アメリカ版TENNIS
1996年11月号
観客を前にプレーする
文:Brian Cleary


「それはスポーツマンシップではない。君は彼のミスに拍手したのだ」
--- USオープンで1ファンが友人にテニスのエチケットを教える様

「ピティ! 少年! いや、お前こそ男だ!」
--- アレックス・コレチャ戦の
第5セット・タイブレーク時、いい大人が
ピート・サンプラスへ大声で呼びかける

USオープンを見に来る平均的なニューヨーク市民は、大いに動き回り、話をし、そして、ニックスやヤンキーズのゲーム中であるかのように、ポイントの間に叫ぶ。「時に、彼らが果たして試合を見ているのかどうか判断するのも難しいわ」とリンゼイ・ダベンポートは言った。

ゴラン・イワニセビッチがステファン・エドバーグに勝利を収めんとしていた際は、確かに彼を見ていたが。「俺には多分18,000人のアンチがいたね。ニューヨークの観客の前で試合するのは楽じゃないよ」と、イワニセビッチは試合後、ドイツのテレビ・レポーターに語った。「彼らが『ミスしろ』と叫んでいたとは知らなかったよ」

だが、ニューヨークのファンはテニスの礼儀には欠けるものの、それをスポーツに対する知識で埋め合わせている。彼らは才能や強靭さの見極め方を知っており、同様に選手がビビったり、手を抜いたり、あるいはお手上げになる時をも見抜く。今年、彼らはそのすべてを目撃し、それ相応に反応した。

1990年、ピート・サンプラスは19歳でUSオープンに初優勝した。しかし今年ようやく、ニューヨーク市民から「我々のチャンピオン」と敬意を込めて呼ばれうる存在になった。かつてニューヨークにおいては、その呼称は大会最愛の存在:ジミー・コナーズとジョン・マッケンロー専用のものだったのだ。

コレチャ戦の第5セット・タイブレークで、サンプラスは後ろへ下がってコートの際に吐き、そしてプレーへ戻った。あたかもそれが、近頃のテニスのやり方であるかのように。その時、彼はもう障壁を打ち破っていたのだ。そのタイブレークの間だけで、サンプラスに5回のスタンディング・オベーションがわき起こった。「僕は負けるのが嫌いだ。だから勝つためには必死にもなる。もしそれが見苦しいなら、それでもいい」と、翌日サンプラスは語った。

試合の後1時間半、サンプラスはスタジアム・コート地下の小部屋にこもり、回復に努めていた。ドアの外では、押し寄せるメディアを遠ざけるべく2人の警備員が控えていた。ドアが開き、サンプラスが部屋から出てきて送迎車へと案内される時、彼の腕にはまだガーゼが止め付けられていた。エネルギーを補うために2リットルの点滴を受けたからだ。彼が現れると、7台のテレビカメラが明るいライトを彼の顔に向けた。

もっと若かった頃のサンプラスなら、困惑して迷惑そうに見やったかもしれない。だがこの年、サンプラスはライトに晴れやかな微笑みを向けた。マックやジンボに比肩する大スターにはふさわしいものだった。