死んでいくガンジーの妻の差し出されたやせ細った腕が、父か死ぬ直前の腕とそっくりだったからだった。

ティム・ガリクソンが、5月3日、脳腫瘍で亡くなったというニュースを聞いた。ガリクソンといえば、かつて兄のトムと組んだダブルスで、そして最近はサンプラスのコーチとして、世界に知られた人物だった。95年のオーストラリアン・オープンの前に彼が脳腫瘍であることを知ったサンプラスは、この大会の間中、動揺を隠していた。それがはっきりと形に現れたのが、クーリエとの接戦の最中、ティムが重い病気であることをニュースで知っていた観客が、「コーチのために頑張れ!」と叫んだときだった。突然、うっと泣き出すサンプラスの顔がテレビに大写しになった。初めは皆、何が何だかわからず、クーリエなどは「足がひどくつったんじやないか」とコメントしている。

抑え込んだ感情は、それと直接関係もない場面、小さなきっかけで不意に突然引きずり出される。サンプラスはコーチが死ななければならないことを大会前に聞いた。彼は感情を抑え込み、いいプレーすることだけを考えてコートに向かったが、こころもち浮かないだけで、あとはいつもと変わらない表情の下の感受性は、まさに点火寸前の導火線だった。それもひどく短い…。

あの、涙をこらえようとするサンプラスの顔が表したものはたくさんある。彼のまっすぐで素直な性格。やさしさ。強さ。ガリクソンの病気の深刻さ。隠していたつらさ。あの、一瞬意味不明に思えた涙の意味が、今になって、ティムの死の知らせではっきりと説明された。サンプラスはその重い秘密を抱えて、コートで別のことに集中しなければならなかった。それが彼にとってどんなにたいへんなことだったかを垣間見せたのがあの涙の一件だった。破が神妙な顔でとても心配だとプレスに向かってコメントするのではなしに、大丈夫だと口早にいい、その表情が崩れるのを抑えようと顔を引きつらせながら会見場から逃げ出していったことからも。

サンプラスの悲しみは、だからティムが実際に亡くなったときに起こったものではなく、そこで終わったものだったのだ。お葬式に参列したサンプラスの表情はさびしく静かだった。それは、予測し、もうすでに戦った死を最終的に受け入れた顔だったのだろうか。

父と母のお葬式の日のことは覚えている。癌で死ぬことはもうずっと前に知っていたので衝撃的な悲しみはなく、どんよりと鈍った感情と疲れがあった。でもその感情は鈍らされているだけで、消えてしまったわけではない。ティムが亡くなったあと、しばらく試合に出ていなかったサンプラスがロラン・ギャロスに姿を現し、記者たちがその喪失についてコメントを求めたとき、彼はこう言った。
「今は何も言いたくない。ふさわしいときじゃない。まだ死に近すぎる。話し出したらまた泣き出すかもしれない。もう少ししたら、きっと平静な心で気持ち語れるようになるだろうから」