アメリカ版TENNIS
1996年? 1997年?
私はいかにピートを負かしたか……もう少しのところで
文:Aaron Gross


10年以上もの間、我が最大の勝利は、実は得ていなかったものであった。対ピート・サンプラス戦での成功についての私の告解が、伝説の素材であった。残念ながら、真実は伝説をくつがえすのだ。

1980年、私が太平洋北西部でトップにランクされる12歳の子供の1人だった頃、地元であるオレゴン州ポートランドの指導プロから電話を受けた。彼は私に、ロサンジェルスから来ている9歳の子供とプレーしてほしいと話した。その晩には重要な大会の1回戦でプレーする予定だったが、1試合くらいは断る事もなかったので、肩をすくめてオーケーと言った。

「9歳の子供とプレーするって?」
父は信じがたいという様子で言った。「なぜだい?」

もう一度、私は肩をすくめた。

「時間のムダだ」
彼は不平がましく言った。

コートに行くと、2人のピートを紹介された。サンプラスという苗字の9歳の子供と、彼のコーチ、ピート・フィッシャー。短いウォームアップの後、サンプラスと私はプレーを始めた。間もなく、これはエラい事だと気づいた。この子供はフォアハンド、両手バックハンドのショットをコーナーに叩き込んできた。彼はライジングを打ってきた。そしてやる気満々で、ウィナーを放った後には拳を握り締めていた。この1セットの対決は、彼には真剣勝負だったのだ。

試合後に帰宅すると、どうだったかと父が尋ねてきた。私はちょっと質問をかわした。「オーケー」と呟いた。

「お前が勝ったんだね?」と彼は尋ねた。

私の心臓は止まった。手のひらには汗がにじんだ。それで私は、父親を恐れるジュニアのテニススターが誰でもするだろう事をした。嘘をついたのだ。

「はい、パパ、僕が勝った」

ゴクッ。私は部屋から退却しようとしたが、父はあまりにも素速かった。

「スコアはどうだった?」
「あー、7-6」

私は勝者と敗者を入れ替えはしたが、最終スコアは正直に言った。それで少しは気分がマシになった。父親からの質問と非難を浴びたくないがため、私はすでに小さな嘘をついていたのだから。彼は仕事に戻るだろうと思ったのだが、接戦であった事を正直に告げたために、まさに避けたかった反応を誘発してしまった。

「タイブレーク? お前はタイブレークまで行かなきゃならなかったのか? 私をからかってるのか? その子供は誰だ? ランキングされているのか? 厳しいサーブを持っているのか? 彼のコーチについて何か知っているか?」

私の頭はグルグル回っていた。恥ずかしい気分でコソコソ逃げ出した。

皮肉にも、その週末は、私のいまだ幼いテニス人生における最高の大会となった。14歳以下の大会で、初めて決勝に進出したのだ。私がナーバスになった唯一の瞬間は、最初の試合の前だった。父と一緒に試合の呼び出しを待っていると、だしぬけに、サンプラスとフィッシャーがブラブラと現れ、「ハロー」と挨拶してきたのだ。彼らは父と握手し、それからフィッシャーは我々の試合について話し始めた。私は爆弾が落ちるのを覚悟していた。しかしフィッシャーは --- 私はこの事で彼に感謝し続けるだろう --- 誰が勝ったか口にしなかった。私は救われた。

私は高校・大学を通じて競技テニスを続け、国内ジュニア・サーキットでは時々サンプラスと出くわした。私はいつも彼のところへ行き、「ハロー」と声をかけて少し話をした。当時、彼は少しばかり孤立していたからだ。選手、コーチ、親は彼を嫉妬していた。彼は明らかに才能に恵まれていたのだ。

1990年にUSオープンで優勝し、彼は世界にこの才能を披露した。私は彼のために喜んでいた。しかし、問題が起こった。突然、父は私の「勝利」を思い出したのだ。時折、息子がいかにサンプラスを打ち負かしたか、父が自慢しているのを耳にしたものだった。そんな事がおよそ1ダースにもなろうとし、2年前、私はついに勇気を出して真実を告白した。

「お父さん」と私は言った。「あなたに話さなければならない事があるんです」

続けて、私の暗い小さな秘密を打ち明けた。父は私の顔をまじまじと見て --- そして突然、大爆笑した! 再び、私は彼の反応を見誤っていた。私の告解は父の語り部の日々を終わらせるだろうと思ったが、実際は正反対の事が起こった。彼はいまや、息子がいかにサンプラスに負け、ばつの悪い思いをし、そして父親に嘘をついたかという物語で、常に友人たちを楽しませている。

昨年、私の友人がサンプラスにその物語を語った。彼はサンプラスに、私への結婚祝いとして「テニス」誌の表紙にサインしてほしいと頼んだ。サンプラスは願いをいれ、走り書きをしてくれた。「アーロンへ:僕は嬉しいよ。僕が君のケツを蹴っ飛ばした事を、君がついに白状してくれて」

彼1人だけではないのだがね。



アーロン・グロスは、オレゴン州ポートランド「Eastmoreland ラケットクラブ・アカデミー」の指導者。